午 大阪松竹座 御名残四月大歌舞伎 昼 『毛谷村』『夕霧名残の正月』『大當り伏見の富くじ』 <白梅の芝居見物記>
中村扇雀丈がおっしゃっている通り、今回の松竹座閉館にともなう公演が≪再寄成良(サヨナラ)≫公演であると信じているので、夜の部以上に昼の部は辛口の感想になってしまうかと思います。
「大阪」が「副首都」を目指しているということは、いつ「首都」の機能を担ってもいい「野心」があるからでしょう。
ただ、日本全体を背負うにはやはり「大きな志」や「大義」を推進できる実力を身に付けなければ、混乱の種にしかならないのもまた事実だと思います。
中世以来の商都としての機能を最大限に生かしつつ、たとえ「商都」に過ぎなくとも、商都だからこそ国全体に対して担える大きな大きな役割があることも確かだと私は考えます。
「民主政国家」全体を牽引するには、今の上方ではまだ実力不足であることは否めません。
それを如実に表しているのが、実は道頓堀における文化的荒廃とも言える現況であるように私には思えます。
なぜなら、「演劇」文化が機能していなような共同体では、実は「民主政」はなかなか成熟することが出来にくいと思うからです。
長い人間の営みの中で、「政(マツリゴト)」も「演劇」も同じ「祭り事」から別れて発展して来たものです。
民衆が率先して自らの意思で「祭り」や「演劇」を盛んに行える、行いたいと思える社会でなければ、成熟した「民主政」は育ちようがないのだと私は考えています。
大上段に構えた物言いから始まってしまいましたが、関西歌舞伎を支えそれを発展させていこうという「志」は、決して「好事家」の思いだけで成し遂げられるものではありません。
ただ「好事家」の思いなくして、成し遂げられることもまたないように思われます。
上方歌舞伎の復活、さらにその発展は舞台関係者だけの情熱で成し遂げられるものではないでしょう。
それを支える、または享受する、享受することの出来る見物が育たなければ成し得ないことでもあるかと思います。
お上がいくら力んでも「笛吹けど踊らず」ということはままあります。
ただ、呼び水になる行動を起こすことは可能です。
そうした施策には大いに期待したいと思います。
彦山権現誓助剱(ヒコサンゴンゲンチカイノスケダチ) 毛谷村(ケヤムラ)
六助住処の前に杉坂があった方が見物にとっては親切でしょう。
それがなくても役者の細やかな芝居で表現していくことが出来ないわけではないでしょうが。
松竹座は見物に細かなところまで行き届いた表現を体感させるには適した芝居空間であることは確かです。
その芝居空間が、中村獅童丈の芝居にはマイナスに働いてしまうところに芝居の難しさがあることを実感します。
歌舞伎座の芝居を担うようになり、座頭格として華のある大きな芝居で観客を惹きつけるように成長されていると思います。
ただそれだけでは芝居の面白さを出すことが出来ないのもこの芝居小屋なのだと思います。
ここでは、大きさや華より大雑把な芝居が気になってしまいます。立派さや強さより細やかな「肚」の芝居がより重要になってくることを感じます。
それは獅童丈だけではなく片岡孝太郎丈、中村隼人丈、そして上村吉弥丈の芝居にさえも感じました。
歌舞伎座での芝居が必ずしも松竹座での芝居作りに有効に働かないのです。
「劇場空間」というものの重要性を再認識させられます。
「演劇」としての充実はこうした芝居空間での修行が非常に大切であることがわかります。
道頓堀での芝居はいったん「休み」に入りますが‥
一方、松竹本社の建替えに伴い800人程度の劇場を持つことを松竹は発表しています。「演劇」としての修行を積める芝居空間の重要性を認識してくださっているのだと思われ、それが救いでもあります。
松竹座で拝見すると、毛谷村の芝居の型そのものがこうした規模の芝居小屋で育ったものであることがわかります。
例えば、弥三松の着物があるのに気がつき六助宅に乗り込んでくる一味斎妻お幸の行動。親子になろうと突拍子もないことを言いだす老女を一先ず受入れようとする六助との腹の探り合い。
いかに芝居としての丁寧な表現を必要とするものか。
そして、そうしたところにこそ本来の芝居の面白さがあることを実感させられます。
歌舞伎座という広い空間ながら、片岡仁左衛門丈の微に入り細をうがつ至芸に酔いしている時には意識に入り込んで来ないような芝居としての違和感を、今回の舞台では否応なく感じさせられました。
ベテランの吉弥丈をしても、この前半部においては喜劇性の中にも武家の妻としての「肚」の芝居がふくらんで来ないのが、どうしても気になってしまいました。
