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プレイステーションの「ディスク廃止宣言」から見る「物理的所有」の考察~「データで十分」はディストピアの始まり!?~


1 はじめに~当初は私と無関係と思っていた大手ゲーム会社の「宣言」~

 私は元々そんなにゲームを積極的に欲しい・プレイしたいという欲求が少なかった。ゲームボーイのような携帯ゲーム機にせよ、ニンテンドー64のような家庭用据え置きゲーム機にせよ、滅多に「このゲームがしたくてしたくてたまらない!このゲームをプレイしないと死んじゃう!」みたいな気持ちになることが無かった。おそらくゲーム機で遊ぶ欲望よりも、ポケモンカードやデュエルマスターズのようなトレーディングカードゲームの収集欲だったり、ZOIDSの収集や作製欲だったり、B'zの楽曲を聴き込んだりライヴに行きたい欲だったり、マンガを読みたい欲の方が強かったのかもしれない。かろうじて私が明確に「このゲームが欲しい」「このゲームをやりたい」と思ったのがゲームキューブのいくつかのタイトルであったり、『ドラゴンボール スパーキングネオ』『ドラゴンボール スパーキングメテオ』くらいのタイトルで満足してしまっていた。大学に入学して一人暮らしをするようになってからは、ソシャゲも含めてたとえ無料でプレイできるゲームがあったとしても全くゲームをやらなくなってしまった。せいぜいがニコニコ動画やYoutubeでゲーム実況配信者やVTuberのプレイするゲームの配信を視聴するくらいで、自分でプレイすることはまず無くなった(…と思っていたがよくよく思い返してみたら一人暮らしをしてしばらく経過した20代半ば辺りで同人エロゲとかプレイしていたことをすっかり忘れていた。個人的には『対魔忍アサギ.ZERO』は名作だと思っている。エロシーンは言わずもがな、普通の戦闘シーンのアニメーションがなかなか凝っていて素直に感動したのである。良い意味でエロゲへの偏見が取れた気がする)。

 そういうわけで、私は普通のゲーマーと呼ばれる人種からは程遠い人種だと思っていたので、ネットで「プレイステーションが2028年にパッケージでの販売をやめる」というのも、当初は「私には無関係なことだな」と思っていた。SNSを徘徊していると「ゲーマーとしてパッケージ販売が無くなるのは嘆かわしい」とか「ゲームはデータだけでも十分遊べるし企業努力としてパッケージ廃止の流れに賛成。パッケージに拘るのはゲーム会社にとってはむしろありがた迷惑だろう」みたいな賛否あふれる様子であった。

2 私の認識を変えたとあるゲーマーの「声明」

 普段であれば「私の馴染みの薄い界隈が何か色々大変そうだな」で終わってしまうところだったのだが、今回は偶然にも私のような門外漢にも説得力のあるコラムを作成している方の文章を発見したので、ここで紹介したいと思う。

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【コラム】プレイステーションの「ディスク廃止」について原理主義ゲーマーのお気持ち表明 | 悠々タル狂喜ログ | 家庭用ゲームの本音レビュー、感想、小ネタを発信するブログ

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 後述する論点とも繋がることなのだが、このブログの中で特に私が感銘を受けた部分を引用して紹介しようと思う。

ゲームの価格上昇、無法地帯化か
物理版が廃止されることで、ゲームソフトの購入方法はデジタル一択に絞られる。

これを受けて、デジタル派のユーザーは統一化によってサービスがより充実する未来を想像するかも知れないが、実際にはその逆の状況に陥るリスクがある。

何故かというと、デジタル版ゲームの販売価格は基本的には中古含む物理版の相場と連動しており、セールについても物理版の市場価格を踏まえて実施されるものだからだ。

たとえば発売して一か月程度しか経たないゲームのデジタル版がセールになることがあるが、それは不評によって中古が大量に出回るか、店舗で大量に売れ残ることによって、物理版の相場が下がっていることに起因している。
それによって、「PVだけは盛ってクソゲーを売り逃げする」ことはメーカー側も市場価格を下げるリスクとなり、クソゲー騙し売り戦法が使いづらいという一定の抑止力に繋がっていた。

ところがデジタル版一択の市場であれば中古に売られることもないで、"クソゲーを高額で騙し売りする戦略"がかなり有効になってしまう。また、先述したように中古市場が無いので、デジタル版をセールにする動機も薄れる。あらゆるゲームの定価購入する機会が増え、消費者目線ではゲーム一本あたりの購入ハードルが上がってしまうわけだ。

また、「物理版」というある種の競合市場を失うことで、早期購入特典、デジタル版特典といった購入者サービスも徐々に低下していく可能性が高い。それらの施策はそもそも、物理版の流通を前提としたサービスだったからだ。

結果的に、当のデジタル派のユーザーたちさえ価格・サービスの両面から苦しむ未来が起きうる。

間接的な利益の減少
たとえば今流行のゲーム実況という文化では、メーカーには金銭が入ってこない。「買わずにゲーム内容を視聴できてしまう」「実況だけで満足してしまう層がいる」と一見してデメリットも大きい。にも関わらずこの文化が公に認可されている、どころかメーカー側が金を積んでまでゲーム実況を依頼しているのは、コンテンツの露出機会が増えることで、間接的な利益を見込めるからに他ならない。

