フランチャイズ4社に加盟して、3社を撤退した私が学んだこと ~「決断の早い経営者」である自分に酔っていた、私の高い授業料~
この記事で書くこと
コロナ禍で飲食店の先行きが見えなくなったとき、私は新しい収益の柱を探し始めました。まずキッチンカーを始めた際に周りから「動きが早い」「もう始めたんですか」と言われたことが嬉しく、思えばこの頃から、私は「決断の早い経営者」である自分に酔いはじめていたのだと思います。
その後、資産運用とフランチャイズの展示会をきっかけに、教育事業、結婚相談所、開業支援、飲食店と、次々にフランチャイズに加盟し、最大で4社に同時加盟していた時期もありました。けれど、続いたのは教育事業だけでした。結婚相談所は売上ゼロで撤退し、開業支援は成約1件のみで撤退し、飲食系フランチャイズも短期間で撤退することになりました。
この記事では、私がなぜフランチャイズに次々と加盟したのか、加盟前の説明と加盟後の実態にどんなズレがあったのか、そして、その事業が本当に儲かるのか、うまくいくのかを十分に吟味せず、自分の感覚や事業計画にきちんと落とし込まないまま決断してしまったことについて書きます。
コロナ禍で、私は新しい柱を探し始めた
コロナ禍で、飲食店は大きな影響を受けました。当時、私は秋葉原の焼肉店と丼専門店の二つの店を経営していましたが、どちらも例外ではありませんでした。先の見えない中で私は、実質無利子・無担保の、いわゆるゼロゼロ融資を受けました。本業を守るための借入でしたが、結果として一時的に手元の現預金は厚くなりました。
ただ、それで安心できたわけではありません。いずれ返済は始まり、その返済額は決して小さくない。このまま飲食店だけに頼っていて本当に会社を守れるのか、返済が始まる前に新しい収益の柱を作らなければいけないのではないか。そんな焦りがありました。
当時はコインランドリーなども検討しましたが、それは周囲に止められました。それでも、手元にある資金を何かに使えないか、会社の次の柱になるものはないかと、私はそんなことばかり考えていました。
最初に始めたのはキッチンカーだった
コロナ禍で私がまず始めたのは、丼専門店のキッチンカーでした。従業員の友人がキッチンカーをやっていてうまくいっているらしいという話を聞いて、すぐに動きました。説明会に行き、すぐに始めることを決めました。

今思えばその頃の私はかなり前のめりだったと思いますが、当時はそれが必要だとも思っていました。止まっていたら終わってしまう、動かなければ何も変わらない、と。
キッチンカーは、後に丼専門店の閉店とともにやめることになりますが、事業としては比較的うまくいっていました。そして何より、周囲からの反応が良かったのです。
「キッチンカー始めたんですか」「動き早いですね」「もう決めたんですか」「すごいですね」
そう言われることが、正直に言えばとても嬉しかった。自分が評価されていると感じ、経営者として正しい動きをしているような気がしました。この頃から私は、「決断の早い経営者」である自分に酔いはじめていたのだと思います。
フランチャイズという考え方に出会った
新しい事業を探している中で、私は「投資としてのフランチャイズ事業」のような内容の本に出会いました。その本を読み、著者の方が登壇するセミナーにも参加し、資産運用とフランチャイズの展示会にも足を運びました。展示会ではいろいろなフランチャイズ本部の話を聞き、その中で私は教育事業に興味を持ちました。
セミナー後に著者の方に挨拶をすると、後日Zoomで話をさせてもらえることになり、そこで当初検討していた本部について、表からは見えにくい話も聞くことができました。その話を聞き、私は早い段階でその本部を候補から外しました。
本当はその後、著者の方と会食をする予定もあったのですが、私がコロナに感染してしまい、その会食は実現しませんでした。もしあの時会食ができていたら、もっとフランチャイズの話を深く聞けていたら、その後の展開は大きく違っていたのかもしれません。
その著者の方の会社は、複数のフランチャイズに加盟することで事業を成り立たせている会社でした。それを知ったとき、私は思いました。自分で一から事業を作らなくても、フランチャイズに加盟して収益の柱を作る方法があるのか、と。もっとも、この時点では、自分がいくつものフランチャイズに加盟することになるとは考えてもいませんでした。それでも、このとき知った考え方が、後の私の判断に大きく影響しました。
教育事業には、加盟前の説明と加盟後の実態のズレが少なかった
こうして私は、1社目のフランチャイズとして、教育事業の個別指導塾Axisに加盟しました。
