「ふつう」のお母さんになりたかった。【創作大賞2025】
「お母さん、ふつうのイヤイヤ期だからね」
保育士の先生に、そう声をかけられた。
「いずれ落ち着くからね、大丈夫だよ」
「ありがとうございます。すみません」
そう言って、私は支援センターを後にした。
暴れる子どもを真横に抱きかかえ、車の中に逃げ込んだ。
今日も、癇癪のスイッチが入ってしまった。
一度こうなると、1時間は続く。
こんな状態で、チャイルドシートに乗せられるはずがない。
音も、光も、人の気配や視線さえも――
そのすべてが刺激になって、娘の中で爆発する。
歯を食いしばって泣き叫び、支離滅裂な言葉を繰り返す娘。
そっか、これがふつうのイヤイヤ期なんだ……。
じゃあやっぱり、こんなに苦しい私が、ふつうじゃないのかな。
「……私、母親向いてないのかも」
ポツリとそう呟いて、車のハンドルに顔をうずめて泣いた。
私は昔から、誰よりも「ふつう」に憧れていた。
ふつうじゃなかった、私の幼少期
父は仕事熱心で、寡黙な人。
母は人当たりがよく、社交的。
誰からみても、私の家族はふつうに見えていたと思う。
でも、実際は違った。
父は、母に怒鳴り、手をあげる。
機嫌が悪いと物を投げ、子どもにも当たり散らす。
母には毎日、感情のはけ口にされた。
幼い私に父の悪口を延々とこぼし、夫婦喧嘩のあとには「私が悪いの? お母さんのこと好き?」と何度も聞いてきた。
学校のことを話しても、進路の相談をしても、「そういうの、わかんないから」と突き放された。
いい子でいれば、父に怒鳴られずにすむ。
良い成績をとれば、母が笑ってくれる――
そんなふうに、私は家庭で居場所をつくった。
「なんでもない」ふりは、私の得意なことになった。
家でどんなに辛いことがあっても、友達の前では明るく振る舞った。
先生に助けを求めるなんて、考えたこともなかった。
自分のことは「何でも自分で解決する」。
それが、あの家で生きるために必要な力だった。
――私にとっては、これが「ふつう」だった。
やっと、ふつうの家庭を持てると思った
大学時代に夫と出会い、私は初めて“ちゃんとした愛情”に触れた。
彼は優しくて、芯が強い人だった。
家族はとても仲が良いが、依存や過度な干渉はしない。
ただ、穏やかな愛情が家の中に確かにあるのを感じた。
「こんなに素敵な家庭があるんだ」
かつての私は、結婚や出産をしたいと思っていなかった。
私のような育ち方をした人間が、まともな家庭を築けるのか――
そんな不安があった。
でも、夫と出会って、この人となら、ふつうの家庭を築けるかもしれないと思えた。
そして結婚し、やがて娘が生まれた。
ふつうに見えて、ふつうとはちがう娘
「こんにちはー!!!」
娘は通りすがりの人、誰にでもこう挨拶する。
このまえ水族館に行った時は、すれ違うすべての人に挨拶をしていた。
「あれ?2回目だね」なんて言われても、気にする様子もない。魚よりも人に夢中で、思わず夫と笑ってしまった。
天真爛漫で、誰とでも仲良くできるように見える。
けれど実際には、人との距離感をうまく測れず、戸惑わせることもある。
時には、誰かが言ったことを何度も繰り返して遊ぶ。真似されたと感じた子が、嫌がってその場を去ってしまうこともあった。
悪気はない。ただ、言葉の響きが楽しくて、面白くて仕方がないのだ。
娘は、2才になる少し前から癇癪がひどくなっていった。
コップの水がこぼれたとき。
スプーンが床に落ちたとき。
絵本を読み間違えたとき。
ほんの些細なことで、長時間泣き叫び、暴れた。
最初のころは、ふつうのイヤイヤ期だと思っていた。
ある晴れた朝。私は娘を公園に連れて行く予定だった。
体を動かすときは、いつでも全力。
「いないいないばあっ!」を見ながら、画面の中の子にも「いっしょにおどろう!」と声をかける。
まるで、小さな歌のおねえさんだ。
テレビが終わると、外出の支度をしている私のところへ、笑みを浮かべて「ママぁ!だーいすき!!」と駆け寄ってくる。
娘は、呼吸をするように「だいすき」や「ありがとう」を言ってくれる。
今が本当に、可愛い時期なんだろうな。そう思いながら、私はお弁当の仕上げに取りかかった。
着替えも遊び道具も持った。準備は完璧だった。
玄関で、娘が自分の靴を履こうとしていた。
「できないよぉ!」
「大丈夫だよ、もう一度やればいい――」
そう言いかけた瞬間、娘のスイッチが入った。
「まただ……。もう、どうにもできない」私はそこで、すべてを諦めた。
癇癪のスイッチが入ると、2才とは思えない力で私を全力で拒否する。
声は届かない。指一本触れることもできない。まるでパニックのようだった。
これは、“ふつうのイヤイヤ期”なんかじゃない。
私は、そう気づき始めていた。
癇癪の様子を、録画や録音することができても、それはあくまで画面の向こう側にすぎない。
娘の本当の姿も、その大変さもうまく伝わらなかった。
「お母さんの前でだけなら問題ないでしょう」
