フィンの留守番記録⑭ 一目惚れしてしまった者と物語
『フィンの留守番記録』は、物語『心晶錬金師』に登場する心晶錬金工房の助手フィンが、留守番中に出会った“物語と人”を記録した小さな掌編シリーズです。
心晶錬金師のルミウスは、様々な用事で、ふらりと工房から出かけてしまいます。
彼は、自分の留守中に相談者が来訪したときのため、弟子のフィンにある魔道具を託しています。
――Tales。
その人に必要な物語を映し出す、不思議な魔道具です。
今回は、一目惚れをしてしまったと語る来訪者の記録です。
午後の心晶錬金工房には、春の風が吹き込んでいた。
窓辺に飾られた花が、風に合わせて小さく揺れる。
僕の師匠ルミウス・アウレリウスは、その花を眺めながら頷いた。
「春になると、不思議と恋の相談が増えるね」
僕は首を傾げる。
「そうなんですか?」
「うん。花も人も、この季節は少し浮かれるらしい」
そう言って笑うと、
「さて、私は野の花たちの恋バナでも聞いてこよう」
ルミウスは軽やかに工房を出ていった。
(師匠……“恋バナ”なんて用語、どこで覚えたんだろう)
工房の扉が叩かれたのは、その少しあとだった。
「こんにちは!」
入ってきたのは、二十代前半くらいの男性だった。
表情は明るい。
けれど妙にテンションが高く、どこか落ち着かない。
「心晶錬金工房でしょうか」
「はい。僕は助手のフィンです」
男性は勢いよく頭を下げた。
「匿名十四男です!」
「分かりました」
席へ案内し、ハーブティーを差し出す。
十四男さんは一口飲むと、待ちきれなかったように話し始めた。
「一目惚れしたんです!」
その声には迷いがなかった。
「スーパーのレジの人なんですけど!」
目を輝かせる。
「挨拶が爽やかで! 笑顔が素敵で! 商品の重ね方や割引券の使用の確認まで、すごく気が利いていて!」
一度、大きく息を吸う。
「彼女のことを考えると、夜も眠れないんですっ!」
僕は少し考えてから立ち上がった。
棚の奥から、水晶板を取り出す。
中央には、“Tales”の文字。
「これは?」
「あなたに合う物語を探す魔道具です」
十四男さんが水晶面へ触れる。
柔らかな光が広がる。
やがて、一つの題名が浮かび上がった。
――与仁岡町の世にもおかしなラブストーリー
十四男さんの視線が止まる。
工房に、ページを送る微かな音が流れていった。
長い時間が過ぎる。
読み終えた十四男さんは、吹き出した。
「ははは!」
肩を震わせながら笑っている。
「面白い!」
しばらく笑ってから、息を整えた。
「たしかに恋って、尊いけれど、滑稽な面もありますよね」
水晶板へ目を落とす。
「考えてみれば」
少し照れたように笑う。
「僕、一目惚れした彼女のこと、何も知らないんです。まともに話したこともない」
小さく肩をすくめる。
「自分も、この物語の登場人物たちと、あまり変わらない滑稽さですね」
そのとき。
僕には、十四男さんのユーモアと創造性を司る第二環に、微かな光が戻るのが見えた気がした。
窓の外では、一匹の蝶が花から花へ飛んでいた。
風に揺れながらも、どこか楽しそうだった。
十四男さんは立ち上がる。
「ありがとうございました!」
工房を出ていく足取りは、来た時より軽かった。
恋心の落ち着かなさが消えたわけではない。
それでも。
少しだけ肩の力を抜いて、その気持ちを楽しめるようになったように見えた。
僕は記録帳を開く。
今日の題名を、静かに書き留めた。
――与仁岡町の世にもおかしなラブストーリー