開校時には、加盟のきっかけをくれた営業の方やSVの方など、本部の方々が何人も来てくれて、みんなでビラ配りまでしてくれました。その時点で私はかなり驚きました。歓迎されている感じがあり、本部が一緒に立ち上げようとしてくれている感じがありました。「ああ、アクシスを選んでよかったな」と素直に思いました。
開校して半年ほど経った頃、まだ黒字化していたわけではありませんが、私は手応えを感じていました。これはうまくいきそうだ、この事業は会社の柱になるかもしれない、と。
実際、その後も本部のサポートはしっかりしていました。今でも頻繁に何かをしてくれるというわけではありませんが、必要なときにはきちんと支えてくれる感覚があります。加盟前の説明と、加盟後の実態のズレが少なかった。これが、後から振り返るととても大きかったと思います。

成功体験が、次の加盟を呼んだ
教育事業で手応えを感じたことで、私はこう考えるようになりました。フランチャイズに加盟すれば収益の柱を増やせる。一つずつ増やしていけば会社はもっと強くなる。ゼロゼロ融資の返済にも備えられる。その考え自体が、すべて間違っていたとは思いません。
ただ、当時の私はかなり急いでいました。キッチンカーを早く始めて褒められた経験、教育事業で手応えを感じた経験、そしてゼロゼロ融資の返済が始まる前に柱を作らなければという焦り。それらが重なって、私は次々に新しいフランチャイズの情報を見るようになりました。
結婚相談所は、入りたい人を探すのが難しかった
次に興味を持ったのが、結婚相談所事業でした。
やまののスタッフに、元客室乗務員の女性スタッフがいました。おしゃべりで世話好きな彼女なら、この仕事が向いているのではないかと思いました。彼女が担当してくれるなら、私がどっぷり時間を使わなくても運営できる。そんな計算もありました。興味があるか聞いてみるとかなり前向きだったので、彼女と一緒に何社かの本部と話をしました。大手とも比較しましたが、最終的には比較的アットホームに感じた本部を選びました。
この頃の私は、焼肉店と丼専門店の二つの飲食店に、キッチンカー、塾、そして結婚相談所と、いくつもの事業を並べるようになっていました。俺はもしかして、実業家なのではないか。本気でそう思っている瞬間がありました。完全に、酔っていました。
加盟前に聞いていた話は、結婚したい人が見つかった後のことが中心でした。どう入会につなげるか。入会した人にどう寄り添うか。どうお見合いを組み、どう成婚まで支援するか。しかし実際に始めてみると、一番難しかったのはその前でした。そもそも、結婚相談所に入りたい人を見つけることが、とても難しかったのです。
知り合いにモニター会員として2人入ってもらいましたが、モニターなので無料です。結局、売上は1円も立ちませんでした。
この本部を選んだ理由の一つに、無料で使えるサロンがありました。都内だけでも複数あり、眺めの良いサロンでカウンセリングやお見合いができるというのは、大きな魅力に見えました。ところがその後、利用できるサロンが減っていき、運営体制にも変化があり、本部のサポート体制も弱くなっていったように感じました。会員数も減り、サービスとしての魅力も下がっていったように思いました。
途中から加盟店同士で情報交換をする機会もありましたが、そこで聞こえてくる話も前向きなものばかりではありませんでした。最終的に、私はこの事業をやめることにしました。
開業支援FCは、広告で見た言葉と実態が違った
結婚相談所と同じように、開業支援のフランチャイズも、私がどっぷり時間を使わなくてもできると思って加盟した事業でした。もともと私には、飲食店のコンサルティングをやりたいと思っていた時期があり、「開業支援」という言葉が大きく出ていた広告を見て、問い合わせをしました。
その会社は、居抜き物件のサイトを運営している会社でした。ただ、私が興味を持ったのは、単なる物件サイトの代理店ではなく、開業希望者を支援する仕事だと思ったからです。説明では、サイトに掲載された居抜き物件を見て開業希望者が会員登録し、私の担当エリアの人がいればその人たちを支援する。事業計画を一緒に立て、融資の支援をし、内装業者や仕入れ業者なども紹介する。その中で収益化していく。そんな内容でした。
しかし実際に始めてみると、開業したい人がどんどん登録されるわけではありませんでした。それどころか、居抜きで次の入居者を探せる物件を自分で見つけてこなければ、ほとんど何も始まりませんでした。本部の方からも、「売り物がないと」というような話が出てきました。加盟前の営業のときとは、ニュアンスがまるで違いました。そして、その物件を見つけてくることは、想像以上に難しい仕事でした。
