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巳 歌舞伎座 顔見世大歌舞伎 昼 『御摂勧進帳』『道行雪故郷』『鳥獣戯画絵巻』『御所五郎蔵』 <白梅の芝居見物記>

 松竹創業百三十周年として本年、歌舞伎座において顔見世興行が賑々しく行われています。
 そのことだけでも、歌舞伎芝居に親しむ者としては嬉しい限りです。
 小兵揃いという印象が当初はありましたが、ベテランから若手まで多くの役者が揃い文字通りの「顔見世」となっていて壮観です。

 昼の部はたっぷり5時間の長丁場ですが、彩り豊かな演目立で「ゆるりゆるり」と芝居見物を楽しむ醍醐味がまた格別です。
 客席の賑わいに役者さん達の熱も入り舞台としても充実していて、あらためて歌舞伎の底力を感じさせられました。

 御摂勧進帳(ゴヒイキカンジンチョウ)

 初代桜田治助作、安永2年<1773>中村座の顔見世狂言。
 三幕目の<安宅の関>の場で三代目市川海老蔵(四代目團十郎)の弁慶で当たりを取った趣向が大正期に二代目市川猿之助により復活されました。
 能がかり物の『勧進帳』とは趣を異にした歌舞伎らしい一幕です。
 通称「芋洗い勧進帳」

 初期の人形浄瑠璃芝居は一人遣いであったために、見物を飽きさせないように、立回りなどが見せ場として随所に配されていました。
 なかでも、江戸時代初期、江戸の地では豪快で正義感にみちた武勇の若者を主人公にした「金平(キンピラ)浄瑠璃」が一世を風靡しています。
 人形の首を引き抜いたりかなり荒々しい演出をもっぱらとする人形芝居でした。

 歌舞伎の「荒事」も、この金平浄瑠璃に大きな影響を与えられていると言われます。
 そうした人形芝居に影響を受けた演出の伝統の上に「芋洗い」という趣向も成り立ったのでしょう。当初からおおどかで豪快な芝居で、見物もそれをおおらかに楽しんでいたのではないでしょうか。

 人形芝居にも慣れ親しんでいた者として、私自身は初見からさして気になる演出であるとは感じていなかったのですが‥。
 先日『暫』が上演された時、鎌倉権五郎が大刀でからみの首を一度に切り落としていく場面で外人の方が「Oh,my god!」と思わず口走っているのを耳にした時、一般の見物の捉え方はそんなものかと、かえってびっくりしてしまいました。

 荒唐無稽であることは確かでしょう。
 ただ、役者さんにはおおどかに演じいただき、見物としてはおおように楽しんでいけたらと思う一幕です。

 そういった意味でいうと、今回のこの一幕は役者の皆さんが真面目に一生懸命演じられ過ぎているきらいがなくもありません。
 手を抜いたり、不真面目に演じるよりはずっといいとはおもうのですが‥。
 ただ、能がかりの『勧進帳』とは根本的に描こうとしているものが違うことは忘れてはならないでしょう。

 斎藤次の市川市蔵丈でさえ役者としての味わいや愛嬌が今ひとつ足りなく感じてしまって物足りないのですから、若手にそれを求めるのは酷かもしれません。
 そんな中で、市川荒五郎丈の鈍藤太がいい味わいを出しているのが印象的でした。

 若手に多くを求めすぎてもいけないのかもしれません。
 が、中村橋之助丈の富樫はどなたに教わったのかわかりませんが、出来ないというより役としての捉え方自体に私は違和感を覚えてしまいました。

 坂東巳之助丈の弁慶は荒事の大きさおおようさはまだまだであり、また一巻の扱いに疑問が残りました。
 ですが、幕切れの芋洗いをいたずらっ子のような表情で楽しんでいる様子に思わず笑がこぼれ、見物としても楽しい幕切れとなったことは確かです。

 道行雪故郷(ミキユキユキノフルサト) 新口村

 清元の舞踊として『恋飛脚大和往来』の「新口村」の場が描かれます。
 梅川に中村雀右衛門丈、忠兵衛に中村扇雀丈、才蔵に中村錦之助丈。
 舞台面の美しさと、最近はあまりお目にかかることのない「新口村」を上方風の情緒でしっとり見せます。
 顔見世にふさわしいベテラン陣の舞台が大歌舞伎の落ち着きをかもし出していて、安心と充実の一幕となっていました。

 鳥獣戯画絵巻

 本興行では初演という舞踊劇。 
 北條秀司作、藤間勘斎振付、藤間勘右衛門(尾上松緑)演出。
 失礼ながらあまり期待をしていなかったのですが、あまりの面白さに感嘆せずにはいられませんでした。