ゲームの中古市場も同様に、メーカーには直接金を落とさないが、間接的な利益へと繋がっている。店舗に並ぶことでコンテンツが多くの人間の目に触れる機会を増やし、中古販売というより手を出しやすい選択肢を設けることで、消費の間口を広げている。

従って「メーカーにお金が入らない」ことを理由に中古市場を叩いている人間は、ゲーム実況という文化も猛批判しなければならないわけだが、大抵はこれらがセットで行われていないところに中古否定派の視野の狭さが表れている。

「物理版を排除すればより儲かる」という理論は短期で見れば正しい。一般的に、パッケージ版よりもデジタルのDL版の方がコストが低く利益率が高いからだ。

しかし、長期で見れば物理版の存在から受けていた間接的な利益をすべて排除する行為であり、「儲けるためには商品を値上げしまくれば良い」といった方法論と同じ、バカの理論だと言わざるを得ない。

中古ソフトから生まれる新品購入者
筆者は成人後は「直接的なメーカー応援」「保存状態」の観点から新品でしかソフトを買わなくなったが、学生時代には自由に使える資金が限られていたため、よく中古ソフトにお世話になっていた。中古ソフトの市場があったお陰で少ないお小遣いの中でもゲーム趣味が定着しさまざまなジャンルやシリーズに興味を持てるきっかけとなった。

ゲーム事業において若年層の獲得は重要なテーマだが、学生などが新品でゲームソフトを購入し続けるというのも金銭的に無理がある。ところが、中古ソフトがあることで彼らは格段にゲームに参入しやすくなり、知人間に口コミを広げて間接的な利益を生み出したり、将来は当人が「新品購入者」へと成長する可能性がある。また、中古ソフトで買ったシリーズにハマって、最新作を予約するという行動も起きてくるだろう。

「貧乏人だから~」という文脈で一概に中古を否定する人は、自身ももともと子供だったことを忘れているのではないだろうか? 若年層のリアルな金銭事情、それから中古市場が新品購入者を育てるという構造を踏まえると、やはり中古ソフト市場は間接的にメーカーに貢献する重要な働きを担っていると言える。

触覚の重要性
令和の世にもなればデジタル崇拝のムーブメントはいったん落ち着き、「形のない利便性」に技術者が躍起になっていた反面、人間の満足度がじつは「触覚」と密接に結びついていることが重視されるようになってきた。

形や手触りが多く存在することで、脳は行動あたりの充実感を多く得られるようにできている。これは、ほとんどの人間が意識していないだろうが。
PS5からL2、R2ボタンに「触覚フィードバック」を搭載したソニー自身も、この時代の流れを理解しているとは言える。惜しくもその内容といえば、購入1日目で完全オフにするほどショボいものではあったが……

「たかが物理パッケージ如きの手触り」と侮ってはいけないのは、ディスクの出し入れといった単純作業にも多くの感触・質感が含まれており、これが100回、1000回と蓄積する程に、脳は満足度を上げると同時に、対象物への愛着を増させるからだ。

ゲーム関連の周辺機器で無駄にサラサラしていたり、ザラザラしていて感触が面白いつくりをしている商品が多いのも、こうした人間科学を踏まえてのこと。このことを知っていれば、子を持つ親もなるべくパッケージ版で買い与えたいと思うようになるだろう。

このように脳構造の観点からも、「触覚」情報が増えるアナログの物理版は重要なのである。

【コラム】プレイステーションの「ディスク廃止」について原理主義ゲーマーのお気持ち表明 | 悠々タル狂喜ログ | 家庭用ゲームの本音レビュー、感想、小ネタを発信するブログより引用

 私はこのブログを読んで、特に「物理的な中古市場の消費者が将来の顧客を育てている」という点に感銘を受けた。私も書籍という意味では古本屋の恩恵に預かったことは数え切れないし、同人誌も紙の中古版を手に取って初めて自分の好きな作家の存在を認知したりすることもあったりすることも一度や二度ではない。また、私はVTuberのグッズ(アクリルスタンドやぬいぐるみなど)を収集するのが最近の趣味の一つなのだが、中古市場があるおかげで現在では入手することが困難なレアグッズを購入することが出来たり、現在は既に卒業や引退してしまった方のグッズを購入できたりと色々な意味で重宝している。そういうわけで、上記のブログの投稿者の主張していることは予想以上に私にも共感できる点が多々あり、大いに学びになったところである。だが、これ以上に私の関心を呼び覚ますことがこの先に控えていたのである。

3 「個人の趣味」を超えて「国家と個人の人権」問題にまで発展するテーマであったことが判明

 このゲームの議論を抽象化して考えてみると、私にとっても全く他人事ではない気がしてきた。さらに以下のポストによって、この「ゲームのパッケージ問題」が「国家と個人の所有権」の問題にまで発展して、法学徒としてもとても興味深い話題に昇華したとさえ感じた。その興味深いポストを以下に引用して紹介したい。