加盟後、他の加盟店の方と話す機会がありました。私は開業希望者に対して、事業計画を一緒に立てたり、融資の支援をしたり、内装業者や仕入れ業者を紹介したりするものだと思っていました。しかし実際には、その使い方をしている加盟店ばかりではなく、自社で持っている物件を居抜き物件サイトにも掲載するという使い方をしている会社もありました。私が思っていた「開業支援」とは、かなり違っていました。
実際、何人か開業希望者と話す機会はありました。でもその人たちは、すでに事業計画を自分で立てていたり、融資も自分で進めていたり、内装業者や仕入れ業者も決まっていたりして、私が支援して収益化できる余地はほとんどありませんでした。
細々と活動は続けましたが、成約になったのは1件だけで、それ以降はまったく売上が立ちませんでした。集客ができない、どうすればいいのか。そう本部に相談したこともありますが、返ってきた答えはGoogle広告を出しましょう、というものでした。私は正直、がっかりしました。
もちろん、加盟したのは自分の判断であり、その責任は自分にあります。ただ、加盟前の熱量と加盟後の伴走の熱量には、大きな差があるように感じました。本部から積極的に連絡が来ることも特別な支援があることもほとんどなく、こちらから連絡しなければ何も起きない状態でした。
あるとき、私は契約を解除したいというメールを送りました。自分としてはそれなりの熱量を込めたつもりでしたが、返ってきたのは解約手続きの案内でした。電話をすると、書類を送るので署名して返送してくださいという説明で終わりました。
少しは引き止められるのではないか、何か改善策を提案されるのではないか。そんな気持ちもどこかにありましたが、実際にはとても事務的に手続きが進みました。そのとき私は、加盟するときの期待と撤退するときの温度差はこんなにも大きいものなのかと思いました。少なくとも、私がイメージしていた「開業支援」とは違っていました。
加盟前に、加盟者と話せなかった
今振り返ると、結婚相談所と開業支援のフランチャイズには共通していたことがありました。加盟前に、実際の加盟店や加盟者と話すことができなかったことです。現場を見に行くこともできず、本部からはそういうことはやっていないと言われました。
当時の私はそれを深く考えませんでしたが、今ならそこはかなり大きな確認ポイントだったと思います。本部の説明だけで判断するのではなく、実際に加盟している人がどんな動きをしているのか、どれくらい時間を使っているのか、本部の支援をどう感じているのか、収益化までにどんな苦労があるのか。そういう話を聞けないまま加盟することの怖さを、私は後から知ることになりました。
飲食系フランチャイズで、自分の感覚より本部の数字を信じてしまった
開業支援FCに加盟していた頃、コロナ禍から回復できずにいた丼専門店の撤退を考えていました。そのとき、ある飲食系フランチャイズを紹介され、丼専門店の跡地でその業態をやったらどうかという話になりました。
説明を聞いていると、うまくいくように思えました。というより、うまくいくと信じたかったのだと思います。その後、紹介元の方と飲食系フランチャイズ本部の方とオンラインで面談をしましたが、説明はとても魅力的でした。既存店は順調に見え、立地条件や顧客層に合わせて業態や集客方法を考えていくという話もありました。
もう一つの柱を作らなければいけない、ゼロゼロ融資の返済も始まる、焼肉店だけに頼っていていいのか。その焦りも重なり、私はかなり前向きになりました。
加盟前には立地診断もしてもらいました。本部からは、店前には対象となる層が多く歩いているので売上は見込めると説明されました。ただその数字は、私がその場所で実際に店を営業していたときの感覚とはかなり違っていました。私の感覚では、人通りは決して多くなかったのです。
「でも、全然通っていないと思うんです」
そう伝えても、返ってくる答えはこうでした。
「数字で出ています」
もう一度、伝えました。
「いや、本当に通っていないと思うんです」
「数字で出ています」
やはり、同じ答えでした。
私はそこで、自分の感覚をもっと信じるべきでした。飲食は、私の本業です。しかも秋葉原は、十年以上商売をしてきた街です。実際にその場所で店をやっていたのは私で、その場所の人通りを毎日見ていたのも私です。それなのに私は、自分の感覚よりも本部が出してきた数字を信じる方に寄ってしまいました。今振り返ると、ここが大きな分岐点だったと思います。
加盟前には見えていなかったコスト構造
実際に始めてみると、加盟前には十分に見えていなかったことがありました。開業前も開業後も、本部指定のものが想像以上に多かったことです。
