午 大阪松竹座 御名残四月大歌舞伎 夜 Aプロ 『寺子屋』『五條橋』『河庄』<白梅の芝居見物記>
「大阪松竹座さよなら公演 御名残四月大歌舞伎」の昼の部を打ち出されて、呆然とした心持ちで雑踏の中を法善寺に向かいました。
水掛け不動尊にも外国人観光客が詰めかけています。
初めて中座の芝居を見物するために訪れた頃を思い返せば‥
道頓堀が如何にその姿‥、というより街の「趣」がまるで別物に変わってしまっていることを今回ほど痛感したことはありません。
上方芝居の殿堂が姿を消そうとしている御名残の舞台としては、この昼の部は私にとってある意味衝撃的であったことは間違いありません。
世の中は変わっていく物なのだから受入れなければならないのかな‥
そんな思いにとらわれてしまいました。
夜の部を拝見してやっと落ち着きました。
そして改めて江戸東京に大きな影響を与え続けてきた上方芝居の原点というものに思いを馳せることが出来たことは何よりでした。
今回はAプロのみの拝見になりました。
寺子屋 <菅原伝授手習鑑(スガワラデンジュテナライカガミ)>
上演頻度が多く様々な役者さんで多くの舞台を拝見して来た演目です。
それ故に、片岡仁左衛門丈の松王丸による舞台は、江戸歌舞伎と上方歌舞伎の違いがどこにあるのかということを改めて考えさせて頂ける貴重なものです。
上方歌舞伎の重要性を再確認させられました。
舞台というのは役者さんのみならず、その劇場空間や見物によって育てられていくものであることを再認識せずにはいられません。
仁左衛門丈の芸は、三階の一番後ろの席でさえ役者の細やかな芸まで堪能できる劇場空間の中で修行を積んできたからこそのものであることを、改めて強く感じます。
今回、昼の部の中村獅童丈の六助やこの寺子屋の松本幸四郎丈の源蔵との芸質の違いにそれは鮮明に表われています。
人形浄瑠璃文楽が身近にある環境は、上方歌舞伎にとって非常に大きなものであることは間違いありません。
それぞれの「芸」に刺激を与え合い、芸人の腕前で見せる舞台芸術として競合するとともに、舞台を「古典文学」的に洞察していく視点が演者側にも見物の側にも大いにあったであろうことは見逃せない点だと思います。
ただ、近代以降の世の中の激変。
さらに戦後高度経済成長期を経て、一頃は「エコノミックアニマル」と評された日本の時代的風潮が商都に及ぼした影響は非常に大きいものがあったと思います。
また、欧米文化に憧憬をもち身近な日本文化を顧みなくなりがちであった戦後の文化的状況の影響も見逃せないでしょう。
東京以上に文化の担い手が急速に変質してしまった痛手は非常に大きかったことを痛感します。
上方文化を支えていた「船場」の商人文化が今や無きに等しいものである影響は計り知れません。
こうした時代状況の中でも、上方芝居の灯火を消すまいとした役者の皆さんの奮闘、それを支えてくれた関西歌舞伎を愛する会の方たち等の思い、中座が閉座してしまった道頓堀に松竹座を劇場として再開場させた松竹の心意気、全てに対して感謝の気持ちでいっぱいになります。
義太夫狂言というのはやはり道頓堀にある劇場空間くらいで拝見するのが丁度いい文学性の高い作品群であることを、松竹座に教えられてきました。
上方で育まれた芝居が、時代を越えて常に江戸・東京の芝居にも非常に大きな影響を与え続けてきたのは、舞台芸術としてだけではなく「演劇」としての精神を常に「歌舞伎」が持ち続けてきたからでしょう。
江戸歌舞伎は常に上方で育てられた芝居によって「演劇」としての精神を舞台芸術に注ぎ込むことが出来ていたのです。
歌舞伎の歴史を振り返えればそのことは容易に知れます。
竹本と役者の芝居が非常に有機的に結び付いている舞台というもののダイナミズム。
頭だけでなくまさに「体感」出来る面白さというものを強く感じさせられる空間であり、今回の公演は技巧以上に竹本の奮闘もあるのでしょう、それが大変よくわかる充実した舞台です。
片岡孝太郎丈の千代、幸四郎丈の源蔵、中村壱太郎丈の戸浪、市川高麗蔵の園生の前、中村亀鶴の玄蕃、が真摯な舞台で仁左衛門丈の脇を固めます。
ただ、この空間で育った「芸」や味わいにはまだ距離があることは確かであり、上方芝居を担おうとする「心意気」があるのであれば、一層の研鑽を望みたく思います。
五條橋
中村獅童丈の武蔵坊弁慶、中村陽喜丈の牛若丸。
獅童丈は役者ぶりの大きさが出てきて華もあり、下半身の安定が出てきたのが嬉しいところです。
