巳 南座 當ル午歳 吉例顔見世興行『平家女護島』『寿曽我対面』『弁天娘女男白浪』『三人形』<白梅の芝居見物記>
八代目尾上菊五郎、六代目尾上菊之助襲名披露
平家女護島(ヘイキニョゴノシマ) 俊寛
痛恨のミスをしてしまい、本興行ではBプロのみの見物。
中村勘九郎丈の俊寛、中村隼人丈の成経、嵐橘三郎丈の康頼での出だしはしっくりとせず、若い世代にはしどころがあるわけでもないこういった場面が一番難しいことを痛感させられます。
それが、後半になると勘九郎丈の俊寛が中村屋ならではの芝居で一挙に見物の心をとらえます。
理で積み上げていく芝居とは違い魂の叫びがストレートにぶつけられてくる。
「後生を助けてくれぬか。俊寛が乗るは弘誓(グゼイ)の船‥」
この台詞が俊寛という人物を鮮やかに描き出しているのを初めて感じて、理屈抜きに納得させられました。
その思いがあればこそ幕切れ、三悪道(餓鬼道・修羅道・地獄道)をこの世で果て「菩薩」の境地に達している姿となって表われる‥
孤独や絶望の姿が深く刻まれるのではなく、見物の心にも救いをもたらしてくれる‥
〽思い切っても凡夫心‥」が心に深く深く刻まれた‥
大立役者達の俊寛はある時代の日本人の魂の叫びだったのであろうと、この新しい俊寛を目の当たりにしてかえって考えさせられました。
古典というものの奥深さを再認識させられます。
中村莟玉丈の千鳥が島で育った一途でたくましい娘を好演。生命力に溢れた明るく元気で個性の光る娘を描き出しています。
隼人丈の成経、坂東巳之助丈の丹左衛門は役者として難しい段階にあることを感じさせられました。
坂東彦三郎丈の瀬尾はクセがないところがかえって新しい感覚の敵役としての存在感をかもし出していました。役者さんそれぞれの色合いを生かしていく道の大切さを実感させられます。
寿曽我対面(コトブキソガノタイメン)
東西合同の重厚感のある一幕で、南座の舞台が狭く感じられるほどです。
重厚感と張りのあるいい舞台だからこそ、さらに歌舞伎座の舞台とは違った南座ならではの繊細な芝居にこだわったものが見たくなってしまいました。
見物としてどこまでも貪欲でもうしわけないのですが‥。
江戸歌舞伎と上方歌舞伎の違いが今でもあるとすれば、どんな劇場で歌舞伎が上演され見物も役者も育てられているのか。
それが思いの他大きいことを今回の舞台を拝見していて非常に強く感じました。
南座ならではの芝居を生かす意識もさらに持って頂けたらと願ってやみません。
中村梅玉丈の工藤が大歌舞伎の格式でその存在感なくしてこの一幕が成り立たないことを実感させてくださいます。
中村鴈治郎丈の朝比奈、中村扇雀丈の大磯の虎が舞台に厚みを与え存在感が高まっていて頼もしい限りです。
片岡愛之助丈の荒事に対する意気込みを強く感じます。
片岡孝太郎丈は、最近の十郎の全般的な傾向ですが和事の味わいがかなり後退しているのが残念です。五郎の荒事に引っ張られるのではなく、あくまで和事で受け止めることの出来る存在感が必要な役なのだと思います。
詳細はここでは踏み込めませんが、芝居のコントラストという点だけでなく、直情的に怒りを露わにする五郎とは違い、礼節を知り物事を冷静に考え行動出来る大人(タイジン)としての器が求められる役であると、私は考えます。
この一幕は新菊之助丈の襲名披露狂言でもあります。
並び大名をはじめ若手に至るまで緊張感のある大舞台ですが、友切丸を携えての登場で鮮やかに場を支配するオーラを放ちます。
短い出番ながら非常に印象に残る舞台を見せます。
弁天娘女男白浪(ベンテンムスメメオノシラナミ)
