見出し画像

【掌編】ゆめみるころをすぎても

トキちゃんと私が恋人同士だったのは、中学二年の二月から春休みに入る直前までの間だった。

「私たち、付き合う?」

どのような文脈であったかは忘れてしまったが、トキちゃんの方からそう訊ねてきた。トイレの手洗い場に並んで立ち、お互いの正面にある鏡を見ながら、顔や髪の毛をチェックしているところだった。
「ヒバリさえよければ、だけど」
トキちゃんは、冗談めかしている風でも、深刻めいている風でもなかった。

「付き合う」って、恋人として?
私たち女同士だけれど?
そもそもトキちゃん、私のことが好きだったの?

一気に疑問符が三つも浮かんだけれど、まるで「この後お茶する?」とでも言うように、平然とそれを問うてくるトキちゃんに、その動揺を悟られるのは恥ずかしい気がした。
「……別に、いいけど」
こちらもお茶の誘いに応じるほどの気軽さを装い、頷いてみせた。
いつの間に落としたのか、口に咥えていたヘアゴムが、洗面台に貼り付いていた。それを拾い、鏡に向き直る。うまく髪がまとまらず四苦八苦しながらも、表情だけは真顔を貫かんと必死だった。
「じゃあ、よろしく」
「うん」
「今日、一緒に帰る?」
「うん。そうだね」
一緒に帰ることはこれまでに何度もあったけれど、今日のそれは意味合いが違うのだと思うと、胸がざわざわした。そのざわざわは、一秒毎に肥大し、放課後には私の全身をびっちり満たしてしまっていた。もはや平静を取り繕う余裕もなく、いつもよりも口数少なく、ぎこちなく歩幅を合わせながら帰路を辿ることになった。

それまで私とトキちゃんの間にあったものは、好きな漫画やアニメの話題、そして自分たち自身の創作にまつわるものだった。
マイナーな作品を愛でたり、贔屓にしている声優のイベントに赴いたりする一方で、私は絵を、トキちゃんはポエムめいた文章を、二人の共有ノートを設け、互いに見せ合った。創作物をてらいなく開示し合える仲はとても貴重で、後者の活動が大半を占めていた。

自分たちが、いわゆる「近寄りがたい系のオタク」に部類することは十分に理解できたし、そのカテゴライズの中でさえ、一際浮いた存在であることも容易に察せられた。ここまでディープなコンテンツを共有しているのだ、おいそれと第三者が立ち入れる隙などあろうはずがない。そういう意味で、私たちの間柄は「聖域」と表現できるものだったし、それが不可侵であることに私はずっと安堵していた。

その「聖域」に、突如として付いた「恋人」という肩書。
得体の知れないそれは、言わば異教徒の装いにも思われ、それが私たちが崇める神の教えに見合うものなのか、判然としなかった。早い話が、恋愛関係を持ち込むことで、居心地の良かったトキちゃんとの関係に、変化が生じてしまうのではないか、と不安になった。

しかし、二日目以降、私たちがやっていたことは、それまでとほぼ変わりがなかった。

告白を受けた翌日、緊張を引きずったままの私に、トキちゃんはいつものように声をかけてきた。
「おはよう」
「……おはよう」
「あれ、見た?新作のPV」
公開された次期アニメの予告動画について語り始め、いつものように共有ノートを広げる。交換日記のように一日交代で持ち帰っているそれには、昨夜トキちゃんが書いた、有名作品のキャラクターをイメージした散文が追加されていた。それを眺め、批評しながら、そのキャラクターの絵を私はシャープペンシルで書き足す。
あまりそれまでと変わらぬやりとりに、私の強張りはするりと解け、前日のぎこちなさが嘘であったかのように会話が弾んだ。

その翌日も、翌々日も様相は変わらなかった。それまで興味のなかったラブコメ作品が俎上に載ったり、共有ノートに愛の言葉が綴られたりする気配は皆無だった。いつも通り、共有ノートを挟んで語り合い、たまに一緒に下校する。休みの日も、スマートフォンでいくつかメッセージを交わす程度。たまに遊びに行ったとしても、喫茶店やアニメグッズのお店ばかりで、そのいずれにも、色めいた雰囲気は見られなかった。

「聖域」は守られた。

そして、それさえ担保されれば、「恋人」という装いは、思いのほか心地のよいものだった。

教室の真ん中に陣取り、周りの目を憚らず大声ではしゃぎ立てる子たち。その話題の中心にあるであろう、色恋沙汰の世界は、それまで遠い異国の言葉で紡がれた物語に聞こえていた。
しかし今となっては、自分もまたその物語の住人なのだ。

