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祝 八代目尾上菊五郎・六代目尾上菊之助襲名披露 巳 歌舞伎座 團菊祭五月大歌舞伎

薫風に咲く大輪の花

 今東京歌舞伎座では、「團菊祭」という興行タイトルを守って行かんとする決意と思いが滲み出た襲名披露興行が行われています。
 数十年来菊五郎劇団を背負ってきた七代目尾上菊五郎丈の八代目に託す思いが、ひしひしと伝わる座組であり演目立であることを私は強く感じさせられました。

 七代目は先輩方の思いを受け継ぐと共に、三之助時代をともに歩んだ初代尾上辰之助丈(後に三代目尾上松緑を追贈)六代目市川新之助丈(後の十二代目市川團十郎)の思いをもずっと背負っていらしたのだなと、今更ながら感じ非常に深く胸に染み入る思いでいっぱいになります。

 舞台を拝見して、先輩方や同志の思いが次代に受け継がれることに心を砕き続けて来たのであろうことを強く感じさせる座組であり演目立であることに、あらためて気付かされました。

 そうした七代目の思いに応えるように、劇団として一致団結してこの興行に臨んでいる意気込みや「張り」のようなものが舞台に漲っていて、大変見応えのある舞台が繰り広げられています。

 襲名披露興行というものは、襲名する役者自身よりそれを支える周りの役者達によって充実したものになっていることをいつもは強く感じます。
 もちろん、今回も先輩方や劇団の団結が大きな支えになっていることは確かです。
 しかしこの興行の一座の中心にあって、八代目として菊五郎を襲名することの覚悟を感じさせる新菊五郎の姿が、私には殊のほか印象深く頼もしく感じられました。

 京鹿子娘道成寺

 八代目菊五郎丈、坂東玉三郎丈、六代目菊之助丈の三人花子による娘道成寺。
 私は複数人の演者による娘道成寺を実はあまり面白いと思ったことが今まではありませんでした。今回の三世代の競演による舞台は一種独特の色合いをもっていて、大変面白く拝見しました。

 私が拝見した時は、道行きは八代目と菊之助丈がともにスッポンから登場してきて若干の違和を感じましたが、二人の花道での踊りには不思議な魅力がありました。まさに「花の精」といった趣と言えるのでしょうか。
 八代目の花子は音羽屋らしいおっとりとしつつ存在感のある花子であり、時に細かい表現にこだわる大人顔負けの健気な姿の菊之助丈を包み込むような懐の広さを見せて、二人の色合いの違いとその融合の面白さが際立っていました。

 最近はあまり納得の出来る白拍子の舞を拝見することが出来ていませんでしたが、八代目は能の『道成寺』を彷彿させ、この作品が本来持っているべき炎のような花子の熱情を内に秘めた激しさを表現しようとしていらっしゃるように私には思われました。
 「古典」舞踊としての真髄に迫ろうとする意識が素晴らしと私には感じられました。

 白拍子の舞から町娘のくだりは、三人花子競演の一番の見せ場になっているかと思います。三世代、三人三様の魅力が違和感なく融合していて、恐らく今しか見られない、照明効果に頼らず夢幻的な世界観を現出させている希有な舞台であると感じます。

 新菊之助丈の花子は、人間国宝である玉三郎丈や大きな存在感を見せるようになっているお父様を相手に一歩も引けをとりません。
 振り出し笠のくだりなど一人で広い歌舞伎座の舞台を引き受ける場面もあり頼もしい限りです。
 ただ、菊吉両方の贔屓筋による期待も大きいのでしょうが、私としては老婆心ながら歌舞伎界の「神童」を目指すより、今は伸び伸びとした気持ちを大切にゆっくりと大きく育っていって欲しいと、思わずにはいられません。

 弁天娘女男白波

 さすが音羽屋の襲名披露と言える演し物で楽しませて頂きました。
 「浜松屋見世先」の八代目の弁天小僧は、仁(ニン)を越えて芸で見せる域に成長しつつあることを感じさせ、お父様とは違った魅力に舵がきられているようでもあり、襲名にふさはしい存在感のある、魅力的な弁天を見せて下さっています。

 ただ、八代目が芸として一歩進んだ弁天を見せてくれている分、やはり健闘はしているもののバランスという点で尾上松也丈の南郷では物足りなさが残りました。
 また、市川團十郎丈の駄右衛門は受けの芝居で存在感を見せるにはまだかなりの距離が感じられます。極楽寺を含め座頭格の華や肚の大きさ強さがこの弁天では出て来ていないのが残念なところです。
 尾上松緑丈が江戸っ子らしい鳶頭で花を添えます。
 片岡亀蔵丈が悪次郎でいい味を出していました。

