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バスに乗ってみようと思った日のこと

その瞬間はとっくの昔から約束されていたように、あたりまえのような顔をしてやってきた。
ずっと前から予定されていたかのように当然に。


ある日、私は突然、文章を書いてそれをインターネットにのせて公開してみようと思いたった。
その前の日まではそんなことを考えてもみなかった。
ただ、その瞬間はある日、唐突に訪れた。
そして私はそれ以来、書く人生を歩みはじめた。



2021年6月1日、その日は朝から雨が降っていた。
普段は電車で通勤しているのだが、なぜかその日は、ふとバスで職場まで行ってみようと思いたった。私は通勤経路に遊び心をみせるタイプではない。だから長年、仕事をしている中で、日によって通勤手段を変えてみようと試みることはなかった。毎日、同じ時刻の同じ電車に揺られて職場に向かうことを常としていた。

だがその日は、どういうわけか、いつもは乗らないバスに乗ってみようといういたずら心が芽生えた。それは些細なことではあるが、私は今までにない自分を発見したような、不思議な感覚をいだきつつ、定刻より少し遅れて、家の最寄りのバス停に到着した緑色のバスに乗り込んだ。

雨の日のバスは混んでいた。正確に言えば、早朝の通勤時間にそのバスに乗ったことはないので、雨だから混んでいるのか、その時間はいつもそれくらいの混雑なのかは分からないのだが、その時の私はぼんやりと、雨の日のバスって混むよな、やっぱりいつも通り電車で行けば良かったかと、通勤経路に遊び心をもってしまったことについて軽く後悔の念を抱いた。

そして、これも雨ゆえか、いつものことなのかは、はっきりとしないのだが、バスは渋滞に巻き込まれた。とにかくバスは前に進まない。私はいつもかなり余裕をもって家を出るので、職場に遅れることはまずなさそうなのだが、それにしてもバスは動かない。

私はしばらく、車窓の雨つぶを眺めて、時間を持て余していた。
梅雨のはじまりを告げる雨。バスの窓を間断なく叩く。

その時、なんの前触れもなく、文章を書いてみようという気持ちが湧き上がった。

これまでの人生で、自ら進んでまとまった文章なんて書いたことはない。
学生時代に作文やレポートなどは書かされたことはあるが、それはやらなければいけないことであり、こなすだけのものであった。

仕事をしはじめてからも文章らしきものを書く機会がなくもなかったが、それは報告書というようなたぐいのものであり、そこに創造性や自分らしさが介在する余地はなかった。

私はそれまで、内なる気持ちから、自分のほんとうに考えていることを文章にするという経験はまったくなかった。

ただ、バスに乗って職場に向かったこの日、私の中に文章を書いてみようという気持ちが突然、芽生えたのだ。

好きなアーティストがnoteで文章を書いていたので、noteというプラットフォームがあることは知っていた。

そのnoteにアカウントを作れば、自由に文章が作れ、インターネットを介して多くの人に見てもらえるらしい。登録名は「しろ」にした。

あっという間に、初期設定が終わり、両親に対して葛藤する気持ちを書いた。渋滞で思うように前に進まないバスが、目的地に到着するまでの約40分間、たしか2000字くらいの文章があっという間に出来上がった。

書き終わった時は、なんとも言えない爽快感が胸に広がって、憑き物が落ちたようなすっきりした感じがあった。

文章のできはよく分からないがとりあえず満足は得られた。体の中から込み上げてくるような達成感もあった。


そして、その日以来、noteで文章を書く日々がはじまった。来る日も来る日も文章を書き続けた。
真面目な文章も、時にはふざけた文章も。

それは、今振り返ってみると、これまでの人生で背負った荷物を、一つずつ下ろしていくようなことだったように思う。
それまで生きてきた中で、たくさんの経験をして、さまざまな感情をいだいてきた。
それが気付かないうちに澱のように溜まり、心の中に積み重なってしまっていたのだろう。
そんなぐちゃぐちゃなものは、知らないうちに私にとって重荷になっていた。その重荷で私は身動きがとりにくくなっていた。
書くことはそんな時に救世主のようにやってきた。

書くことは、私にそんな重い荷物を整理させ、しかるべき場所に下ろさせてくれた。

重い荷物を背負った心が、私に文章を書かせたとも言えるのかもしれない。
心が重荷に耐えられなくなる限界をいよいよむかえた時、文章を書くという行為を、心が私に迎え入れさせた。

