遺書を書いたときの、ちょっと不思議な話
お題の物語の続きを書くっていう、きのころさんの「続きを考えませんかコンテスト」に参加します!
でもわたし、創作が超苦手でして、いつもの記事と同じく、続きの話はノンフィクションでお届けしたいと思います☺️
物語創作ではない、ゆるやかな記事を許してくださる「きのころネクスト」枠の応募で、今日はこのお話に続けて書いていきます↓↓
今朝、郵便受けに入っていた一通の手紙。
差出人の名前はない。
胸騒ぎに、震える手で封を開ける。
中に入っていたのは、
途中まで書かれた私の遺書。
覚えはない。
だが、間違いなく私の筆跡だ。
日付は明日になっていた。
なにやら不穏な始まり方ですが、ここから後は実話のため、バッドエンドでは終わらせませんので、ぜひ安心して物語をお読みくださいませ。
今朝、郵便受けに入っていた一通の手紙。
差出人の名前はない。
胸騒ぎに、震える手で封を開ける。
中に入っていたのは、
途中まで書かれた私の遺書。覚えはない。
だが、間違いなく私の筆跡だ。
日付は明日になっていた。
_(つづき)_
明日は、2月21日。
あーそっか、この時期に遺書、書いたことあったあった。思い出した。
歳がバレるから何年前とか言えないけど、大学生のときの2月の終わりですね。いや、3月だったかな?春休みに書いた。
ちょっとまず、その話を思い出すことにする。
友達と女2人で、アフリカに行ったんです。
私は大学1年生のとき、「国際協力っていいな」とぼんやり思っていて、公共政策の授業を受けたりしていて、「じゃあちょっと1回アフリカ見てこよう」って思ったのでした。
たぶん、自分で飛行機予約とかビザ申請をした、始めての旅行が、ガーナ。
友達は、始めての海外がガーナ。
当時、貧乏な大学生活をしてたから、往復のチケットを買うためにバイトを、昼と夜と週末で3つ、かけもちした。
大使館から届いたガーナのビザに、板チョコの形をしたパンフレットが付いていて、さすがガーナだなと思った。
ガーナは確か2週間くらいの滞在だったのだけど、実際行ってみたらテレビで見るアフリカとは全然違っていて、その後の進路を大きく変えることになった旅でした。

ちなみに野口英世ってガーナで黄熱病の研究をして、そのままガーナで亡くなったらしいけど、あの時代にガーナまで行くなんてすごいですね。
野口英世のおかげで私は病気にもならず、アフリカで健康に過ごしました☺️
さて、問題はここから。
いろんな学びのあったガーナから帰る日、長距離だったので空港までの移動に相乗りタクシーを使ったんですけど、相乗りタクシーって、6人くらいの席が全員埋まらないと出発してくれないんです。
やっと出発したと思ったら、前を走ってた車が強盗に遭ったり、そこからまたタクシーに乗り継いだり、いろんなトラブルもあって。
そうこうしてたら、夕方の飛行機に乗り遅れた。
空港に着いたら、チェックインカウンターで客室乗務員さんが片付けをしてました。
カーペットをくるくる巻いていて、愛想のない顔で、「飛行機はもう飛んだよ」と言われました。
あとから聞いたのですが、ガーナの人、つまりガーナ国内でチケットを買った人は、乗り遅れても他の便に変えられる制度があったらしい。割とゆるいんですね。
日本行きの便は週に数本しかないから、私達はガーナで延泊しないといけなくなった。
この事件は結構前の話なので、今ならGoogleマップとかUberとかBooking.comとか使えばどうにでもなったと思うのですが、当時はスマホもWiFiもなく、完全に陸の孤島状態です。ちょっとの現金しか持ってないし、海外旅行保険もきれちゃう。一巻の終わりです。
さて、本当に、作り話みたいな展開なのですが、往路の飛行機で、ガーナで働いている日本人のおじさんに会ったんですよね。
その人は「女2人でガーナ来てるの?」と心配して、「何かあったらこの人に連絡していいよ」って、ガーナの空港で働いてるガーナ人の名刺をくれたんでした。
そのガーナ人の彼に電話で連絡したら、空港ですぐ会えました。細身の優しそうな人で、セキュリティの仕事をしてると言ってた。制服を着てた。
彼は「飛行機に乗れるまで、うちに泊まっていいよ」って言ってくれた。
彼のお家のあるガーナ人の住宅街に車で連れってもらったのですが、そこがもう、すごく怖いところでした。
まず、住宅街に入るのに門があった。そして、家の門もガチガチに鉄格子。
やっぱり強盗とか、あるんですね。
道端に子どもたちがいて、こっちを見て「チャイナ、チャイナ」って、すごく騒いでた。
アジアの人を見かけるのが珍しいみたい。
私と友達は、ダブルベッドのある、6畳弱くらいの寝室を貸してもらった。
洗面台に歯磨き用のミネラルウォーターが置いてあったのを覚えています。
現地の人すら、水道水で歯磨きはダメなんですね。
いろんなショックが大きすぎて、その日はご飯が食べられず、そのまま寝ました。
さて、その日の夜中。
「家には僕以外に誰もいないよ」って聞いてたのに、夜に家に誰か人が入ってきて、なにかごそごそ話してる声がする。
え、誰?誘拐!?