「□□□□に告白した、された」
「■■■■と付き合った、別れた」

その構文を埋めるに足る存在であることが誇らしく、「年頃の女子」に求められるノルマを無事に果たせたような気になった。胸の内、どこかしらで感じていた肩身の狭さ、後ろめたさが、霧が晴れるように消え去っていった。

トキちゃんと私が同性であるということには、なんの負い目も感じなかった。
BLや百合なんてものは普段から触れている文化であるし、そこに純愛や性愛が成立することも承知していた。むしろ、男と女という固定観念に捉われている面々とは、一線を画した位置に自らがいる気がして、密かな優越感を抱いていた。
そう、優越感だ。
同性の恋人がいる、という事実は、市民権、とりわけ階級の高いそれを得たような心地にさせた。
自分は人とは違う。
それを自覚すると、同じように日陰にいた女子たちはもちろん、クラスの中心にいる目立つタイプの連中まで、一気に超越したステージに、達することができた気がした。そしてその優位性を決して表に出さないことがまた、私の自尊心を軽妙にくすぐった。

「トキ、今日帰り、寄りたいところがあるんだけれど」
「うん。いいよ」

端から見れば何気ない会話も、私たちには恋人同士のそれだ。

誰も知らない。あの子も、あの子も。
連れ立って歩く私とトキちゃんが、付き合っていることなんて。

それでいい。それがいい。
他の誰も届かない領域にいながら、それまで通りに振る舞い過ごす学校生活は、正体を隠したヒーローにでもなったかのようで、ことさら気分がよかった。

「ヒバリ、高橋さんに目をつけられてるわよ」
「え?」

交際が始まって一ヶ月ほど経ったある日の放課後、トキちゃんに言われた。いつもは平静なその顔に、呆れと心配が滲んでいるのがわかった。
「どういうこと」
「今日の体育、ヒバリ、高橋さんにボール当てちゃったでしょう」
記憶を辿る。いや、辿るまでもなく覚えている。

高橋さんは、髪の毛を明るい茶色に染めた、目立つタイプの子だった。休み時間など、短いスカートから生やした脚を惜しげもなく開いて座り、ぎゃあぎゃあ喧しい声で騒ぎ立てている。大人しい女子を威嚇するような言動も多く、攻撃的で、あまり近寄りたくない類の女子だ。
その高橋さんに、確かに私はボールを当てた。
体育の時間、バスケットボールでパス回しの練習をしていた時だ。トキちゃんを含めた何人かのグループで円になり、ボールを投げ合っていたところ、私の投げた球があらぬ方向に飛び、違うグループの高橋さんの腕に直撃した。

「いったぁ……何?」

ギロリ、という効果音が聞こえんばかりの顔で、高橋さんは私を睨みつけた。
一瞬怯み、心臓が引っ込んだものの、苛立ちがそれを押し返してきた。こちらとて、わざとではない、どうしてそこまで怒られなくてはいけないのか。一度冷え上がった肝が、ふつふつと弱火で加熱されていく。

「ごめんね。大丈夫?」

努めて、他のクラスメイトに対するのと同じようなトーンを保った。それまでの私なら、顔を青くし、媚びへつらうような態度で臨んだだろう。しかし、それはどうにも癪な気がした。

「あれがよくなかったんじゃない」
トキちゃんが言う。
「なんで。ちゃんと謝ったじゃん」
「謝る態度が、高橋さん的には気に入らなかったんでしょうよ。体育終わってから、更衣室ですんごい勢いでこっち見てたの、気がつかなかった?」
無論、気がついていた。しかし、それにわざわざ気を回してやることも馬鹿らしく、トキちゃんと談笑に興じる振りをして、無視をしていた。
「馬鹿みたい。何様のつもり」
思い出すと腹立たしさが込み上げてくる。同じ中学二年生だと言うのに、ヒエラルキーの天辺にでもいるつもりだろうか。偉そうに。
しかし、トキちゃんは私を諌めるように、続けた。
「どうしたのよ、ヒバリ。ああいう手合いに関わって、無駄なエネルギー使うのなんか損じゃない。何を真っ向から対峙しようとしているの?」
無駄なエネルギー。確かにそうだ。高橋さんみたいな違う人種を相手にするなんて、非効率以外の何者でもない。
だけど、どうだろう。そういうもっともらしい理屈をつけて、この理不尽を受け入れることは、はたして正しいことなのだろうか。派手で声の大きな子ばかりが我が物顔で振る舞い、地味で大人しい子は肩を竦めて生きなきゃならないのか。

