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孤高な重し

物心がついた瞬間を覚えているだろうか。
私は覚えている。明確に覚えている。桜の咲き始める時分に毎年思い出すのだ。
ーーあれは幼稚園の年中と年長のあいだの春休み。
両親と兄と私の家族4人で、近所では桜の名所とうたわれる「まさかりがふち」という森に、花見に行った時のことだった。
桜は満開で多くの花見客で賑わっており、自分と同年代の子どもたちが遊び回っていた。それを見て兄は、レジャーシートでの陣取り完了を待たずして、そそくさとその輪に加わりにいった。
ぼくも行こう!と靴を履こうとしたとき、父は私にこう云った。

「レジャーシートが飛ぶからお前はここから動くな!」

ああ、そうか。
ぼくは"重し"なんだ。
ぼくはきっと、これからもずっとこういう存在として生きていくんだろうな。
そんなことを考えていると、一枚の風が桜の花びらを束にしてさらっていった。

きれいだ!

このとき、薄い色と形をした桜という花のうつくしさを、産まれてはじめて覚えた。
駆け回る子どもたちの楽しそうな声があちこちでするが、
それに対してうらやましいという感情は湧かず、
春の鳥たちのさえずりと地続きのうつくしさを覚えた。
ああ、きれいだ。きれいだ。
と感慨にふけていた刹那、頭のてっぺんに衝撃が走る。

「お前もなんか手伝え!」

父にぶたれたのだ。
ものすごく痛かった。
しかし、不思議なことに、今までは転んだりぶたれたりすると反射的に泣いてしまっていたが、このとき涙は一滴も出なかった。
この日以降、痛みで泣くことはなくなった。

また、状況の理不尽さを理解しながらも、それに涙することもなかった。
年長である兄のことは放っておいて、ぼくには重しの役割を与えた上にぶったりもするのか。
まあ父も人間だし、父親という役割を全うできるとは限らないしな。
そんな風に思った。

社会人になり、ふとこの話をしたところ、母もこの日のことを覚えていた。
家に帰ってから、私は粘土でうすーくうすーくしたなにかを何枚かつくりはじめたとのこと。
なにをつくっているのか尋ねたところ、私はこう答えたらしい。


「生ハム」


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