豪華な襲名披露の口上に続き、新菊五郎丈の弁天小僧。
浜松屋の場における名台詞「知らざあ言って聞かせやしょう‥」が素晴らしく久々に聞き惚れてしまう台詞を堪能しました。
お父様に勝るとも劣らない弁天小僧役者であることを強烈に印象づけます。5月の歌舞伎座より一層磨きがかかっていて素敵な舞台でした。
ニンであるはずの弁天小僧であるにも関わらずともすれば注目頻度が下がってしまうのは、ひとえに決定版の南郷に恵まれないためでもありましょう。
今回は勘九郎丈がつとめます。間の良さなどイキも合い菊五郎丈自身も楽しんで舞台をつとめられているのではないかと想像できる舞台です。
ただ、決定版とまでは言い難いのは否めません。それがどうしてかということを教えてくれたのが稲瀬川の場です。
役者ぶりはいいのです。
ただ、この場で中村兄弟の台詞術が五代目菊五郎の系譜ではなく、六代目菊五郎系統の台詞術の系譜にあるのであろうことがはっきりとわかりました。
この稲瀬川の場も決定版と言えるような舞台が今なかなかありません。
新菊五郎丈の台詞も浜松屋ほどの精彩がありませんでした。
特に花道における五人男のツラネなど、花形役者が並ぶことだけで事足りているという意識なのでしょうか。
短いながら黙阿弥の芝居独特と台詞を聞かせるという意識や技術が菊五郎丈以外の他の四人にはほとんど感じられませんでした。
本舞台ではさすがに聞かせようという意識は感じますが、台詞を堪能させていただくまでには至っていないというのが正直な感想です。
襲名披露狂言としての盛り上がりに欠ける感は否めず残念です。
中村歌六丈の幸兵衛、中村橘太郎丈の番頭、中村鷹之資丈の宗之助が浜松屋の場に厚みを与えていました。
三人形(ミツニンギョウ)
文政元年<1818>4月江戸中村座、『東山殿劇場段幕(ヒガシヤマドノカブキノダンマク)』の大喜利所作事―『其姿花図絵(ソノスガタハナノウツシエ)』という三段返し舞踊の上として初演されたのがこの『三人形』とのこと。
常磐津舞踊。
奴、巳之助丈。若衆、隼人丈。傾城、中村壱太郎丈。
元禄期の古風な味わいを残すものとされていますが、今回の上演では全くそうした味わいが感じられなかったのがとても残念です。
この舞踊に対する捉え方が根本的に違ってしまっているのではないかという危惧を感じずにはいられない舞台でした。
『東山殿劇場段幕』は確かに不破名古屋の「世界」を扱っていますが、この舞踊において、若衆を名古屋、奴を不破と置き換えて捉えてはいけないのだろうと私は考えます。
初演時の大喜利舞踊の配役は、奴を②中村芝翫、若衆を③坂東三津五郎、傾城を⑤岩井半四郎が演じていますが、「不破名古屋」の世界としての狂言では山三を芝翫、不破を⑤松本幸四郎が演じています。
初演時の番付や明治6年の豊原國周の錦絵を見ると、若衆をおそらく演じ手のニンや好みに合わせて山三を思わせるなりをしているので混乱を生じさせる要因となっているのだとは思いますが‥。
ただ、初演時から詞章に変化があるのか調べていませんが、〽紫匂う置頭巾」とあるので、若衆のあつらえは現行の方が作者の意図をくんだものでありそうした解釈が確かに伝わっていたのだろうと推測します。
そしてこのあつらえは山三のそれと見なしてはいけないだろうと私は考えます。
ことに、奴に関しては不破と結び付けてしまうと、「供奴」の系譜全体に混乱が生じるように思います。
〽昔を今に筆の跡‥」とあるのは、もとは猿若を従えた男装の阿国が茶屋遊びをするところが想定されていたのではないかと私は推測するのです。
今回の解釈には再考を望みたいところです。
2025.12.13