そんなわけがあるか。調子に乗るのも大概にしろ。

「駄目だ。私、納得できない」
「ヒバリ」
「たかだかボールが当たったぐらいのことで、どうしてそんなに突っかかられなきゃいけないの。おかしくない?」
「そうだけど……」
「私、これ以上謝ったりしないから。高橋さんが何かしてきたとしても、屈しない」

スクールバックを肩にかけて、私は立ち上がった。

「ちょっと、ヒバリ」
「ごめん。今日は一人で帰る」
「待って、ノート、まだ渡してない」
毎日交換している、二人の共有ノート。しかし、今日は絵なんか描ける気がしない。
「今日は無理。悪いけど、トキが持ってて」
私はそのまま席を立ち、教室を出て行った。トキちゃんがどんな顔をしているか気にかかったけれど、自分の中に渦巻く怒りと、慣れない啖呵を切ってみせた高揚でいっぱいいっぱいだった。感情の処理に追われながら、いつもは二人で帰る道を突っ切るように帰った。

一人で。
それがよくなかった。

翌日は土曜日だった。
曜日まで覚えているのは、その日の日中、トキちゃんが私の家を訪ねてきたからだ。

朝の十時を過ぎる頃、トキちゃんから電話がかかってきた。メッセージのやりとりや、示し合わせて連絡を取ることはあれど、唐突に電話がくるのは初めてだった。
「もしもし」
電話に出た瞬間、不穏な空気を察知した。
息遣いで、トキちゃんが泣いているのがわかった。
「ヒバリ、ごめん」
湿りながらも、掠れた声。「どうしたの」と訊ねても、しばらく嗚咽しか返ってこない。
「ごめん。ごめん、ヒバリ……」
「トキ、どうしたの。落ち着いて。今、どこ?」
「ヒバリの家の……前……」
「え?」
慌てて自室の窓に近寄り、袖口で結露をぬぐって、外を見下ろす。寒空の下、スマートフォンを耳に当てながら、俯いているトキちゃんの姿があった。
電話をつかんだまま、音を立てて階段を下り、玄関を出た。いる。門扉を開け、駆け寄る。
トキちゃんの目蓋は赤く腫れ上がっていて、この涙が今朝に始まったものではないことが見て取れた。
「どうしたの。トキ」
「ごめん、急に……、でも、月曜まで抱えきれなくて……」
冷たい風が、私の頬を叩いた。トキちゃんの長い髪も無秩序に乱れ、肩にかかっていた薄いトートバッグが宙を泳ぐ。トキちゃんはそれを両手でつかみ、身体の前で抱え込むようにした。
「とりあえず、中に入りなよ」
「うん。急に、ごめん」
泣き顔の友達をいきなり連れ込んだとあっては、家族がいれば驚いたことだろう。だが、幸にして家には誰もいなかった。私はトキちゃんの肩を抱きながら、階段を上り、自室の扉を開けて中に入れた。
「何か温かいもの、持ってくる」
「ううん、いい」
鼻をすすりながら、首を振るトキちゃん。また新たに嗚咽がこみ上げてきたようで、肩を震わせ始める。
「何があったの、トキ」
「これ……」
ずっと抱え込んでいるトートバッグを下ろし、トキちゃんは中身を取り出した。
「え……」

私たちの共有ノートだった。
いや、正確には、私たちの共有ノートだったもの、だ。
表紙は折れ曲がり、靴跡の混じった汚れで黒く煤けていた。中身のページは歪にひしゃげ、ほつれた綴じ糸にかろうじて引っかかりながら、無残に垂れ下がっていた。

雛鳥の死骸を見たかのようなショックが、胸を襲った。

何が起こったのか察せないほど、鈍くもお人好しでもない。このタイミングで、こんなことをしでかすやつは一人しかいなかった。
「高橋さん?」
私が訊くと、トキちゃんは一際大きな嗚咽を漏らし、仕舞いには「うああん」と声を上げて泣き出した。

「ごめっ……ごめん、ヒバリ、大事なノートなのに、あいつらにっ……見られた。滅茶苦茶にされたぁああああ」

全ての文字に濁点を混ぜたような声音で、泣きじゃくりながら謝罪を繰り返す。普段の落ち着いた佇まいは、見る影もない。昨日、高橋たちからこの仕打ちを受けた時も、同じように嘆き悲しんだのかと思うと、猛烈な怒りと激しい後悔が激流となって私の中でうねった。