私の友達はすごく計画性のある子で、「この部屋にヤバい人が来たらどうするか決めよう」といい出した。
部屋にはアフリカらしく、トーテムポールみたいな大きなアフリカの置き物があったので、
トーテムポールで不審者をブン殴る担当と、
不審者が入ってこないように、机で入口のドアを押さえる担当。
2人でじゃんけんして担当を決めて、2人で3時間ごとに順番に寝た。
それで、友達が言い出した。
「もう日本に帰れなくなるかもしれないからさ、遺書も書こうよ」
友達の遺書は確か、お母さんに宛てて書いていて、1日のストーリーがきれいにまとめられていました。最後に、これまでのいろんな感謝の気持ちとお詫びが入ってた気がする。お母さんへの愛を感じます。
私も遺書を書いた。ノートをぺりっと1枚破って切り離して、三つ折りの遺書みたいに折って、縦書きで「遺書」って書いた。
でも、何を書いたか全然覚えていません。
そんな大事なこと、忘れる?!って感じですが。
そしてこのガーナの旅、日記は残ってるのに、遺書はなぜか残ってないんです。
もしかしたら、それっぽく三つ折りにしてみたものの、書いてる途中で飽きて辞めたのかもしれない。覚えてないくらいだから、どうせ、大したことは書いてないんじゃない?って気もする。
内心、「ほんとにガーナで死ぬかなぁ?」って思ってたし。
私はふだんしょうもないことでクヨクヨする割に、大ピンチのときは、やけに楽観的なんですね。
ちなみに「ゲットー」という、スラム街みたいなところを通りすぎたことは、日記に書いてありました。
「ゲットー」:
マリファナとかやってる。
夜は、警察官でも殺されることがある場所。
バイクに乗った人に、車の中のものをひったくられるから、車の中でもカメラを持ってたらダメ。
見た目はふつうだった。 店ばかり並んでる。
成金っぽい人がいっぱいいた。 目つきは怖かった。
翌日、本当にいろんな偶然が重なり、色んな人のおかげで無事に飛行機のチケットを手に入れました。
その後にわかったことですが、家に泊めてくれたガーナ人の彼は、本当に素性の良くない人だったらしい。
現地滞在歴の長い日本人の方に、言われました。
彼を信用しないほうが良い。
身辺を調べたけど怪しいよ。
行きの飛行機であなたたちに彼を紹介した日本人も、ちょっと気になる噂がある会社の人だから。
彼の家を早く出なさい。彼にはもう合わないほうがいいし、連絡もしないほうがいい。去り際に50ドルくらいは見返りを求めるだろうね。
もし困ったら連絡してください。
確かに、初対面の人から全然知らないアフリカ人の名刺を渡されるなんて、いま考えても変だった。
それで私たちは、家を出てホテルに泊まることにしたのだけど、偶然にも、ガーナ人の彼はちょうど家にいない時だったので、お礼もお別れも言えず、そのまま家を出た。
「彼を信じるな」って言われたから、それ以来、連絡とったりはしてない。結局いい人だったのかもしれないし、実は人身売買のブローカーだったかもしれないし、今となっては真実はわからない。
ホテルにうつって数日後、無事に帰りの飛行機に乗れた私達は、トランジット先のドバイで町のツアーを大満喫したあと、もともとの予定の1週間後くらいに日本に無事帰りました。
さて、今回、若かりし頃の黒歴史を色鮮やかに思い出させていただきました。
あのとき書いたはずの、どれだけ探しても見つからない遺書。すっかり忘れていたのに、まさかこんなかたちで思い出すとは思っていませんでした。
しかも、昔とは言えど、ここに書きづらい裏話・しくじりが他にもあって、なんかもう、思い出すたびに「オイオイ何やってんだ私」ってなる。
自戒を込めて日記を晒しておきます。
「取り直した飛行機すら、また乗り遅れるところだった。2時35分発だから2時20分には着かないといけないのに、空港に着いたのは2時15分。ぜーはー。
チェックインの担当が前に会ったのと同じ人で、また怒られた。
飛行機から見える星がすごくきれいだった。爆睡した。
星が綺麗なのはまぁよかったけど、国際線、出発の15分前到着で間に合ったの?1回乗り遅れといて、なんだこの危なっかしい子は。先が心配ですね。
本当に、ちょっとボタンをかけ間違ってたら、テキトーに書いた、書きかけの遺書が、ガチの遺書になってたかもしれないなと思う。
そう考えたら、私が今、平穏に生きられてるのは、かなり奇跡的な偶然に満ち溢れています。
ひとまず今を平穏に生きることができて、幸せですね。
せっかくだから、もう1回ぐらいガーナ、行ってこようかな。
もう4000字近いのでお腹いっぱいかもしれませんが、デザートにガーナの豆知識をどうぞ。
ガーナの棺桶って、かわいいですよね☺️ご存じですか?
ガーナで遺書を書いた数日後、棺桶の制作現場もしっかり見学しました!
写真が残ってないので紹介記事を貼っておきます。棺桶をこんなにかわいくする感性がすてき。
調べてみたら、ガーナでは、「死は新しい人生の始まり」で、お葬式ではダンスをするらしい。この国には、死をあんまり怖いものとは見ていないのかな。
ダンス動画も見つけました。陽気で素敵!
最後にひとりごとですが、ところで結局、私の遺書はどこに行ったんでしょうかね。
どうせ大したこと書いてないと思うけど、思い出してしまったから、中身が気になる。
物語ではちゃんと遺書が見つかって、いいですね。
冒頭のフィクションが早く現実になることを祈るばかりです。
今朝、郵便受けに入っていた一通の手紙。
差出人の名前はない。
胸騒ぎに、震える手で封を開ける。
中に入っていたのは、
途中まで書かれた私の遺書。
覚えはない。
だが、間違いなく私の筆跡だ。
日付は明日になっていた。
ここまで読んでいただきどうもありがとうございました。
そして、これ以上ない素敵なお題を、ありがとうございました。きのころさんに御礼申し上げます。
おしまい。
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