【掌編】背徳のエンドロール
「あ、この子見たことある」
君がそう呟くと同時に僕の心臓が跳ね上がったのは、画面に映るその女優があずまいちごだったからです。
一話完結のミステリードラマ。冒頭に起きる殺人事件にて、あずまいちごは被害者の女子大生役で出演していました。
「えーっと、誰だっけ」
犯行が終わり場面が切り替わっても、君の気がかりは消えません。「なんか違う作品にも出てた気がするんだけど」。目線を上げ、記憶を辿るような素振りを見せます。
まさか、そんな。
平静を装いながらも、僕は困惑を覚えます。
あずまいちごというのは確かに女優さんではありますが、しかし彼女が出演している作品のターゲットは君のような可愛らしい女の子ではなく、僕ら情熱溢れる男性陣をメインとしたもの。この場で出演作のタイトルなど口にしようものなら、すぐさま空気が凍りついてしまうような、そういうフィールドで活躍されている女優さんでございます。
そのあずまいちごを君が見たことがあるなんて。
そもそも彼女がこうしてゴールデンタイムの地上波に出てきたこと自体、驚きでありますが、しかしわからないでもありません。あずまいちごが殺されるシーンは、プールサイドで髪を拭いていたところを後ろから襲われ、濡れた水着姿で四肢を投げ出すという、幾分扇情的な映像で構成されたもの。そういう役どころは彼女の得意分野と親和性が高く、的確なキャスティングと言えるでしょう。加えて大衆娯楽である以上、話題性が一層重視される昨今。冒頭で我々男性陣の心を鷲づかみ、あわよくばSNSで『晩飯食いながらドラマ見てたらあずまいちご出てきて噴いた』などと呟かれ、ドラマのタイトルと共にトレンド急上昇、などという制作陣の思惑も見え隠れします。
いや何してくれてんねん、制作陣。
平日夜間、仕事帰りに遊びに来てくれた可愛い彼女とのスウィートタイムに、とんだ爆弾を仕掛けてくれたものです。プロデューサーもディレクターも新米のADさんも一列に並べて端から順にカチンコでどついてやりたい気分です。
「うーん、名前が出てこないなぁ」
だからあずまいちごだよ。なお続く君の逡巡にそう答えてやりたいところですが、いやはや勇気が出ません。このネット社会、君は直ちに手元のスマートフォンでその名を検索することでしょう。それなりの年月を共にした恋人同士ならばいざ知らず、僕らの交際はまだ始まったばかり。その検索結果に、微妙な空気が流れることは必至でございます。
「誰だっけ。トモ君、知ってる?」
「いや、知らね」
嘘ですごめんなさいトモ君は知っていますあずまいちごです。
あずまいちごと見せかけて実はまったく違う女優さんなのでは、と希望的観測を打ち立ててもみますが、あずまいちごです。顔だけでなくフォルム全体が記憶と合致するのです。あずまいちごでなければ、彼女のクローンです。
しかし、君のような子が、フォルムで照合できるほどあずまいちごを熟知しているわけはありません。朧げながらの顔立ちや雰囲気を頼りに、メモリ検索をかけているのでしょう。そして悲しいかな、それがあずまいちごである可能性は極めて低い。きっと、どなたかの姿と思い違いをしているはずなのです。
そう、だから大丈夫。
必死に記憶を漁りアハ体験を試みる姿はこの上なくいじらしいですが、残念ながら君が正解に辿り着くことはない。このままドラマのエンディングを迎え、明日も朝早い君にコートを着させて無事に駅まで送り届けてしまえれば、殺された女子大生の正体は有耶無耶になることでしょう。
大丈夫。このまま知らぬ存ぜぬを決め込んでいれば。
「まぁ、いっか。エンドロールで名前出るでしょ」
「……へ?」
思わず視線を移した僕に、君は一瞥をくれます。
「最後に役者さんの名前、出るでしょ。そこで確認する」
「……あぁ」
再び画面を見る君。僕もそれに倣います。
「終わっても消さないでね」
「んー」