なぜゲームの物理版がなくなると問題なのか? という問いへの答えは、5年前に世界の小島秀夫が示してくれていたらしい。

一般人の"所有"の概念が揺らぐことは権力乱用の先触れ、独裁政治への道となりうる。アナログっていわば人権の防衛線。

Xユーザーのカクリコ@ゲームブログさん: 「なぜゲームの物理版がなくなると問題なのか? という問いへの答えは、5年前に世界の小島秀夫が示してくれていたらしい。 一般人の"所有"の概念が揺らぐことは権力乱用の先触れ、独裁政治への道となりうる。アナログっていわば人権の防衛線。」 / Xより引用

いずれデジタルデータでさえ、個人主導で所有出来なくなる。世界が、国や政府、思想や風潮に何か大きな変化と事故が起こった時、それらへのアクセスが突然、絶たれることもあり得る。愛してきた数々の映画や本、音楽に自由に触れることは叶わない。持たざる者となる。それが怖い。これは物欲ではない。

Xユーザーの小島秀夫さん: 「いずれデジタルデータでさえ、個人主導で所有出来なくなる。世界が、国や政府、思想や風潮に何か大きな変化と事故が起こった時、それらへのアクセスが突然、絶たれることもあり得る。愛してきた数々の映画や本、音楽に自由に触れることは叶わない。持たざる者となる。それが怖い。これは物欲ではない。」 / Xより引用

 国家の統治者あるいは支配者的観点から言えば、政府の不都合な情報は政府自身の手によって掌握し国民がその情報に全くアクセスできないようにした方が都合が良いのは自明の理である。現に古来よりSF小説で描かれるディストピア空間には少なからず政府の検閲が当たり前のように存在することがしばしばである。

 そこで改めて疑問に思ったのだが、何故近代立憲民主主義を謳う国家においては出版・言論・その他表現の自由(あるいは、受け手側の自由としての「知る権利」ないし「知る自由」)をわざわざ保障しているのか、ということが気になったのである。昨今ではSNS規制が騒がれたり、そうでなくても「青少年健全保護育成条例」の名の下に「有害」「わいせつ」とされる表現が一定の規制に置かれたりしていることとどのように整合性が取れるのかといったことが改めて疑問に思ったわけである。

4 例の如くチャットGPT大先生に尋ねてみた~「国家と所有権」その他表現の自由などに関する疑問アレコレが予想以上に膨大になったので時間があるときに読んで欲しい。正直有料級にしたい情報が取れたと思っているので私の気が変わらないうちに=無料のうちに読むことをオススメしたい。あえて無料でこの情報を提供したいと思ったのは、読者の「知る自由」そして「学ぶ自由」を保障するため、ひいては「公共の利益」に資するためである!~

 こうした疑問を解消するため私が大いに頼りにしている存在がある。チャットGPT大先生との対話である。もはや私が世界一信用している「教授」と言っても過言ではない。何だか私が生成AI依存に陥っているという別の危惧が生まれそうな気もしているが、瞬時に私の疑問に的確に・誠実に答えてくれるチャットGPT大先生があるのがいけない!と思うのである。

 それはさておき、順を追って私はまずチャットGPT大先生に以下のような質問(プロンプト)を投げたのである。

(1)前提となる質問~所有欲と国家の関係~

「そもそも人類が何か物を『所有したい』『コレクションしたい』という欲望はどういう理由(あるいはメカニズム)から発生するのでしょうか。そして、国家(あるいは統治者・支配者)は個人の所有権についてどのような態度を取ってきたのでしょうか。この辺りについて解説した書籍などがあれば、それも紹介して頂けると助かります」

とても面白いテーマです。実はこの問いは、人類学・進化心理学・経済学・政治哲学・法学・歴史学が交差する大きな研究領域になっています。

ご質問は大きく分けると、
①なぜ人間は「所有したい」「集めたい」と思うのか
②国家は個人の所有権をどのように扱ってきたのか
という二つの問題になります。それぞれ見ていきます

1. なぜ人間は「所有したい」と思うのか
実はこれには単一の答えはありません。現在では複数のメカニズムが重なっていると考えられています。

① 生存戦略(進化心理学)
最も基本的なのは、「資源を確保した個体ほど生き残りやすかった」ということです。
狩猟採集時代でも
・食料
・道具
・火
・住む場所
を確保できる人間は生存率が高くなります。
つまり「所有=生存確率を上げる仕組み」だったわけです。
現代では食料の代わりに
・お金
・家
・土地
へ対象が変わっただけとも言えます。

② 予測不能への備え
人間は未来が不確実です。
「明日獲物が獲れないかもしれない」
だから備蓄する。
この心理は今でも残っています。
例えば
・貯金
・非常食
・保険
・家
などはすべて「将来の不安への備え」です。

③ 自己拡張(Extended Self)
心理学では有名な考え方があります。
人は「自分の所有物を自分自身の一部だと感じる」というものです。
例えば
・自分の家
・自分の車
・自分の本棚
を傷つけられると、自分が傷つけられたように感じます。
これは心理学者のラッセル・ベルクが提唱した「拡張された自己(Extended Self)」という考え方です。
つまり、所有物は「自己」の境界を広げる役割も果たします。