 七代目尾上菊五郎丈をに出演して頂いたのは大変大きかったと思います。
 七代目の存在感によって、よい加減の緊張感とおおどかさが融合して一種独特の世界観が大歌舞伎の舞台に現出されました。

 女蛙男蛙役の中村萬壽丈と中村芝翫丈が短いながらベテランの「芸」で、単なるファンタジーで終わらせない歌舞伎役者ならではの舞踊を牽引します。
 その丁寧で隙のないしっかりとした舞台が、後に続く若い一座のこの作品に取組む姿勢を導き出しているのは確かでしょう。
 見物としては序盤からこのベテランの存在感のある舞踊で大きな充足感を与えていただき、舞台にしっかり引き込まれました。

 ベテランの取組みに牽引され、坂東彦三郎丈をはじめ「顔見世」というのに相応しい若手総出と言えるような賑やかな舞台は圧巻です。
 たくさんの若手が顔を揃えているというだけでなく、それぞれがご自分の個性をかもし出しながら、割り当てられた役を丁寧に誠実につとめている姿を拝見できるのは、見物にとっても至福のひとときです。

 さらに、演出家のセンスが非常に光っていたるのが特筆すべき点でありとても印象的でした。
 和と洋を違和感なくうまく融合させた音楽や効果音。
 新しい時代の感覚の美学がつまった舞踊劇であり、群舞の可能性を確かに示す作品となっていました。
 それは、ひとえに尾上松緑丈の思い入れの強さとリーダーシップ、それを支えるスタッフ陣の熱量があったからでしょう。

 新感覚の舞台が顔見世という大舞台に新たな彩りを与えて下さっている必見の舞台であると思います。

 曽我綉俠御所染(ソガモヨウタテシノゴショゾメ)―御所五郎蔵(ゴショノゴロゾウ)

 河竹黙阿弥作、元治元年<1864>正月、江戸市村座。「御所五郎蔵」のくだりは二番目としての上演。
 タイトルからもわかるように、江戸における正月芝居の恒例であった曽我の仇討ちの「世界」を扱っています。
 初演の五郎蔵は市川小團次。

 その五郎蔵を今回片岡愛之助丈がつとめます。
 役者ぶりもあがってきていて、先輩方の芝居をよく研究されていることがわかるいい舞台だと思います。
 ただ、愛之助丈の五郎蔵はこうなのだという「イロ」がよく見えないのが私としては物足りなさを感じてしまうところではあります。

 音羽屋風の江戸っ子の五郎蔵とは趣を異にしていて、師匠である松嶋屋、そして初演時の小團次の系譜にも位置づけられる五郎蔵と言えるでしょう。
 そうした系譜の中で、愛之助丈ならではの五郎蔵がどういった男伊達を目指しているのか。
 器用にこの役を写してはいると思います。ただ愛之助丈の美学が加味され、役者としての個性が色濃く見えて来てこその歌舞伎だと私には思われます。
 今後に期待したく思います。

 尾上松緑丈の土右衛門。敵役としての手強さ。妖術を使う怪しさ。この仁にしか出ない味わいが確かに出てきているのは頼もしい限りです。

 松本幸四郎丈が留め男で吉原仲ノ町の場を盛り上げます。

 中村時蔵丈の皐月が若い美しさの上に、立女方の風格が出るようにさえなってきていました。短い場面ながら皐月の性根もしっかりと演じきられていて見応えがありました。
 こうした花も実もある女方が輝きを放てるような芝居がもっと発掘されたり、書き下ろされたりする時代になっていって欲しいと切に願います。

 中村米吉丈が時蔵丈とは違ったかわいらしさ、人のよさが滲む傾城を好演。五郎蔵の主筋の思い者であることがわかる人物像でその美しさとあいまって、この仁の魅力が遺憾なく発揮される役どころであることを実感します。
 殺しの場面も愛之助丈との息も合い、非常に美しく魅せて頂きました。

 仲ノ町の場面で土右衛門側の子分達に味がある一方で、五郎蔵側の子分に精彩がないのが今回とても残念に思うところでした。
 男伊達の子分として違和感がなかったのは中村歌之助丈のみ。台詞といい身のこなしといいそれらしく舞台に存在することの難しさ。見物としては子分と言えども男伊達の魅力を見せて頂きたい場面です。
 名指しで申し訳ないのですが、市川染五郎丈が端敵のように肩をゆすって歩く姿だけは稚拙以前の問題のように私には思われます。
                       2025.11.9

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