あたかもドラマの続きが気になり、生返事をしている風を装っていますが、その実、話の展開などまったく入ってきません。犯人?トリック?どうでもよかろうそんなもん。僕の頭の中は、君が放った言葉でいっぱいです。
エンドロール。
映画でなくテレビドラマでその呼称を使用するには若干の違和感がございますが、つまり、君が言いたいのはあの番組の最後に表示されるクレジットのことでしょう。キャストやスタッフその他作品に携わった皆々様の名前が漏らすことなくお伝えされるもので、なるほどそこにあずまいちごの名前が載らないわけはございません。おそらく『被害者A』だか『女子大生』だかの役名の横に、その平仮名六文字の芸名が表示されることになるのでしょう。
制作陣。さっきはどつこうとして悪かった。今すぐエンドロールをカットするんだ。
心の中で懇願しますが、生まれてこの方、心の中の懇願が届いた試しはございません。エンドロールにたどり着く前にテレビを消すのが最良の手であるところ、「終わっても消さないで」と釘を刺されたこの状況ではそれも叶いません。
駄目だ。詰んでる。
いや、別に僕は構わないのです。二十歳を過ぎたいい大人ですし、たとえ気まずい空気になろうとも、「あずまいちご?知ってる知ってるお世話になってる」なんてはしたない言動でピエロを演じることも可能です。君は眉をひそめるでしょうが、汚れ役となるのは僕一人で済む話です。
でも、今回は違います。
君があずまいちごを「見たことある」と口にした。そこがネックなのです。
シミュレーションしてみましょう。
クレジットにあずまいちごの名前が出る。
↓
君「アズマイチゴ?」
↓
グーグル先生発動。
↓
え、あれ。私が知ってる人と違う。違う人なの。信じてトモ君。
君のそんな弁解を僕は心から信じるつもりですし、おそらくそれは事実なのでしょうが、この場合もはやその真偽は問題ではありません。僕にはそれを信じることしかできないですし、どれだけ強く信じたとしても、外見上、彼女の身の潔白を証明できたことにはならないのです。
君があずまいちごを知っていた可能性をゼロにすることはできない。
仮初めにも『君があずまいちごを知っている』という既成事実が生まれてしまう。
そこが問題です。
初デートの待ち合わせで新宿駅の東と西を間違え途方に暮れた君、プレゼントしたバッグのブランド名をそのままローマ字読みしちゃう君、故郷を離れてからずっと実家の愛犬を待ち受けにし続けている君に、本来あるはずもない穢れを背負わせてしまう。
これほどまでに背徳的な行為がございましょうか。
あれよあれよと言う間にドラマは終盤に差し掛かり、いよいよ探偵の推理は大詰めを迎えているようですが、そんなことはどうでもよろしい。僕は懸命にエンドロールを見なくて済む方法を考え続けます。
おなかが痛くなって、トイレに駆け込むことにしようか。いや、不要な心配をかけたくはない。でも方向性は悪くないぞ。「二人で一緒に見る」という状況を回避するというのは名案だ。
でも、どうやって。どうやって。どうやって。
「大丈夫?」
また君の声。顔を向けると、不安げな瞳がこちらを見ています。
「え、何が」
「なんか、眉間に皺が寄ってる」
「そう?」しまった。「ドラマが気になって」
「……ふうん」
テレビへと目を背ける僕に倣い、君もまた画面に向き戻ります。
「もしかして、今日いきなり来たの、迷惑だった?」
「え?」
また君を見ます。画面を見つめたまま、少し唇が尖っています。
なるほど。どうやら平静を装おうとするあまり、僕の態度がそっけなく見えたのでしょう。
申し訳ないと思うと同時に、拗ねたような君の横顔が、とても愛おしく思えてきます。
「いや、嬉しかったよ」
「本当?」
「本当」
「神様に誓って?」
「誓って」
ならよかった、とソファの上に両脚を持ち上げ、膝頭に口元を埋める君。その態勢でむふーと鼻息を漏らし、膝に跳ね返った息が前髪を軽く揺らします。
ずきゅーん。
あまりの可愛さにもみくちゃにしてやりたくなる衝動に駆られ、すんでのところで理性がそれを堪えます。
堪える。
どうして?