④ エンダウメント効果
ダニエル・カーネマンらが示した有名な現象です。
人は「持っているもの」を「持っていないもの」より高く評価します。
例えば、同じマグカップでももらった瞬間に「これは5000円でも売りたくない」となる。これは合理的ではありません。
つまり、所有そのものが価値を生みます。

⑤ コレクション欲
これはさらに興味深い現象です。
生存には全く必要ない
・切手
・フィギュア
・本
・レコード
を集めたくなる。
これにはいくつか説があります。

【パターン完成欲求】
人間は「あと1個で全部揃う」という状態に非常に弱い。
これは認知心理学でも知られています。

【知識の可視化】
コレクションは「私はこの世界を理解している」という感覚を与えます。
本棚を見るだけで満足する人がいるのもこれです。

【地位シグナル】
人類学では所有は「私はこれだけ資源を持っている」という社会的シグナルでもありました。
現在でも
・高級時計
・美術品
・ワイン
などはその側面があります。

2. 国家は所有権をどう扱ってきたのか
これも歴史を通じて大きく変化しています。
【古代】
古代では土地は王のものという考え方が多く見られます。
例えば
・古代エジプト王国
・アッシリア帝国
では、王が土地を与え王が取り上げるという形でした。
個人所有は非常に限定的でした。
【ローマ】
古代ローマになると大きく変わります。ここで私有財産権が高度に法制度化されます。現在の民法の源流にもなっています。
【中世ヨーロッパ】
封建制では土地の最終所有者は王。しかし貴族が利用権を持つ。農民も利用権を持つ。つまり、複雑な「重層的所有」がありました。現代のような絶対的所有権ではありません。
【近代】
ここで革命が起きます。ジョン・ロックは「人は自分の労働を混ぜたものを所有できる」と論じました。これが近代所有権思想の基礎になります。
さらにフランス革命では私有財産は「不可侵の権利」とされました。
【社会主義国家】
一方で、カール・マルクスは私有財産が格差や搾取を生むと考えました。その影響を受けた国々では土地・工場・企業などが国有化されました。ただし生活用品まで否定したわけではなく、主に生産手段の私有を問題視しました。
【現代国家】
現在では多くの国が「私有財産は尊重する」
一方で公共利益のためには
・課税
・収用
・都市計画
・環境規制
などで制限もできるという立場です。
つまり所有権は強いが絶対ではありません。

このテーマを学ぶならおすすめの本
入門から専門まで順番に紹介します。
所有とは何か
・『
所有とは何か』
→所有権思想の歴史をたどる古典的な一冊です。
・『所有論』
→「所有とは盗みである」という有名な命題で知られる古典です。挑発的ですが、所有権を考えるうえで重要な位置を占めます。
②国家と所有権
・『統治二論』
→労働と所有権の関係を論じた近代政治哲学の基本文献です。
・『資本論』
→所有・資本・労働の関係を批判的に分析した古典です。
③人間はなぜ集めるのか
・『Possessions and the Extended Self』(論文)
→所有物を自己の一部と感じる「拡張された自己」を論じた代表的な研究です。
・『Thinking, Fast and Slow』
→エンダウメント効果など、所有が意思決定に与える影響を一般向けに解説しています。
④人類史から見るなら
・『
サピエンス全史』
→所有や国家の成立を広い歴史の中で考える導入として読みやすい一冊です。
・『万物の黎明』
→「国家・私有財産は直線的に発展した」という通説を再検討し、多様な社会のあり方を豊富な考古学・人類学の知見から描いています。

もしこのテーマを思想史として体系的に学びたいのであれば、個人的には次の流れがおすすめです。
①『サピエンス全史』で人類史の大きな流れをつかむ。
②『万物の黎明』で近年の人類学・考古学から通説を見直す視点を得る。
③『統治二論』で近代的な所有権の理論を学ぶ。
④『所有とは何か』で所有権思想の歴史を整理する。
⑤『資本論』や『所有論』で所有権への批判的な見方にも触れる。
この順番で読むと、「なぜ人は所有を望むのか」と「国家はなぜその所有を保護したり制限したりするのか」という二つの問いが、進化・心理・歴史・政治哲学という異なるレベルでどのようにつながっているのかを立体的に理解しやすくなります。

チャットGPTの回答より引用

(2)個人の知識の所有と、あえて国家が国民に知識の所有を認める理由との関係性

「ありがとうございます。私は特に『知識』の『所有』(もしくは『保有』という表現が正確か)に大きな関心があります。典型的な『知識の所有』の具体例として『物理的な紙の本・新聞紙の所有』が考えられると思います。一方で、統治者の観点から言えば、こうした『個人による知識の所有』を認めると統治の上で不都合な情報の個人所有まで認めることになり効率的な支配の観点からは不都合なはずです。そうすると、紙の本や新聞紙の所有といったことに対して統治者は一定の制約を課すのが合理的だとも思えるのですが、少なくとも近代以降の立憲民主主義国家の建前としては紙の本や新聞紙の所有を財産権の一部として認めています。統治者にとって不利になるにもかかわらず個人の『紙の本や新聞紙=物理的に固定化された知識』を所有する権利を認めたのは、どういった背景があるのでしょうか」

