フィンの留守番記録⑮ 一耳惚れしてしまった者と物語
『フィンの留守番記録』は、物語『心晶錬金師』に登場する心晶錬金工房の助手フィンが、留守番中に出会った“物語と人”を記録した小さな掌編シリーズです。
心晶錬金師のルミウスは、様々な用事で、ふらりと工房から出かけてしまいます。
彼は、自分の留守中に相談者が来訪したときのため、弟子のフィンにある魔道具を託しています。
――Tales。
その人に必要な物語を映し出す、不思議な魔道具です。
今回は、「一耳惚れ」をしてしまった来訪者の記録です。
午後の心晶錬金工房には、穏やかな風が流れていた。
僕の師匠ルミウス・アウレリウスは、工房の隅に止まった小鳥へ話しかけている。
「なるほど」
真面目な顔で頷く。
「鳥たちの間で“匂わせ”さえずりが問題になっているのか」
僕には何も聞こえなかった。
ルミウスは真剣な顔のまま言う。
「真の愛を知る者は、匂わせたりはしないよ。それを皆と分かち合い、共に喜ぶことはあるかもしれないけれど。少し続きが気になるから、話を聞いてくるよ」
そう言って工房を出ていった。
(師匠……大真面目な顔しながら、“匂わせ”という用語にあっという間に適応しましたね……)
工房の扉が叩かれたのは、その少しあとだった。
「こんにちは」
入ってきたのは、二十代前半くらいの男性だった。
見覚えがある。
先日ここを訪れた十四男さんに、瓜二つだった。
「心晶錬金工房でしょうか」
「はい。僕は助手のフィンです」
男性は頭を下げる。
「匿名十五男です。十四男の、双子の兄です」
「分かりました」
席へ案内し、ハーブティーを差し出す。
十五男さんは苦笑した。
「先日は弟がお世話になりました。あいつ、ここへ来てから、急に落ち着いたんです。だから僕も来ました」
そして真剣な顔になる。
「僕、“一耳惚れ”してしまったんです」
「一耳惚れ、ですか?」
「はい!」
勢いよく頷く。
急激にテンションが上がったようだった。
「書店のレジの人なんですけど!」
「『ありがとうございました』っていう声が、この上なく美しくて!」
目を輝かせる。
「その美声を聞きたくて、つい毎日、本を買ってしまっています! おかげで、読書量が飛躍的に増えました!」
一度、大きく息を吸う。
「彼女のことを考えると、夜しか眠れないんですっ!」
(それは健全なのでは……?)
僕はそう思いつつ、少し考えてから立ち上がった。
棚の奥から水晶板を取り出す。
中央には、“Tales”の文字。
「これは?」
「あなたに合う物語を探す魔道具です」
十五男さんが水晶面へ触れる。
柔らかな光が広がる。
やがて、一つの題名が浮かび上がった。
――与仁岡町の世にもおかしな文筆クラブ
十五男さんの視線が止まる。
工房に、水晶面を指でなぞる音が流れていった。
しばらくして。
「ぶっ!」
十五男さんが吹き出した。
そのあと、大笑いする。
「はははは!」
涙まで浮かべている。
「ダジャレが炸裂していますね! 本当に、"世にもおかしな"話ばかりだ」
少しずつ笑いが落ち着いてくる。
「そういえば……」
照れたように頭をかいた。
「僕の一耳惚れも、冷静に考えると、おかしな話かもしれません」
一拍。
「……あの書店」
苦笑する。
「セルフレジなんですよ」
僕は思わず瞬きをした。
「え?」
「レジの『ありがとうございました』の音声が、あまりにも美声で……惚れてしまったんです」
工房に、一瞬だけ沈黙が流れた。
(一目惚れに、一耳惚れ……)
僕は思わず天井を見上げた。
(惚れっぽい兄弟なんだな)
そのとき。
僕には、十五男さんの笑いとユーモアを司る第二環に、微かな光が戻るのが見えた気がした。
窓の外では、小鳥が二羽並んで枝に止まっている。
楽しそうに鳴き交わしていた。
十五男さんは立ち上がる。
「ありがとうございました!」
工房を出ていく背中は、来たときより軽かった。
レジの声は、今日もきっと変わらない。
それでも。
彼はその声を聞く自分を、少しだけ笑えるようになったのかもしれない。
僕は記録帳を開く。
今日の題名を、静かに書き留めた。
――与仁岡町の世にもおかしな文筆クラブ
