理想を語ってはならない
SNSのバズ投稿やビジネス系の記事を見ていると、「本物の一流は○○しない」とか「○○することこそが本当のやさしさだ」みたいな話がよく出てきます。真の一流は驚くほど謙虚で素直だとか、逆に何事にも物怖じしないとか、そんな感じですね。今挙げたように、内容は発言者によってわりとバラバラです。
この手の「本物と本物以外」の話って、正直あんまり意味がないよなと個人的には思っています。語り手が理想とする世界観や人間観についてあれこれ言って、同じものを好む聞き手が同調して、ただそれだけですよね。
何がまずいのかというと、ここには「複雑で理解しがたい現実の世界を理解する」という仕事が何も含まれていないんです。「本物の」というのは単なる言葉の定義であって、これは「俺の理想的世界」を説明する上で設定された架空の概念に過ぎません。そして、「このようにあってほしい」「こうあるべきだ」という理想は「現にそのようにある」私たちの現実世界とは無関係です。そこで言われている内容は、この世に実在している(そしてまだ正確に理解されていない)あなたや私や他の人々の実態とは何も関わりがないんです。
誰かが提唱した「俺なりの解釈」がどれほど斬新ですごそうな世界観に見えたとしても、その説明はあなたや私がこうして現に生きている世界について、何か新たな理解や解決のアイデアを授けてくれるものにはなってくれません。最初から現実以外の話をしている以上、いかなるご立派な理想の主張もあなたの毎日の仕事の悩みを改善してはくれないし、人間関係のいざこざを解消してはくれないし、生きるということ全体の苦しみを軽減してくれるものにもなりません。
事実が事実として理解されていないとき、その問題が解決されるということはあり得ないからです。
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「○○人は粗暴な民族だ」といった「悪い偏見」に意味がないとすれば、「○○こそが理想的な人間だ」という「よい偏見」も同様に無意味でしょう。この「よい」というのは、偏見の内容が否定文ではなく肯定文になっているだけで、「現にあるもの」に目が向けられていないという点ではどちらも同じです。
話の最初に、世間で「本当の○○」「真の○○」として示されがちなイメージはバラバラであると述べましたね。これは正確には「ときにまったく正反対の内容が語られたりする」というだけで、実際には、右向きのパターンはどれも似たようなものだし、左向きのパターンもまた似たようなものです。
ビジネスや人間関係の話でバズっている投稿というのはどれも似通っています。偏見というものには多様性がないので、「よい偏見」であるところの理想的イメージというものにも、やはり多様性がないんですね。仮にそれが現実について語っているとしたら、現実は常に複雑で多様なので、それがステレオタイプな一つか二つの主張に収束するということはないはずなんです。
そこで、今回の指摘はこうなります。「よい偏見」である理想像を語ることは無意味です。やめましょう。その説明が自分の悩みを解決してくれると期待して、他人の理想を読んだり聞いたりしようとすることもやはり無意味です。やめましょう。偏見の再確認作業によって現実に対する新たな理解が生まれるということはあり得ません。百回繰り返しても同じだし、千回繰り返しても同じです。
もちろん、人が世間の不平等とか悲惨さに何か耐えがたいものを感じて、「このような世界であってほしくない」という衝動を抱くことは自然なことだし、また必要なことです。そのように感じない人間は死んだ人間です。この世が大半の人間にとって苦しいものであるということはおそらく事実なので、そこに何もしないでいいということは言っていません。私たちはそこに何かを感じなければならないし、考えなければならないし、自分にできる何かを行っていかなければなりません。
それでも、あなたの目の前にある現実を想像上の善悪、想像上の優劣、想像上の正誤の話にすり替えないようにしてください。想像上の正解について議論することには意味がないし、他人の掲げた正解を賞賛し、崇拝し、追従することには意味がありません。反対に、非難や攻撃をすることにも意味がありません。
あなた自身の現実という問題がまだ解かれていないとしたら、「正解を想像し、それを信じる」ということには何の意味もありません。どれほど簡単な足し算や引き算でも、頭の中で素晴らしい理想を強く強くイメージすることによって正しい答えが得られるということは絶対にないからです。
必要なのはその問題を自力で解くことであって、問題を解くための唯一の方法は、その問題の内容を自力で理解することです。問題とはあなた自身の満たされない日々の現実のことです。
関連書籍
つい先日出版した「人間関係が苦手でもなんとかやっていくための本」でも、他人の心を決めつけるという習慣の害について指摘した上で、単なる表面的なコミュニケーションのノウハウを超えて「わからない他人に向き合う」ということの意義を考えました。今回のお話に感じるものがあった方ならきっと刺さるはず!
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