もちろん、フランチャイズである以上、食材くらいは指定があるだろう、とは思っていました。ただ、その範囲は想像以上でした。業態の選定、内装や施工、厨房機器、食器類、ユニフォーム、開業時に必要な細かな備品、主要な食材、広告施策。多くのものが本部指定の形で進んでいきました。
たとえば内装は、指定されていたのは設計だけでした。施工は自由なはずだったので、いつも仕事を頼んでいる先輩の内装会社に、施工だけお願いできないかと相談しました。返ってきたのは、「同じとこに頼んじゃった方がいいよ」という言葉でした。頼めば仕事になるはずの先輩が、そう言うのです。設計と施工を別の会社に分けるのは、現実的ではありませんでした。結局、施工も含めて同じ流れで進めることになりました。厨房機器も同じでした。内装業者が現地調査に来るとき、厨房機器の業者も一緒に来ました。気がつけば、そのまま発注する流れになっていました。
契約の上での指定の範囲と、実際にそうなっていく範囲は、別のものでした。
フランチャイズだからある程度は決まっている、そこまでは分かります。ただ、開業準備が進むにつれて、支払いはどんどんかさんでいきました。加盟前に本部から示されていた初期費用には、内訳がありました。内装にいくら、厨房機器にいくら、備品にいくら。その一つひとつが、実際にはその金額を超えていきました。それでも、当時の私は笑っていました。儲かると信じていたので、「膨らんじゃいましたね」くらいの感覚だったのです。
売上が立てば、問題にならなかったのかもしれません。でも、開業後、売上が思うように立たない中でこのコスト構造を振り返ると、だんだん苦しくなっていきました。私はその構造を、加盟前には十分に見ていませんでした。
その街に合わない集客は、続かなかった
集客方法も、私がその街で見てきたお客様の感覚とはズレがありました。本部が提案する集客方法は、InstagramとGoogleの口コミを中心にしたものでした。開業前に話題を作り、フォロワーを増やし、開業時に割引で行列を作り、来店した人に投稿してもらい、Googleの口コミにつなげる。そういう流れでした。
流れとしては分かりますし、実際、開業時には驚くほどの行列もできました。ただ、その行列に並んだお客様の、2回目の来店はほとんどありませんでした。
行列はできた。でも、商売にはならなかった。その違いを、私は痛いほど学びました。
秋葉原のお客様、とくに私たちが狙うべきお客様には、InstagramもGoogleの口コミも、ほとんど刺さりませんでした。本部に相談すると、返ってきた提案はInstagram広告を出しましょう、というものでした。そう言われて、Instagram広告にお金を使い、来店時に画面を見せると肉を増量するクーポンも用意しました。動画の再生回数は回りました。でも、クーポンは一度も使われませんでした。本部に言われた通り、フォロワー数の多いインスタグラマーに声をかけ、無償で料理を提供して投稿してもらうこともしました。かなり頑張りました。それでも、来客につながった感覚はありませんでした。その後も、返ってくる提案は動画を変えましょうといったものが中心で、それではうまくいきませんでした。
結局、私は途中から独自に秋葉原らしい要素を入れました。SHOWROOMというライブ配信のSNSで、看板娘のオーディション企画が開かれていました。私たちはそこに乗っかる形で参加し、Vtuberが看板娘に決まりました。店には、そのVtuberの等身大パネルも設置しました。看板娘とは別に、ぬいぐるみやアクリルスタンドと一緒に写真を撮れるフォトスポットも作りました。そうした取り組みをお客様がXに投稿してくれて、そこから来店の連鎖が起きることもありました。アニメとコラボした広告も、ミスアキバのオーディションへの協賛も、しっかり集客につながりました。本部が用意した標準的な施策よりも、秋葉原のお客様に合わせて自分たちなりに動いた施策の方が、明らかに反応があったのです。
InstagramもGoogleも、悪いツールではありません。この街のお客様に届く場所と、届かない場所があった。それだけのことでした。
その時に思いました。やっぱり、この街にはこの街の集客がある。そして、そのことを一番考えなければいけないのは、本部ではなく自分なのだと。
ただ、時すでに遅しでした。事業としては、撤退を避けられませんでした。
別業態への転換提案で、気持ちが完全に離れた
飲食系フランチャイズがなかなかうまくいかない中で、本部とは何度も話をしました。どうすればお客様が来るのか、どうすれば売上が上がるのか。ただこの頃には、私の中で撤退の意思はほぼ固まっていました。