こうした細かい行き届いた芝居が出来てこそ、上方の芝居、喜劇性の中にも人間の本質を描いていく表現というものが成り立つのであろうと、今回非常に強く考えさせられました。
夕霧名残の正月 由縁の月
「坂田藤十郎七回忌追善狂言」
見物としては、中村鴈治郎丈と中村扇雀丈で拝見したかったところではあります。
見物の思いという点では置いてけぼりにされた感は否めません。
夕霧の中村壱太郎丈、伊左衛門丈の中村虎之介丈。実力を付けつつあることは確かですが‥
殊に虎之介丈、上方の芝居を身に付けていくという点では、その道のりはかなり険しいようです。来る役を消化しているだけでは、上方歌舞伎を背負っていけるのか‥、そんな思いにとらわれます。
大當り伏見の富くじ
明治14年<1881>に作られた勝諺蔵の世話物『鳰の浮巣(ニオノウキス)』、その後の松竹新喜劇の『浮かれかご』、そうした先行作を踏まえ齋藤雅文氏によって新たに書替えられた作品とのこと。
演出を齋藤氏と松本幸四郎丈が担なっています。
平成24年<2012>松竹座初演。松竹座のみで3回目の上演。
松竹座でしか上演していないというのもうなずけます。
「大歌舞伎」と銘打ってしまうと、なかなか東京では上演しかねることも確かでしょう。
松竹新喜劇を基調として齋藤氏ならではと言えるのでしょう、新派的な細やかな女性の心情を加味しながら、さらに宮藤官九郎氏の芝居をミックスしたような作品と言えるのでしょうか。
かといって確かに歌舞伎にはなっているのです。
その功績はなんといっても中村鴈治郎丈の鳰照太夫にあるでしょう。
京のおっとりとした魅力を持つ女性を表現させたら右に出る者がいないと思わせるほどです。その上喜劇タッチでありながら、花魁道中を違和感なく魅力的にお見せになるのですから、感服せずにはいられません。
また、遣手の吉弥丈をはじめ、廓の人々を描きだす上で今では歌舞伎役者でなくてはなかなか出せない味わいがあることも事実だと思います。
ただ、道頓堀、大阪の芝居がのるかそるかという現況にあって、役者が楽しんで演じていればそれでいいのか、という思いは私にはどうしても出てきてしまいます。
変にイロ物のような照明や音楽を多用する演出ではなく、じっくり役者の「芸」を見せることにフォーカスした演出であって欲しかったというのが、偽らざる思いです。
楽しんでくださっている見物も確かにいるでしょう。
私自身、楽しめなかったと言えばそれは嘘になります。
ただ、こうした芝居で満足させればいいというように、もし見物を軽く見ているところがあるとすれば、上方歌舞伎に未来はないのではないかと私には思えます。
一時代前から比べると、東西を問わず見物を満足させることの出来る舞台というものの質は、確実に変わってきていると私には思えるからです。
また、変わらなくては上方が日本の行く末に物を申せる存在になっていくことは出来ないだろうとも思います。
そういう点で、この四月興行も夜の部に対する見物の期待の方が大きいのは大変喜ばしいことだと思います。
今の時代、ドリフターズや大阪の花月で繰り広げられていたような経済成長期のドタバタの面白さだけで、見物を満足させることは出来ないのではないでしょうか。
まして、歌舞伎は高価なチケット代を払わなくてはならない舞台芸術なのですから。
また「喜劇」というのは、「人間」そのものの本質、思いや行動というものを鋭く捉えてこそ成立する演劇であることを今更ながら感じます。
そういう点で脚本自体もう一つ深みが欲しいところであることは確かです。
中村歌六丈にお付き合い頂きながら、お家騒動にからめた芝居の展開が人間というものへの鋭い視点が描き出されているとは言えないまま中途半端なまとめ方になっている感は否めません。
ただ脚本だけの責任に終わらせることが出来ないことも確かでしょう。
昨年の三谷作品でも辛らつな批評を加えてしまっていますが、今回の幸四郎丈や獅童丈の芝居では、望まれる芝居までにはまだかなりの距離を感じてしまいます。
上方芝居の衰退を、世の中や観客層の移り変わりだけに帰すことは出来ないだろうことを実感させられる舞台です。
初世中村鴈治郎が上方歌舞伎の象徴となっていたのは、それだけの情熱と使命感と精進があったからこそだと私には思えます。
人生をかけて精進し続けていたからこそ、その魅力的な人間性が舞台に滲み出て、多くの見物の心をつかみ支持を受けていたのであろうと私には思えます。
そうでなければ、一見「ダメンズ」としか見えない人物に東西を問わず見物が魅了されたり、共感を得ることは決してなかっただろうと私には思えるからです。
2026.4.25
