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薄柿色(うすがきいろ)の声

――あなたには、「色」で思い出す人がいますか?
たとえばそれは、ふと見上げた空の色かもしれないし、駅前の雑踏に浮かぶマフラーの赤かもしれない。
けれど「薄柿色」と聞いて、すぐに人の顔が浮かぶことは、あまりないのではないだろうか。
その色は、派手でもなければ目立ちもしない。
柿の実に少し白を混ぜたような、くすんだ橙色。
けれど、あの人はその色をよく纏っていた。
まるで、その色にしか声を与えられなかったかのように。
私は、その人の名前も年齢も知らない。
けれど、確かに心のどこかに「残っている」。
これは、その色と、声と、ほんの少しの季節の物語。


第1章:通り雨とスカーフ

雨が降る前の空気には、湿り気と期待が混ざっている。
午後三時のカフェで、私はいつものように角の席にいた。
本を読みかけていたが、ページは思うように進まない。
窓の外、ビルの隙間から見える街路樹が揺れた。
そして、小さな鈴の音のような声がした。

「すみません、こちら、お隣よろしいですか?」
顔を上げると、そこに立っていたのは、淡い薄柿色のスカーフを首に巻いた人だった。
何が「人だった」のかは、今もわからない。
年齢も性別も、声の高さも曖昧だった。
けれどその姿は、やけに自然にその場に溶け込んでいて、むしろ、私のほうが余所者のような気がした。

私は頷いた。
その人はにこりともせず、ただ静かに座った。
そして、注文もせずに、ただ窓の外を眺めていた。
「今日は、通り雨ですね」
そう言って、その人が窓に視線を送った瞬間、
ぽつり、と雨粒がガラスを叩いた。

第2章:声の記憶

それから、週に一度ほど、その人はカフェに現れた。
同じスカーフ、同じ席、同じ視線。そして、変わらぬ「声」。

「今日は風が強いですね」
「この前の落ち葉がまだ残っている」
「窓ガラスって、向こうが歪んで見えるでしょう?」
話しかけられているのか、独り言なのか、いつも曖昧だった。
私はただ、耳を傾けていただけだった。
その声には、重さがなかった。けれど、軽やかでもなかった。
感情というより、音として残る声だった。
まるで「色」を発しているような、不思議な声だった。

やがて、ある日ふと気づく。
その人のスカーフが、少し色褪せていた。
元から淡い薄柿色だったが、それはさらに白に近づき、まるで「消えかけた言葉」のようだった。
「この色、気に入っているんです。 昔、誰かに似合うと言われて」
それが、その人の口から出た最後の言葉だった。
その日を境にもう姿を見せることはなくなってしまった、その人は今どこにいるのだろう。

終章:薄柿色の残像

私は、それからも同じカフェに通った。
あの席に座り、時々窓の外を眺めた。
でも、もうあの声は聞こえなかった。
それでも、時折目に入る、看板の端の夕陽、本屋の包装紙、古いタイルの壁――

その中に、ふいに「薄柿色」が混じっていることがある。
そういう時、私は足を止める。
そして、あの人の声を思い出す。
雨音のような、乾いた落ち葉のような、静かな音色。
人は、色を通して誰かを覚えていることがある。
あなたには、「色」で思い出す人がいますか?

薄柿色(うすがきいろ)とは

薄柿色(うすがきいろ)は、熟した柿の実に白をひとさじ混ぜたような、淡くくすんだ橙色です。落ち着きと温かみを併せ持ち、派手さはないものの、どこか懐かしく、やわらかな印象を与えます。平安時代から親しまれてきた伝統色のひとつで、季節の移ろいや人の記憶に寄り添うような静かな美しさがあります。

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