書くこと、それは突然ふってわいてやってきたように思えたが、その時の自分の心のありようを考えると、必然のことだったと今は考えるようになっている。


「しろ」のアカウントはある時、ほんの一時の気の迷いで消してしまったが、今は「くろ」として書き続けている。
ここまで文章を書き続けてきて、この重荷の正体が少しずつ見えてきた。
文章を書くことは、もやもやしていた気持ちを言語化して意識化する過程だった。


私は幼少期から劣等感と隣り合わせて生きてきた。今でもわりとそうだが、周りの人が普通にできることができないという気持ちをずっともっている。人よりできない、できなかったという思い出はいくつもある。

例えば、幼稚園での運動会のダンスのことだ。
みんな先生のお手本を見て上手に踊っている。
私はお手本どおりにやっているつもりでいても、まるでできない。それを周りの友達に指摘されると、余計に混乱して、手足をどのように動かしたらいいかすら分からなくなってくる。
運動会の写真にはまったく周りと違う動きをしている私の姿が記録されていて、それを悲しそうに見る父と母の表情をよく覚えている。

小学生になっても、字を書くことが苦手で、何度練習してもひらがなが上手く書けなかった。私の書く文字は、とても親切な人がいて、その人がかなり好意的に解釈すれば、なんとかひらがなと呼んでくれる、というレベルのものだった。
母は私がそんな文字しか書けないことを知ると慌てて、毎日つきっきりで私にひらがなの練習をさせたが、それは実を結ばなかった。その毎日のひらがな特訓は、いくらやっても成果があがらない私に対して母が「なんで何回やってもできないの!」と怒り狂うことか「もういいよ」と深い諦念のため息をつくことしかもたらさなかった。
私はもちろん大真面目に真剣に取り組んでいたのだが、不思議なことにどうやっても文字は手本どおりになってくれなかった。

そしてそれからも、ダンスやひらがなだけでなく、多くの人があたりまえにできることができないという経験は、たくさん私の中に積み重なっていった。

ただ、その一方で、どういうわけか分からないが、私の真の価値はどこかにあり、それは多くの人の前で表現されるはず、という不遜な気持ちをずっともち続けていた。

すごく畏れ多いことではあるが、例えば好きなバンドのライブに行った時、もちろんひとりの観客者としてそのパフォーマンスに感動するのだが、それと同時に自分は本来ならあのステージのような場所にいるはずの人間だと思いながら観ていた。

実力も実績もなにもなく、人前に立つ資格などないのだが、なぜだかそのような気持ちが常にあった。とても恥ずかしくて、分不相応なのだが、そう信じきってしまっていて、私は「何者かになれるはず」という根拠のなさすぎる自信を疑いなくいだいていた。

その理由は、小さい子どもが野球選手になりたいとか、総理大臣になりたいとか無邪気に望むような、幼さゆえの気持ちをもち続けてしまっていたのかもしれない。
きっと、私は成熟しきれていなかったのだ。
精神的に子どもだったのだ。

あるいは、できないことがあり過ぎて、劣等感があまりにも強く、「何者かになれる」と思っていなければ、私の弱い気持ちは保てなかったからかもしれない。

「何者かになれるという」という思いは、私にとって未熟さの現れであり、叶うはずのない希望だった。

私は劣等感とそれと対極にある、このような変な自信を同時に心の中におさめながら生きていた。

ただ、そんないびつな気持ちをもちながら、生きていくのは限界だという日がやってくる。

その時、私の心は書くことを求めた。

その気持ちのいびつさを浮き彫りにして、いびつさから抱え過ぎてきた荷物を下ろし、生きることがしやすいように。

書いているうちに、自分の考えていることがはっきりと輪郭を表してくる。
ぼんやりしていた思考が明確になる。

書くことにより、もやもらした名前をもたなかった感情という重荷が整理されて、片付けられていき、次に進もうとする気力がもたらされる。

自分の中にあったどうしようもない劣等感と、傲慢な自信がはっきりとした形として認識できたのも書くことのおかげだ。

はっきりと認識できたからこそ、そんな自分の感情と正面から向き合えるようになり、なんとか乗り越えられそうだ。

私の書く瞬間は、偶然のようにあらわれたが、それは必然だった。

そして救いだった。

きっとこれからも私は文章を書き続ける。
ゆっくりと荷物を下ろし続けていくために。
前に向かって歩いていくために。

私の書く人生は、はじまったばかりだ。


こちらのコンテストに参加したいと思い、書きました。
みくまゆたんさん、よろしくお願いいたします!

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