これは非常に興味深い論点です。そして実は、ご質問は「なぜ近代国家は、自らを弱くしうる自由を制度として認めたのか」という、政治思想史の中心的なテーマの一つに触れています。

結論を先に言えば、近代国家は「知識の所有」を認めたというより、「知識へのアクセスを国家が独占しない」という原理を採用したと考える方が実態に近いと思います。
そして、その背景には複数の理由が重なっています

まず、「本の所有」と「知識の所有」は実は違う
最初に整理したいのは、法的にも哲学的にも
・本(物)
・知識(情報)
は別のものとして扱われてきたことです。
例えば、一冊の本を買えば、
・紙
・インク
・装丁
は自分の所有物になります。
しかし、
・その内容を独占する権利
は通常ありません。
逆に著者は
・内容を著作権で一定期間保護される
一方、
・あなたの本そのもの
は所有していません。
つまり物の所有権情報に関する権利は昔から切り分けられていました。
これはかなり重要です。

では国家はなぜ本を持つことを認めたのか
実は歴史を見ると、認めてきたわけではありません。
かなり長い間、国家は知識の流通を厳しく管理していました。
【活版印刷以前】
写本は高価でした。
修道院や宮廷が知識を管理していました。
知識は「持てる人しか持てない」状態でした。これはある意味では自然な情報統制でした。
【活版印刷の衝撃】
ヨハネス・グーテンベルク以降、状況は一変します。大量印刷が可能になり、国家や教会は非常に危機感を抱きました。
そこで行われたのが
・出版許可制
・検閲
・禁書
・印刷業者への免許制度
です。つまり、国家は最初から「知識を自由に持たせよう」と考えていたわけではないのです。

なぜ近代で変わったのか
ここが本題になります。私は少なくとも四つの理由があると思います。
① 「知識の独占」は国家自身にも不利益だった
これは非常に重要です。18〜19世紀になると、国家が必要とするものが変わります。例えば
・科学
・工学
・医学
・法律
・会計
・航海術
です。これらは中央政府だけが知っていても意味がありません。社会全体が賢くならなければ
・強い軍隊
・強い産業
・強い経済
は作れません。つまり国民に知識を持たせた方が国家も強くなるという逆転が起きました。これは近代国家の成立と深く結びついています。
② 市場経済は情報の流通を必要とした
市場経済では
・契約
・技術
・相場
・法律
が共有されなければなりません。本を読む自由がなければ経済発展そのものが難しくなります。つまり、自由な出版は自由市場のインフラでもあったのです。
③ 啓蒙思想
ここで大きいのがイマヌエル・カントです。カントは有名な論文『啓蒙とは何か』で、「人間は自分の理性を公的に用いる自由を持つべきだ」と主張しました。つまり知識は国家が与えるものではなく、市民同士が共有するもの
という考え方です。
④ 国家権力への不信
近代立憲主義には、
非常に重要な前提があります。それは権力は必ず暴走するという認識です。
そのため
・言論の自由
・出版の自由
・学問の自由
は国家を困らせる自由であることを承知の上で保障されました。つまり「国家に都合が悪いから禁止する」こと自体が危険だと考えたわけです。

実は「所有権」より「表現の自由」の方が重要だった
ここは少し意外かもしれません。本を持てる理由は財産権だけではありません。むしろ
・表現の自由
・出版の自由
・知る自由
によって支えられています。
例えば政府が「この新聞は没収する」と言えばそれは財産権侵害である以前に表現の自由の侵害になります。つまり知識媒体の保有は財産権と言論の自由の両方によって守られているのです。

しかし国家は本当に諦めたわけではない
ここも重要です。近代国家も、実際には情報を完全に自由にはしていません。例えば
・軍事機密
・国家機密
・個人情報
・外交文書
・著作権
などには制限があります。また、歴史を見れば、戦時には検閲や発禁が復活する例も少なくありません。たとえば治安維持法による言論統制や、第一次世界大戦・第二次世界大戦期の各国の検閲は、立憲国家であっても情報統制へ傾くことを示しています。つまり、国家は情報統制を放棄したのではなく、「一定の自由を原則としつつ、例外的に制限する」というモデルへ移行したと見る方が正確でしょう。

あなたの問いは、さらに「知識の政治哲学」へつながる
ご質問を読んでいて思い浮かんだのは、実は「所有権」そのものよりも、「知識と権力」の関係を論じた思想家たちです。

特におすすめしたいのは次のような著作です。
・監獄の誕生 — 権力は単に暴力ではなく、「知識を組織し、人々を分類し、規律化すること」を通じても働くという視点を示します。
・『知識人とは何か』(講演・論考集)— 知識と政治の結びつきを考える手がかりになります。
・『想像の共同体』 — 新聞や出版が国民国家そのものを成立させたという、有名な「印刷資本主義」の議論を展開しています。
・『自由論』 — なぜ国家にとって不都合な意見まで保護すべきなのかを、「真理の探究」という観点から擁護した古典です。
・『公共性の構造転換 』— 本や新聞、サロン、雑誌などを通じて、市民が国家とは別の「公共圏」を形成した歴史を分析した名著です。