陽喜丈は、家を離れた地で一月間、昼の部では弟、夏幹丈の代役まで引き受けて、夜の部の『寺子屋』の小太郎、とこの牛若丸と、三役の大奮闘です。
小さなその身体に責任を一身に背負う姿を、優しくお父様が包むようにしているのが、とても印象的な舞台となっています。
河庄(カワショウ) 心中天網島(シンジュウテンノアミジマ)
「坂田藤十郎七回忌追善狂言」と銘打たれた「玩辞楼 十二曲」のひとつ。
悲劇性の強い心中物の芝居の一場面ながら喜劇の味わいを散りばめた和事の芸で見せる、上方ならではの世話狂言です。
二世中村鴈治郎丈の舞台は拝見したことがないのですが、坂田藤十郎丈では何度か拝見しています。
ただ、今まで私はこの作品の本当の面白さに気付いていなかったように今回感じられました。
一昨年の3月南座で尾上右近丈が演じられた舞台を私は拝見していないのですが、治兵衛を「ダメンズ」と見なすSNS上のコメントが見られて妙に心にひっかかっていました。
当代の鴈治郎丈の治兵衛はお父様の舞台をよく写していらっしゃると思います。
ただ、河庄の治兵衛が「ダメ男」として見物の記憶に残っていいのか、という思いはどうしてもあります。
原作の近松門左衛門作『心中天網島』は享保5年<1720>12月6日大坂竹本座で上演されました。
その年の10月14日に網島の大長寺で起こった心中事件を当込んだ、当時の「際物」と言える作品であったと思います。
ただ、役名はその事件の当事者の名前を用いてはいても、ストーリー展開を見ると本作に登場する人物には他の作品同様に歴史上の人物が投影されていることは明らかだと、私は考えます。
本作は、初演以来上演が途絶えていたのを近松半二が改作(『心中紙屋治兵衛』)、それをさらに改作した『天網島時雨炬燵』によって上演が繰り返えされるようになりました。
近松門左衛門の原作は近代文学的な色合いさえ感じられ、現行の人形浄瑠璃や歌舞伎での上演には向かないと思います。むしろ映画やドラマとして表現され得るような面白さがあるように私には感じられます。
その原作を元にしながら、半二の作品は如何にも人形浄瑠璃らしいものに改作しており、作品としての色合いはかなり違うものになっています。
それでも際物としての心中事件を扱っただけの作品ではないために、作品としての趣を全く異にしながら、通底するテーマは確かにあるのです。
歴史のどんな状況を切り取った作品であるのかは、私自身がまだ消化し切れていない事象を扱っているためここえは踏み込めないのですが‥
初世鴈治郎が東京の見物をも大いに魅了したと語り草になっている治兵衛が「ダメ男」として見物の記憶に残ったとは私には考えられません。
喜劇性を帯びながらも、治兵衛の性根は「ダメンズ」として描かれるべきものではないと私は思います。
思うにまかせない自分の置かれた境遇に苦悩し哀愁を漂わす。真摯で誠実な思いを身に引き受け応えようとする人物だからこそ、裏切りにあったと思い込んでしまったら後先考えられなくなり怒りを爆発させる。
喜劇タッチで描かれはしますが、治兵衛の姿に誠実な人物像や真摯さゆえの怒り、それでも小春を信じたいという一途な思い、そうした性根が滲んできてこその芝居なのだろうと私には思われます。
そう考えると、今の鴈治郎丈の芝居よりもう一歩進んだ性根のある、魅力的な人物像を描きだしてくださる芝居を望まずにはいられません。
『河庄』も、『時雨炬燵』を演じきれるような芝居の深さがないと本当の芝居としての面白さが出ないのではないか‥
そんな思いに私はとらわれてしまいます。
中村歌六丈の孫右衛門が喜劇性をよく出す一方で、孫右衛門の役としての性根もしっかりと伝わる芝居です。
その両面性が違和感なく一人の人物として描き出されていくのを拝見し、上方歌舞伎の面白さというものは本来こういうものなのだろうということを、教えていただいたように思います。
中村扇雀丈の小春。義理を貫こうと辛抱する思いやその切なさがひしひしと伝わってきて、艶といい風情といい非常にいい舞台を拝見させていただきました。
上村吉弥丈のお庄。上方歌舞伎になくてはならない存在感を出していらっしゃいます。
幸四郎丈の太兵衛、壱太郎丈の喜六。ご馳走的配役です。ただ、こうした役どころの味わいを教えてくださる舞台にはあまりお目にかかれてはいないのが正直なところです。
技巧的にすぐれた上方らしい「間」の芝居、味わいを望みたいところです。
中村虎之介丈の三五郎。上方芝居において喜劇的役回りを多く担う丁稚。その芸系というものを大切にさらなる研鑽を望みたく思います。
2026.4.19