 「稲瀬川の勢揃い」は、弁天に新菊之助、駄右衛門に市川新之助、南郷に尾上眞秀、忠信に坂東亀三郎、赤星に中村梅枝という、将来の歌舞伎界を担うちびっ子達の勢揃いです。
 一つの狂言の極楽寺につながる場面として、作品の流れが途切れる感はやはり免れませんが、祝儀幕としても観客へのサービスとしても一観客としては楽しみにしていた幕でもありました。

 五人の若き白波が皆堂々と立派につとめあげる姿は眩しく、菊五郎劇団の将来も歌舞伎の将来も明るさに満ちていることを感じさせてくれます。

 「極楽寺」菊五郎劇団の底力を見せる大屋根の立回り。
 市村橘太郎丈がからみで出ていたとは、後で伺うまで全く気付きませんでした。今回のためにトンボをかえる稽古をされていたとのお話。還暦を優に越えていらっしゃるかと思います。昔取ったきねづかとは言え、その心意気と身体のキレは日頃からの歌舞伎役者として取組む姿勢があってこそのものだと思います。
 そうした姿勢に若い役者の皆さんも大いに触発されていただきたいものです!

 「滑川土橋」
 七代目菊五郎丈が青砥左衛門で最後の幕を引き締めます。
 襲名興行ならではで、大屋根の立回りのまま終わらずに八代目が伊皿子で左衛門の脇に控え、七代目、八代目の菊五郎が並び立っての幕切れ。
 充実感を味わいながら夜の銀座に目出度く打ち出されました。

 勧進帳

 八代目の襲名披露狂言の扱いではないでしょうが、團十郎丈の弁慶に、八代目の富樫。
 義経に中村梅玉丈。
 梅玉丈の役者としての格に負けないだけの存在感が二人に出てきたのは頼もしい限りであり、新時代の團菊祭を担う決意が感じられる舞台で、歌舞伎ファンとしては大変喜ばしく拝見しました。

 『勧進帳』は人気狂言であり上演頻度も多い分、今まで多くの役者さんのそれぞれに違った個性の舞台をいくつも拝見してきました。
 すべての役者さんが、おそらく九代目團十郎の示した方向性を踏襲してきているのでしょうが‥
 今回、舞台を非常に楽しむことが出来た一方で、この作品の難しさと役者の個性により如何様にも姿を変えられる『勧進帳』の古典としての懐の大きさを改めて感じ、いろいろと考えさせられました。

 この作品の難しさは、能の『安宅』という古典芸能としてゆるぎない存在感を持つ生きた舞台芸術が現に存在する一方で、おおよその展開をその能に負っていながら、能とは全く違う主題を持つ作品として命脈を保っている点にあるかと思います。
 『勧進帳』という作品に関しては別の機会に詳しく考察したいと思いますが‥

 歌舞伎における本作の一番大事な部分は、幕切れの弁慶の引っ込みにおける富樫への感謝と天の加護への感謝であることを、今回の舞台を拝見していて再認識させられました。
 それ故に、義経のみならず富樫の存在が如何に舞台の成否を左右するかということも再認識せずにはいられませんでした。
 それだけ、八代目の富樫に大きな存在感が出てきていたからとも言えると思います。

 歌舞伎においては弁慶のみならず富樫も「先達」ならぬ「先立」なのであり、人を率いる立場の人物どうしが、対立の中で互いの人物を見抜き一方を立てるために一方が身を引くという歴史的背景の構図があるのだと、私は思考えます。

 今回の舞台で目に付いたのは、弁慶の人物としての大きさを肚の芝居で理屈抜きで納得させようとするのではなく、特に前半、今時の役者らしく心理表現を随所に取入れようとする傾向が團十郎丈に見られた点です。
 そうした試みを必ずしも否定するものではありませんが、それが全体として見ると散漫に点描するだけの次元に止まっていて、終始一貫弁慶として破綻が表現されるまでにはまだかなり研究が必要であるように感じました。

 今回の舞台で最も感銘を受けたのは、梅玉丈の義経でした。
 義経という人物の来し方、その波乱の人生の苦悩が滲み出るような姿に胸を打たれました。
 その義経が前を向いてさらに長い道のりを突き進んでいく、そんなことを初めて思わされた義経の引込みでした。
 人物の思いも年輪を重ねた芸に裏付けされて滲み出てくるべきものであることを実感させられます。

 弁慶と富樫は役者としての相性の問題もあるでしょうし、どれだけ相対してお互いが切磋琢磨して成長していけるのか、そんなことが試される芝居なのかもしれないと、今回感じさせられました。
 今後にさらに期待したいと思います。
                     2025.5.11

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