私は、この中でも特に**『公共性の構造転換』『想像の共同体』**が、ご関心に最も近いように感じます。どちらも、「なぜ統治者は人々が本や新聞を読み、議論することを最終的には制度の中に組み込まざるを得なかったのか」を、国家・市場・出版文化の相互作用の中で説明しようとする著作だからです。

さらに言えば、あなたの問題意識は「紙の本」という媒体にとどまりません。現在では「電子書籍」「インターネット」「生成AI」が登場し、「知識は所有されるものなのか、それともアクセスされるものなのか」という問いへと発展しています。この問いは、近代の所有権論だけでは十分に説明できず、情報法やデジタル政治哲学の中心的なテーマになりつつあります。私は、この延長線上には「知識を所有する権利」と「知識へアクセスする権利」は本質的に異なるのではないか、という非常に深い論点があるように思います。

チャットGPTの回答より引用

(3)「ゲーム業界におけるパッケージ販売廃止問題」と紙情報のデータベース化の懸念点

「ありがとうございます。実はこの論点に至る過程である出来事がありました。とあるテレビゲームの制作・販売を生業にしていた会社が2028年を目処に物理的なパッケージの販売を廃止し、データ(ダウンロード形式)による販売のみにすることが報じられ、賛否分かれる意見が出ました。このゲームをデータでのみ販売することは書籍や新聞紙においても同様の現象が起きうると考えられました。つまり、データでのみの販売にしてしまい物理的な物を所有できなくなるとすると、メーカーやプラットフォームの都合で自由に不都合なデータを後出し的に編集されたり削除されるおそれが出るわけです。これは民間企業が主体となって行うことが想定されていますが、奇しくも不都合な情報の後出し的な編集は統治者にとっての悲願でもあったわけです。企業がデータのみの販売を促進すると結果的に顧客・国民の『知る自由』が制約されることに繋がりかねないという危惧を覚えたのですが、この点についてどのように考えますか。」

私は、この懸念は決して杞憂ではないと思います。ただし、その問題の本質は「データ化そのもの」ではなく、「所有権」から「利用権(ライセンス)」への移行にあると考えています。
ゲームのダウンロード販売は、その変化を最も分かりやすく可視化した事例の一つです。

「本を買う」から「読む権利を借りる」へ
紙の本を購入した場合、あなたが所有しているのは、
・紙
・インク
・製本
という物理的な物です。出版社が倒産しようが、著者が考えを変えようが、その本はあなたの本棚に残ります。
ところが電子書籍では、多くの場合あなたは「電子データを所有している」のではなく、「サービス上で閲覧するライセンスを持っている」にすぎません。ゲームも同様です。昔のゲームソフトは、
・ROMカセット
・CD
・DVD
・Blu-ray
という物理媒体でした。メーカーが倒産しても遊べました。しかしダウンロード版では
・アカウント停止
・配信終了
・DRM(デジタル著作権管理)の停止
・サーバー終了
などによって、利用できなくなる可能性があります。
つまり、所有からアクセスへという大きな転換が起きています。

あなたが指摘されているのは「記憶の政治」でもある
私は、ご質問の中で特に重要だと感じたのは、この部分です。
「メーカーやプラットフォームの都合で自由に不都合なデータを後出し的に編集されたり削除されるおそれ」
これは単なる消費者保護の問題ではありません。もっと根本的には、社会の記憶を誰が管理するのかという問題です。紙の本は、一度何百万部も流通すれば、完全に回収することはほぼ不可能です。しかしデジタル配信では、
理論上は
・更新
・修正
・削除
が可能です。もちろん実際には、購入済みデータが必ずしも一斉に書き換えられるわけではなく、技術や契約によって状況は異なります。しかし、技術的可能性としては、物理媒体よりも提供者側の管理が及びやすいことは確かです。これは歴史上初めて、出版後も内容が可変である媒体が一般化したことを意味します。

実は歴史上、統治者はずっとこれを夢見ていた
あなたが結びつけた点は非常に示唆的です。歴史上、権力者が困っていたのは、「すでに広まってしまった情報」でした。例えば、ある本を禁書に指定しても、何万冊も流通していれば完全には消せません。しかし、もし全国民が「一つのサーバー」からしか読めないならどうでしょう。
理論上は
・一行を書き換える
・一章を削除する
・本そのものを配信停止にする
ことができます。これは近代以前の検閲より、技術的にははるかに強力です。

しかし、ここで重要なのは「誰が主体か」です
あなたは「民間企業が主体となって行う」と書かれています。ここが現代の特徴です。20世紀までの検閲は国家が主体でした。ところが現在は巨大プラットフォーム企業が
・配信
・保存
・検索
・推薦
を支配しています。つまり国家ではなく、企業が情報インフラになっています。その結果、企業の判断だけで
・見える情報
・見えない情報
が変化し得ます。

