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「そのときになれば、そうなるだろう」

ここんとこ真面目な話ばっか書いてて肩が凝ってしょうがないので(コレの執筆があるせいだ)、今日は気の抜けた感じで書きます。

少し前に、noteの通知で「あなたがnoteを始めて1周年になるよ!」的なアレが来ました。数え間違いでなければ、この記事を書いている時点で、私のnoteには108つの記事が存在しているはずです。煩悩の数だけ書いたというわけですね。やったね! これで除夜の鐘よろしく全部取り除かれたのかな!?(なさそう)

正確には、軽めの内容で毎週載せてる「3行日記」もあるし、出版済みの書籍の内容を抜粋した「試し読み版」もいくつか載せているので、「ひとつのテーマを元にまとまった長さの話を書く、ということを108回した」わけではありません。

まあでも、1年は365日くらいしかなかったような気がするので、その中で3桁に届く数の記事を書けたというのは、それなりに頑張れたんじゃないかなと思います。ちなみに365日は週に換算すると52週ちょいなので、平均ペースとしてはだいたい週に2つほどの記事を載せられた計算になるようです。

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「続ける」というのは、私が最初に出した本「社会人のための楽器の継続と上達の手引き」のテーマのひとつでもありました。

内容としては「まずは習慣化して毎日のルーチンに組み込もうね」ということから始まって、一緒に弾ける人間関係を広げて楽しくしていこうとか、発表会やライブという「本番」を定期的に設定したほうがやる気が出るよね、的な話を書いています。気持ちだけ「やろう」と思って続けられたら誰も苦労はしないので、いろいろと自分の外部に工夫を作る必要があるというわけですね。

このnoteのような場でも、ときどき「note継続」みたいな話題を目にすることがあります。趣味的に日記を書く人、もう少し本格的に小説や詩を書いている人、あるいはフリーランスや自営業をしていて個人で何か情報発信する必要がある人など、いろんな立場の人がいて、みんなが自分なりの方法を模索しつつ、「書く」ということを頑張ろうとしているようです。

続けてる人って、やっぱりすごいんですよね。昔何かで読んだ話で、凄腕の営業マンだかが講演会で自分のノウハウをたくさん話していて、ある聴衆から「商売上の強みなのに、そんなに洗いざらい話してしまって大丈夫なのですか。ライバルに知られたら困るのではないですか」と質問が出たそうです。その答えはというと、次のようなものだったとか。

「大丈夫です、話を聞いて感心したところで、みんなやりませんから。実際にやる人はわずかだし、その上で継続できる人なんてほとんどいません」

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身も蓋もないんですけど、この頃の私の頭に浮かぶのは「続くときは続くし、続かないときは続かないよね」という感覚です。

だいたい世の中のご縁とかも、「そうなるときはそうなるし、ならないときはならない」みたいなものじゃないですか。仕事の取引上の成功や失敗も、転職活動だってそうだし、プライベートの人間関係のいろんな場面でも。別にだから努力しないってわけじゃないし、実際努力しないと何もできないんですけど、「なるかならないか」っていうのは、「やったかやらなかったか」とは別ですから。

さらに言うと、これが「ならない」ほうに振れてしまったとしても、だから失敗とか、悪いこととかでは全然ないんですよね。「今はそのときではなかった」というだけで。恋愛の話だったら「その人ではなかった」ということです。それはそういうものです。いずれまた、別の何かが起こるでしょう。

それで、なるかならないかがわからないとしたら? たぶん、私たちにできるのは「始めてみること」だけですね。少なくとも、やってみた人にしか何かは訪れないので。

私がいろいろと本を出したりnoteを書いたりしてるのも、結局は「やろうぜ、みんなも頑張ろうぜ」ということを言いたいだけのような気もします。

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