2026年6月の月報 急に具合が悪くなる
映画「急に具合が悪く」を見てきた。席を予約してから上映時間が3時間超あることを知った。腰が痛くなっちゃうって急に不安になった。結果からすると、痛くなる間もなく、あっという間だった。
Synopsis(物語)
パリ郊外の介護施設「⾃由の庭」の施設長であるマリー=ルー・フォンテーヌは⼊居者を⼈間らしくケアすることを理想としつつ、人手不足やスタッフの無理解などに悩まされている。そんな中、マリー=ルーは森崎真理という日本人の演出家に出会う。がん闘病中の真理が演出するのは、自閉スペクトラム症の孫・智樹と行動を共にする俳優・清宮吾朗の一人芝居。真理の描く演劇に勇気をもらったマリー=ルー。同じ名前の響きを持つ偶然に導かれて、二人の交流が始まる。しかし、あるとき真理は「急に具合が悪くなる」。真理の病の進行とともに、二人の関係は劇的に深まり、互いの魂を通わせ合うようになる……。
私の母は現在ばりばりの認知症。母の両親も認知症だった。祖母がいた施設に行ったことがあり、そこでは出入口がわからないようになっていて、私たちは隠し扉のようなところから出入りした。祖母は同じ施設にいる他の方とヨーグルトを取りあっていた。扱いはまるで幼稚園児みたいだった。祖母が茨城の家にいた時、母が介護でしばらく滞在していたことがよくあった。穏やかだった祖母は、今まで見たことないぐらい怒りっぽくなっていた。自分で鍋をコンロにかけっぱなしにして、焦がしてしまい、誰が焦がしたんだ!と怒りながら鍋を洗っていた。

祖父は一般病棟のようなところで入院していて、私の母を含めた娘たちがかわるがわる病院で世話をしていた。母は祖父のおむつを脱がせて股間を湿らせたタオルで拭っていた。
そうやって認知症って死ぬまでの間、モノみたいに扱われて、食べるのも出すのも誰かの手を借りなきゃいけなくて、それでも身体が元気だと死ぬこともできず、例えば、死を自分で選択することもできないんだ。

きっと私も認知症になるんだ。母は70歳を超えたあたりから認知症だったと思う。今は80歳を過ぎた父が母の面倒を見ている。私は今52歳で70歳になるにはあと20年弱。あと20年弱しか記憶をしっかりと保てないのかもしれないと思うと怖くて仕方がない。きょうだいもいないし、夫も子もいないし。この先はスクラップされた車が鉄くずになるのを待って、野ざらしになって積み上げられてるみたいに、認知症になるのを、死ぬのを待ってるしかないんだ。

この映画「急に具合が悪くなる」を観て、介護施設でのユマニチュードというケアの技法を知った。「あなたを大切に思っている」というメッセージを伝え、ゆっくりと相手のペースに合わせることで、認知症の人のケアがお互いに人間らしさを保つことができる。でもそれには時間もお金も足りない。どうしてそうなってしまったんだろう、って資本主義のこと、私たちの社会のことをホワイトボードに書きながら考える。

私は中庭での騒動のところでしゃくりあげそうになるぐらい泣いてしまった。私が悲観していた認知症の未来の形とあまりにも違っていて、夢の中にいるみたいに見えた。私が認知症になってしまってもこういう世界があるのかもしれないと思ったら、許されたような、受け入れられたような気がしてぼろぼろと泣いた。

老いるという未来は、万が一じゃなくて必ず来る未来だ。自分が老いる前に、両親がどんどん年老いていく。今は現実を見るのが怖くて目をそらしてしまっているけど、やっぱりそういうわけにはいかない。備えておいた方がいいですよ。そうなんだけど、そうなんだけど。

photo by Cake Yamada
とはいえ、まだまだやりたいことがある。読みたい本も山ほどある。岩手へ行き「本と商店街」や岩手文フリでさんざんZINEを買い、映画からの帰り道に『急に具合が悪くなる』を再読のために購入して読み始め、参考図書として追加で3冊ほど本を買った。マリー=ルーと真理みたいに、夜の街を散歩しながらおしゃべりしたい。最近読んだ本の話をしたりしたいんだ。