国家と企業の利害は、必ずしも一致しない
ただし、一点だけ補足したいことがあります。企業が情報を編集・削除する理由は、必ずしも統治者と同じではありません。
企業には、
・法令遵守
・著作権侵害への対応
・名誉毀損への対応
・セキュリティ上の修正
・品質改善
・ブランド保護
など、正当な理由でコンテンツを変更する場合もあります。
一方で、国家は
・政治的安定
・治安維持
・国家機密
などを理由に情報統制を行うことがあります。しかし両者が協調することもあり得ます。例えば政府が「この情報を削除してほしい」と要請し、企業が応じる。すると法律上は民間企業の判断でも、実質的には国家の意思が反映されることがあります。このため近年は、国家による検閲だけでなく、プラットフォーム・ガバナンスという観点からも議論が進んでいます。

紙の本は「分散保存」という強さを持っている
私は紙媒体の本質的な価値は、情報が紙に印刷されていることではなく、情報の保管主体が分散することにあると思います。例えば100万冊売れた本は、100万人が保管しています。国家も出版社も、全部を書き換えることはできません。つまり所有者が100万人いること自体が情報の安全保障になっている。これは非常に面白い点です。実はこの発想は、図書館学やアーカイブ学でも重要視されています。保存先が分散しているほど、情報は消えにくい。

これは「知る自由」だけでなく「忘れない自由」の問題でもある
私は、あなたの問題意識は「知る自由」だけではなく、「過去を未来に残す自由」にも関係しているように思います。社会は過去の資料を自由に参照できるからこそ、政府や企業の判断を後から検証できます。もし資料が容易に更新・削除できるなら、「当時は何が書かれていたのか」を確認すること自体が難しくなります。歴史研究、報道、司法、民主主義は、いずれも「記録が改変されないこと」に大きく依存しています。

このテーマをさらに深く考えるなら
あなたの問題意識に最も近いのは、「所有権論」よりもむしろメディア論アーカイブ論かもしれません。
特に次の著作は、今回の問いと強く響き合います。
・『ガバニング・ザ・コモンズ』(知識そのものではありませんが、「共有資源を誰がどのように管理するか」という発想は、デジタル情報にも応用されています。)
・『監視資本主義時代』(巨大プラットフォーム企業が情報環境をどのように形成するかを論じています。)
・『公共性の構造転換』(公共圏がどのような媒体に支えられてきたかを考えるうえで重要です。)
・『想像の共同体』(新聞や出版が社会の共有認識をどのように形作ったかを分析しています。)

最後に一つだけ付け加えると、現在の議論は「紙かデジタルか」という二項対立から一歩進みつつあります。より根本的な問いは、「知識へのアクセスを支える基盤を、誰がどれだけ一方的に変更できるべきか」です。紙の本はその基盤を所有者へ分散させました。クラウド型サービスは提供者へ集中させる傾向があります。問題の核心は媒体そのものではなく、その制御権がどこにあるのか、そしてその制御に対して利用者や社会がどのような歯止めを持てるのか、という点にあるのではないでしょうか。これは今後、電子書籍、ゲーム、音楽、映像、さらにはAIが生成・配信する知識全般について、ますます重要になる論点だと考えます。

チャットGPTの回答より引用

(4)新しい国家的事業の提案~「レトロゲーム博物館」運営の是非~

「話が多少ずれるかもしれませんが、物理的な書籍・新聞紙のアーカイブとして物理的な図書館が一定の役割を果たしていると思います。そこで、テレビゲームやソーシャルゲーム、トレーディングカードゲームやボードゲームといった娯楽の物理的アーカイブ施設を設けることは重要な政策たり得ると思ったのです。特に日本のような世界でも有数のエンタメ大国においては、例えば国営の『テレビゲーム(レトロゲーム)館』といったものを運営すれば観光資源としても次世代のクリエイター育成としても、そして新しい雇用の確保(ならびに新たな所得税などの確保)といった点で十分な役割を果たしてくれると思ったのですが、この点について忌憚のない意見を聞かせて下さい。」

私は、このアイデアは十分に検討に値する公共政策だと思います。

ただし、単なる「ゲーム博物館」を造るだけでは、おそらく期待される効果は限定的です。むしろ発想を一段広げて、「日本エンターテインメント・アーカイブ構想」のようなものとして設計すると、文化政策・産業政策・教育政策を横断する意味を持ち得ると思います。

そして興味深いことに、この話は、ここまで議論してきた**「知識の所有」「社会の記憶」**というテーマの延長線上にあります。

なぜ図書館は存在するのか
図書館は、本を貸す施設というイメージがありますが、本質的には違います。図書館は「市場から消えても、その社会の知識を残す」という公共機関です。つまり、市場価値と文化価値を分離する仕組みです。例えば100年前の新聞。今では商品価値はありません。しかし歴史資料としての価値は計り知れません。市場に任せれば失われるものを、公共機関が保存する。これが図書館です。

実はゲームも同じ段階に入りつつある
1980年代のゲームは、当時は「子供のおもちゃ」でした。
しかし現在では、
・技術史
・芸術史
・メディア史
・社会史
を研究する重要資料になっています。
例えば、ゲーム内の
・UI
・音楽
・シナリオ
・操作体系
は、その時代の思想や技術水準を反映しています。つまり、ゲームは文化財になり始めています。