ゆるせない。トキちゃんを、私たちをこんな目に合わせるなんて。

私はトキちゃんの横に立ち、肩を抱いて、そのまま一緒にベッドサイドに座った。トキちゃんも私の肩に頭を預ける。涙に服が濡れたが、そんなこと、構うわけもない。
「ごめん、ごめっ……」
「いいよ。トキはなんにも悪くない」
そうだ。私たちには、なんの落ち度もない。当たり前だろう。
一体どんな言いがかりで、高橋がトキちゃんを攻めてきたのか、確認したかった。その理不尽に相応しい報復をしてやらなくては、気が済まない。
しかし、今はトキちゃんの傷を癒すのが先だ。いまだ止まない嗚咽に揺れる肩を、懸命にさする。幾分か落ち着きを取り戻したかのように見えるが、しかしまだ、吐き出し切れていない悲しみが、奥に控えているような予感もあった。
「トキ……大丈夫?」
「気持ち悪い、って言われた」
「え……?」
トキちゃんの指が、私の服を掴む。
気持ち悪い?
「高橋に言われたの?」
「うん」
「ノートのこと?」
トキちゃんの体越し、ベッドに載った、共有ノートの残骸を見やる。私たちが創り出した、大切な絵や文章たち。創作の「そ」の字も知らないあいつに、罵られるような言われはない。
「気にしなくていいよ。そもそも高橋なんかに、私たちのやっていることなんか、理解できない」
私が言うと、トキちゃんは小さくかぶりを振った。
「……ちがう」
私の胸元で、トキちゃんの目だけがこちらを向く。

「私たちの……こと……」

さっと血の気が引くのが自分でわかった。同時に、血の気が引いた自分に対して、さらに絶望が過ぎった。
「……付き合ってること、言ったの?」
「うん」
どうして、と喉まで出かかって、懸命に堪える。

言ってはいけない、なんて約束はしていない。言ってはいけない、なんてことはない。
だが、致命的だ。
それを言うことは、とてつもなく、致命的だ。

「高橋は、なんて」
恐々と、しかしそれをひた隠しにして、訊ねる。
「女同士で、気持ち悪いって。パッとしないやつら同士くっついて、恋愛ごっこか、って」

好きなのに。
私の鎖骨に額を当て、トキちゃんが呟く。
「ちゃんと、好きなのに」

焦りと困惑で発狂しそうだった。
高橋は、当然のように私たちの仲を言い触らすだろう。トキちゃんを罵倒したのと同じ下卑た言葉で、馬鹿にしたように、気味悪がりながら。もうすでに何人かは承知の上に違いない。そしてその手の噂は、瞬く間に伝播する。
週明け、学校で、一体どんな視線が自分たちに向けられるか。
それを想像するだに、失意が鎖のように心臓を締め付けてくる。

「ヒバリ」
「え?」

ぶるり、と身体が震えた。
私に身体を預けていたトキちゃんが、滑らかに動き始めた。

「ちょ……」

鼻先が首筋に当たり、その下の唇が触れる。微かに押し付けられる弾力。湿り気を帯びたそれが離れ、小さく音が鳴った。
同じ感触が、もう数センチ上がった位置に移動する。
背中に、トキちゃんの腕が回った。
「トキ、待って」
今度は舌先が触れた。背中を指が這い、それに連動するようにして、僅かに触れたままの唇が、上へと移動してくる。
気がつけば、私の体は斜めに傾き、同じ傾斜を保ちながら、トキちゃんがそれに被さる格好になっていた。

「ヒバリ」

トキちゃんの潤んだ目が、私の正面に来る。充血した眼の赤は、逆光で今は見えない。そしてその目が、静かに閉じられる。

あぁ、と思う。
これこそ、致命的だ。

このまま唇を重ねることが、ではない。
唇を重ねることに、私が嫌悪を抱いていることが、でもない。

いつかこうなる可能性をうすうす感じながらも、トキちゃんとの交際を受け入れてしまったことが、この上ないほどに致命的だった。

トキちゃんの瞼からこぼれた雫が、私の頬に落ちる。それが、つつ、と伝わる感触を覚えながら、私はトキちゃんを見る。目を閉じた顔は、祈るようにして私を待っている。

トキちゃん、ごめん。

私はあなたとの間に愛だの恋だのが上ってくるのはごめんだし、あなたと恋仲であることを他人に知られたくはないし、ファーストキスは好きな男の子としたい。

高橋の言う通り、私がやっていたのは、恋愛ごっこだった。
そしてあなたもきっと、そうだと思い込んでいた。そうじゃないかもと思いつつも、それを確かめることはしなかった。ごっこ遊びに興じるあまり、あなたの気持ちをないがしろにした。