どうしてでしょう。
お付き合いをしている大好きな女の子が、夜中に部屋まで遊びにきてくれているのです。存分にもみくちゃにすればいいではありませんか。
いやいや、それはできない。できますまい。
あずまいちごのあの字も君に悟られたくないこの僕です。それを穢れと見做して、君から遠ざけたがるこの僕です。もみくちゃになど、恐ろしくてできやしません。
そう、恐ろしい。
僕は君が大好きで、側にいるだけで幸せで、何故ならば君はとても綺麗だからで、故にその綺麗さが損なわれたとき、この幸せが消え去ってしまうのではないか、と恐れているのです。まるで美術品に対するがごとく、できるだけ劣化しないよう、触れずただ眺めて心を満たす。そんな存在として、生身の人間である君を扱っているのです。
目だけを動かし、君を見ます。両膝に隠れた唇は、まだ形を変えている気配はありません。
これでいいのでしょうか。
ふと、そんな疑念が湧いてきます。
僕は僕なりに君を大切にしているつもりではありますが、それはただ大切にしているだけであって、誠実に向き合っていると言えるのでしょうか。今、なお尖っているであろう君の唇は、僕がそっけない態度をとったからではなく、もっと重大な何かに突き動かされ、その先端を鋭角へと窄めているのではないでしょうか。
「あ、エンドロール」
君の声に現実に引き戻されると、ちょうどテレビからエンディングテーマが流れ始めたところでした。まずい、と思うも時すでに遅し。君は食いつくように画面を凝視し、その画面には主役である探偵の俳優、バディ役の女優、と名前が続いていきます。
奇跡よ起これと願いましたが、叶うことはありません。案の定、上から何番目かのクレジットにあずまいちごの名は現れました。漢字表記のネームが続く中、その丸みを帯びた平仮名の連なりは、一際異彩を放って見えました。
「あぁ、あずまいちごか」
平淡な君の声に、僕は耳を疑います。
「…………え?」
「最初に殺された女の子、あずまいちごだった」
「知ってんの?あずまいちご」
思わず、詰め寄るように訊ねてしまいました。
だってそうでしょう。
まさか、あの君が。信じられません。
君は目をぱちくりとさせた後、にやりと悪戯めいた顔に変わります。
「さぁ、名前は聞いたことあるような、ないような……」
にやけ面のまま、ソファに載せた足の指先を手で掴み、身体全体を傾けてみせます。
「トモ君はよく知ってるみたいだねぇ」
「あ、いや」
「ふむ。ではよくわからない私に、教えてもらおうかな。一体どこであの子を知ったのか」
さらに身体を傾げる君。長く黒い髪が揺れ、白い首筋が隙間から覗きます。
なんだかいけないものを見てしまった気がして、僕は即座に目を逸らします。
「テレビ、消すぞ」
「お。はぐらかしますか」
「もういいだろう」
「よくありません。ちゃんと答えてください」
茶化すように続ける君の声が、瞬間、囁くような小声に切り替わりました。
「じゃないと今日は帰らないから」
本日何度目でしょう、驚きに君を振り返るのは。
真っ直ぐ見据えた君の瞳は、幾分潤んでいるようで。
その僅かな湿り気が纏わりついて、僕の心を離しません。
まさか、あの君が。
そう思いましたが、違います。
あの君、なんてものはいやしない幻。
いるのは今目の前の、この君だけ。
僕の大好きな、君だけです。
エンドロールが終わるのを待たずして、僕はリモコンを取り。
画面を消して、作りものの世界を閉じます。
「やだね。答えない」
続いてのオンエアは、まだ作られていない世界。
君と、僕の提供でお送りする、未来。
