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わたしの地域では

私が住む地域の学校にはSBSという場所があるという。

そう、朝のニュースの特集で耳にした。

SBSとは、step by stepの略である。

子どもたちが学校に来ることを「怖い」と思って来られなくなる前に、と学校が取り組んだものだ。学校に行きたいけれど行けない。クラスにどうしてもなじむことができなく、だんだん学校へ向く足が遠のいてしまう。

子どもたちはきっと、学校へ行くことが当たり前という世の中にいることで無意識にその「義務感」を果たそうとしているから、自分自身、心が怖がっていることに気が付くことができないのだと思う。

子どもが学校へ行くことへの義務。
これは当たり前のことだと、大人は教えてあげているつもりかもしれないけれど、実は子供たち自身、教えられる前にすでに感じ取っていることだと思う。

だからうまれてしまう、心と行動の歪。

昔、私も学校がいやでいやで仕方がなかった。
でも、もう40年も前のことだが。当時の母は私を学校へ連れていくことで必死だった。しかし、学校はというと私が登校しようがしまいが気にかける様子はない。現に、いじめられてクラスでひとり机を後ろに向かされた状態であっても、叱られるのは私だったから。

私にとって先生は、常に先生で、友達でも親でもなく、とにかく先生。
逆らうことはもちろん、相談もできない、先生の言うことは正しい、という人だった。先生に褒められたくていろんなことをしていた時期もあったけれど、だんだん勉強についていけない脳みそは自分のせいだと、進学する学校も全部、「先生」の言う通りにした。

君の場合この4校から選びなさい。
あのことは今でも鮮明に覚えている。

それでも、そうすることが正しいと感じていた私は素直に従った。
(本当は後悔している)

時代がさらに豊かになると、食べるものも多種多様になり、人とのコミュニケーションという分野に目を向けることが当たり前になっていった。
しかし、人との温かい環境がたくさん芽生え始めると、実はその陰でその温かさになじめないという子が目立たなくなってしまうという現実がある。

私の時代もつらかったけれど、でも可能性を秘めた子供たちが、今のこの豊かな日本の中でうずくまっている子がたくさんいると思うと、今の世の中は本当に豊かであるのか、わからなくなる。

宝物の子供たちにその子たちにあったひとりひとりの対応をすることは親以外むずかしいかもしれない。個人がそう思って活動を始めようとしても、そう簡単にできることではない。そんな中でこういったすばらしい環境を学校が作っているということに、私は同じ地域に住んでいてとてもうれしく、誇りに思った。

校長先生が言ってた。
「この学校の子たちが素晴らしいところは、SBSに通う子がたまにクラスに戻っても普通に迎えてあげているということ」

本当に素晴らしい。これはこういった大人の、学校の小さな後押しとなるような手助けに、子供たちの自主的な意識が無意識に働いていることではないかと思う。

きっと、大きな力はいらなくて、ちょっとした手助けだけで子供たちは自分たちで考えだすことができることを意味しているのだと思う。


私の夢は絵本作家になること。
いつか地元の図書館で、自分の絵本の読み聞かせができたらとてもうれしい。
私の父は退職後、地域活動に力を入れていた。
私も、小さなことでも未来の子供たちの可能性のために何かできることがあったらと、定年後の自分についてそう考えている。





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