「ごめん。トキ」

声が震えた。
私はこれから、親友を失う。修復つかない傷をつけて、自ら二人の絆を断つ。
せめてこの痛みを受け入れることが贖罪になることを祈るが、仮に罪を贖ったところでトキちゃんは戻らない。

「ごめん、好きじゃない」

私は言った。閉じていたトキちゃんの目が見開かれる。
黒い目に、光沢はない。

「トキのこと、別に好きじゃない。だけど付き合った。ごめんなさい」

その後のことはちゃんと覚えていない。多分ろくに会話も交わさず、トキちゃんは私の部屋から出て行った。彼女が持ってきた共有ノートだけが、無残な姿でベッドの上に残っていた。

中学三年になり、トキちゃんとは別のクラスになった。あの日以降、すでに会話もなくなっていた私たちは、さらに疎遠となり、ついには卒業まで一言も交わすことがないままだった。

トキちゃんとのことは、思ったよりも噂になりはしなかった。女同士で交際する、というのがやや突拍子のない話に聞こえたのか、皆その真偽をはかりかねているようだった。時折、興味本位で「そうなの?」と訊ねられることがある程度で、そういうときは「答えたくない」とはねつけるようにしていた。

高校も、トキちゃんとは違う学校へ行った。
高校に入ると、新しく親しい友達ができた。トキちゃんとしたように創作を見せ合うことはなかったけれど、私のそういう趣味に理解のある子だった。その子が架け橋になってくれて、他の子達とも話すようになり、その子達から勧誘を受けて、文芸部にも所属することになった。

そして、初めての彼氏ができた。

相手は文芸部の先輩で、歴史小説を好み、自分でも書いている人だった。高校一年の文化祭で作成した部誌で、先輩の作品に私が挿絵を描いたことが縁で、距離が近づき、交際に至った。
共に下校し、休日にも会うようになり。そして何回目かのデートの帰り、私は先輩を家に招いた。

「これ、何」

押し入れからボックスを取り出し、私が昔描いた絵などを肴に、恥ずかしいだの勘弁してだのとひとしきりはしゃいだ後だった。ボックスの底にあった大ぶりの封筒に、先輩が反応した。
「あぁ、これは……」
指摘されるまで、ここに保管していたことすら忘れていた。
よりにもよって、この人に気づかれるとは。自分の迂闊さに辟易としながらも、私は封筒から中身を取り出した。

あの日、トキちゃんが置いていったノートが、折れ曲がり、薄汚れ、引き千切られた様相のまま、姿を晒した。

「昔、友達と書いていた創作ノート。ぼろぼろだけど」
下手な笑みを作って見せるが、先輩はそれには応じず、真剣な顔でノートをじっと見つめていた。私の言う「友達」との共有物がここまで損傷していること、それを私がわざわざ封筒に入れて保管していること、そして躊躇いながらもそれを取り出し披露したこと。あらゆる情報から、必死で背景にある物語を探してくれているように思えた。
その真摯な眼差しにいたたまれなくなり、たまらず目線を外す。
「懐かしいなぁ」
表紙から外れたノートの中身をぺらりと捲る。間を持たせようとしてやった行為だったが、現れた当時の私の絵と、そこに添えられたトキちゃんの文字が、つん、と目頭を刺した。
いけない、と思ったのも束の間、涙が次から次へと溢れ、止まらなくなった。
「ごめ……あれ、なんでだろう」
袖口を目元に当てながら、懸命に感情を抑える。だが、止まらない。

楽しかった。
トキちゃんといたあの時。
とても楽しくて、夢のようだった。

どう思考を逸らそうとしても、その事実に思いが向き、ただただそれを噛み締めてしまう。

涙は止まらない。

先輩の両腕が、私の肩を回った。そのまま彼の胸元に、頭を押し付けられた。シャツを通して伝わる体温に、さらに心が懐柔されていく。

先輩にこうされるのは、これが初めてだった。

「嫌だったら言って」

頭上から、声がする。

嫌じゃない。
思ったが、声が出ない。嫌じゃないという事実が、余計にあの日の愚かさを思い出させてくる。

ちゃんと好きになった人の胸の中。
私は懸命に、涙を堪える。


いいなと思ったら応援しよう!