本部としても、何とか継続させたいという気持ちはあったのだと思います。そんな中で、別の業態に転換しないかという話が出ました。
それを聞いたとき、私は追い打ちをかけられたような気持ちになりました。裏を返せばそれは、本部も、この場所でこの業態を続けるのは難しいと判断した、ということでもあります。加盟前に返ってきた、「数字で出ています」という言葉を思い出しました。
提案されたのは、本部がこれから新たにフランチャイズ展開を考えているという業態でした。この提案が見ているのは、私たちの店や、この街のお客様ではない。本部が試したい、次の業態だ。私には、そうとしか思えませんでした。
ほぼ固まっていた撤退の意思が、そのとき完全に固まりました。気持ちは完全に離れました。
最大4社同時加盟して、ようやく見えたこと
一時期、私は最大で4社のフランチャイズに同時加盟していました。教育事業、結婚相談所、開業支援、飲食店。フランチャイズという方法に目を付けたこと自体が、間違いだったとは思いません。
実際、教育事業は今もうまくいっています。続いているどころか会社の大きな柱にまで成長し、今後の展開にも期待しています。江戸川区役所前校に続き亀戸校も運営するようになり、飲食店とは別の収益の柱として会社を支えてくれる存在になっています。
一方で、結婚相談所は売上ゼロで撤退し、開業支援は成約1件のみで撤退し、飲食系フランチャイズも短期間で撤退しました。
違いは何だったのか。今振り返ると、加盟前の説明と加盟後の実態のズレが大きかったかどうか、そして本部が加盟後にどれだけ伴走してくれたか。そこだったと思います。
加盟前の説明は、どこも魅力的です。それは当然です。でも、本当に大事なのは加盟した後です。売上が思うように立たないとき、集客がうまくいかないとき、撤退するかどうか悩んでいるとき。そのときに本部は何を見ているのか。数字だけなのか、標準的な施策だけなのか、それとも加盟店の現場を見て一緒に考えてくれるのか。私はそこを、十分に見ていませんでした。
私はもう、決断の早さに酔わない
キッチンカーを始めたとき、私は褒められました。
「動き早いですね」「もう始めたんですか」「すごいですね」
その言葉は、本当に嬉しかった。そして私は、いつの間にか「決断の早い経営者」である自分に酔っていました。
でも今は、決断が早いこと自体をかっこいいとは思っていません。
早く決めることだけが経営ではないことは、本当は分かっていました。数字を追うことも、改善を重ねることも、人を大切にすることも経営だと、頭では分かっていたはずです。それでも私は、決断の早さに酔いました。
私に足りなかったのは、吟味することであり、精査することであり、事業計画にきちんと落とし込むことであり、そして自分の感覚と照らし合わせることでした。
フランチャイズ本部の説明を聞いて良さそうだと思う。成功している店舗の話を聞いて自分もできそうだと思う。本部が用意した数字を見て、いけると思う。でも、本当に見なければいけなかったのは、その先でした。
その事業を自分の会社でやったとき、本当に成立するのか。自分はどれくらい時間を使うのか。誰が何を担当するのか。何の責任を誰が負うのか。どこからお客様を集めるのか。売上が想定より下振れたとき、どこまで耐えられるのか。こちらが支払うお金は、どこに流れていくのか。
本部は加盟後に、どれだけ伴走してくれるのか。実際の加盟者と話せるのか。現場を見られるのか。うまくいかないときに、同じ方向を向いてくれるのか。
そして何より、自分自身がその事業を本当に理解しているのか。
私はそれを、かなり高い授業料を払って学びました。
フランチャイズは、悪い仕組みではありません。実際、私にとって教育事業は大切な事業の柱になっています。ただ、フランチャイズは「加盟すれば儲かる装置」ではありません。
今の私は、新しい事業の話を聞いていません。収益性が高く、将来性もある「やまの」と教育事業に集中し、まずはこの二つの柱をもっと強固なものにすること。それが今の私の優先順位です。
いつかその柱が十分に強くなったとき、次の事業に進むことはあるかもしれません。でもそのときは、今回のような進め方は絶対にしません。
「動きが早いですね」と言われることは、今でも嬉しいかもしれません。でも、もうその言葉には酔いません。
決断が早いことよりも、失敗しても会社が揺らがない計画を立てること。今の私は、その方がずっと大切だと思っています。
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