――相談先でそう言われるたび、伝わらなさに絶望した。
「気にしすぎじゃない?」
「まだ2才だから」
周囲の何気ない言葉が、私の孤独を深めていった。
「助けて」がいえない私
衝動性が激しく、どこへ行っても私の手を振りほどき、走り出す娘。
体を縛られるのが苦手で、ベビーカーもチャイルドシートも、やがて使えなくなった。
気づけば、近所のスーパーに行くことさえ難しくなっていた。
どれだけ入念に準備しても、怒りのスイッチは毎日違う。
「また怒り出したらどうしよう」
「こう言うとまた癇癪になるかも」
私はどんどん過敏になっていった。
また朝が来てしまった。そんな風に、娘との一日が始まることに絶望しながら、必死に育児をこなした。
夜になると自分を責めた。心は、鉛のように重たくなっていった。
「これがふつうのイヤイヤ期なら、耐えられない私が『ダメなお母さん』なんだ」
そうやって自分を責めることで、子どもに怒りを向けないようにしていた。
私は、「ふつう」のお母さんになりたかった。
自分と同じ思いを、子どもには絶対にさせたくなかった。
なんでもないふりで、自分の苦しさを見過ごした。そうすることで、かろうじて“いいお母さん”として生きられている気がした。
救いの言葉
ある日、力を振り絞って相談した先から、療育につながった。
職員の方が、こう言ってくれた。
「お母さんの前でだけ癇癪が出るのは、安心できる場所だから。
でも、娘さんも苦しかったはず。自分を出せる場所が、ひとつしかなかったから」
「お母さんにも支援は必要なんですよ。一緒に娘さんの成長を支えていきましょうね」
その瞬間、私は堪えきれずに泣いた。人前で声をあげて泣いたのは、大人になって初めてだった。
自分が限界だったこと。
娘も同じように苦しんでいたこと。
そこで初めて気づいた。
親として情けない気持ちと、「もう一人で頑張らなくてもいいんだ」という安心感で、胸がいっぱいになった。
療育先では、私にもよく声をかけてくれる。
「お母さん、もっと頼ってね。
すぐに解決しないことばかりでも、一緒に考えることはできる。
人に頼る練習を、ここでいっぱいしてくださいね」
子どもの頃から、なんでも自分で解決してきた私が、娘を通して、信頼できる人たちに出会うことができた。
娘に教えてもらったこと
3才を超えた娘の特性は、さらに目立つようになった。こだわりも増え、見通しのための予定表は欠かせない。
けれど、「できない」が口癖だった娘が、「じぶんでやる」と挑戦するようになった。
癇癪はまだ起きる。
でも、気持ちを言葉にしてくれることが増えた。
できないことは「おてつだいして!」と頼めるようになった。
ある日、パジャマのボタンを練習しながら、娘がつぶやいた。
「できなくても、もういっかい」
「できなくても、だいじょうぶ!」
それは、私がずっと娘にかけてきた言葉だった。
娘の口からそれを聞いた瞬間、私自身に言われている気がした。
そうか。ぜんぶ完璧じゃなくて、よかったんだ。
みんなと同じようにできなくても、
うまくできない部分があっても、
自分を責めなくていい。
誰かに頼ってもいい。
娘を育てながら、私はようやく「そのままの自分」を肯定できるようになった。
それは、弱さじゃなく、“強さ”なのだと知った。
娘は、ふつうの枠には収まりきらないかもしれない。でも、娘らしさを大切にしたいという私の気持ちは、これからも揺るがないと思う。
自分を責めることは、もうやめた。
私が私らしく生きていけば、その姿勢は娘にもきっと伝わる。
自分らしさと、娘らしさの両方を抱きしめて生きていく。
「私らしい」お母さんでいいんだよ。
娘から、そう教えてもらった気がする。
このエッセイは、かつての自分のような「あなた」に届けたくて書きました。
いいお母さんになろうと、
必死で毎日頑張っている「あなた」
子どもの発達に悩みながらも、
誰にも言えない「あなた」
周りのお母さんと比べて、
自分を責めている「あなた」
そして、今まさに
誰からも理解を求められず
孤独に耐えている「あなた」
助けを求めること――それは、思った以上に勇気も気力もいることです。
私は何度も諦めそうになりました。
心も体も限界が近づいたとき、人は「助けて」と言えなくなるものだと身をもって知りました。
私は、ようやく寄り添ってくれる人たちに出会えました。けれど、みんながそうとは限りません。
どうやって助けを求めていいか、わからない人。
理解してくれる人に、出会えなかった人。
日々に疲れ果て、もうそんな気力も余っていない人。
きっと、この文章を読んでくださっている人の中にも、さまざまな状況や境遇の方がいると思います。
たった一人で悩み苦しむことのつらさを、私は知っています。
だからこそ、自分の経験を言葉にして発信することに決めました。
このエッセイが、誰かの「ひとりじゃない」と思える、小さな光になれていますように。
そして今、助けを求めることさえしんどい、たった一人の「あなた」のとなりにそっと、寄り添えていますように。