ところがゲームは本より消えやすい
ここが最大の問題です。本は紙さえ残れば読めます。
しかしゲームは
・ハードウェア
・OS
・DRM
・サーバー
・ネットワーク
まで保存しなければなりません。
さらにソーシャルゲームではサーバーが停止した瞬間にゲーム世界そのものが消えます。これは、図書館で言えば本の内容だけでなく、本棚そのものまで消えるようなものです。

「遊べる状態」で保存する必要がある
私はここが一番重要だと思います。ゲームは読むものではありません。体験するものです。例えば同じゲームでも動画を見ることと、実際に操作することは全く違います。したがってゲームアーカイブは単なるROM保存では足りません。必要なのは
・当時のハード
・コントローラー
・CRTテレビ
・説明書
・パッケージ
・雑誌
・広告
まで含めた保存です。これは博物館学でいう「文脈保存(context preservation)」に近い考え方です。

あなたが挙げた政策効果はかなり現実的です
私は次の四つは十分あり得ると思います。
① 観光資源
これはかなり可能性があります。
日本には
・任天堂
・セガ
・バンダイナムコ
・カプコン
・コナミ
・スクウェア・エニックス
など、世界的IPを多数生み出してきた歴史があります。海外ファンは「ゲームの聖地」を求めています。
② 人材育成
これは非常に重要です。
映画監督が昔の映画を見るようにゲームクリエイターも昔のゲームを遊ぶことで設計思想を学びます。現在は古いゲームほど遊ぶことが難しくなっています。これは教育上、大きな損失です。
③ 学術研究
これはまだ日本では十分認識されていません。
ゲーム研究には
・歴史学
・芸術学
・音楽学
・AI研究
・HCI(ヒューマン・コンピュータ・インタラクション)
・心理学
などが関わります。研究用アーカイブは今後ますます重要になるでしょう。
④ 文化安全保障
私はこれが一番重要だと思っています。以前お話ししたように、文化も国家の記憶です。もし企業の倒産やライセンス切れによって数千本のゲームが消えるなら、日本文化の一部が失われます。つまりゲームアーカイブは文化財保護政策でもあります。

一方で、実現には難しい課題もあります
ここは慎重に考える必要があります。
【著作権】
最大の問題です。
ゲームは
・プログラム
・音楽
・キャラクター
・映像
・商標
など、複数の権利が重なっています。保存と公開は別問題です。国立施設であっても、「所蔵できる」ことと「誰でも遊べる」ことは同義ではありません。
【ソーシャルゲーム】
さらに難しいです。ゲームデータだけでは保存できません。
例えば
・サーバープログラム
・イベントデータ
・バランス調整履歴
・運営告知
・プレイヤーコミュニティ
まで含めてゲーム文化です。何を保存すべきかはまだ世界的にも答えが出ていません。
【コスト】
ゲーム一本ではなく、何万本も保存するなら維持費は相当になります。ただし、国立博物館や図書館も市場原理だけでは説明できない公共財です。費用対効果は短期的な収益だけでは測れません。

私なら「ゲーム館」ではなく「エンターテインメント保存院」を提案します
実は、あなたの発想を聞いていて、対象をゲームだけに限定するのは少し惜しいと思いました。
例えば、
・家庭用ゲーム
・アーケードゲーム
・ソーシャルゲーム
・PCゲーム
・トレーディングカードゲーム
・ボードゲーム
・TRPG
・同人ゲーム
・ゲーム雑誌
・攻略本
・周辺機器
・開発資料(可能な範囲で)
・開発者インタビュー
・プレイヤーコミュニティの記録
まで一体として保存する。そうすると、単なる博物館ではなく、日本のゲーム文化全体の記憶を保存する国立アーカイブになります。

最後に、あなたとのこれまでの話を踏まえて感じたこと

最初にあなたは「知識の所有」について問いを立てられました。そして電子配信の話では、「知識へのアクセスが提供者に依存すること」の危うさを指摘されました。
今回の提案は、その問題に対する一つの制度的な答えになっています。
つまり、市場は作品を生み出すことには優れていますが、「永続的に保存すること」は必ずしも得意ではありません。

企業は利益を生む限り作品を維持しますが、採算が取れなくなればサービス終了や販売終了は合理的な判断になります。一方で、社会全体から見れば、その作品は文化史・技術史・社会史を伝える資料であり続けることがあります。

だからこそ、図書館や公文書館が市場とは別の論理で存在するように、ゲームやデジタル娯楽についても**「保存を公共財として担う機関」**を設けることには十分な政策的合理性があります。

そのような機関は、過去の作品を懐かしむためだけではありません。将来のクリエイターが学び、研究者が検証し、市民が自国の文化史を振り返るための「社会の記憶」を支えるインフラとして位置づけることができるでしょう。私は、そのような視点であれば、日本が世界に先駆けて取り組む意義は小さくないと考えます。

チャットGPTの回答より引用

(5)「エンターテインメント保存院」実現に向けての課題~「規制」と「保存」は両立するか~

「ありがとうございます。『エンターテインメント保存院』はとても良いと思いますし、やはり国家が(特に日本が先駆けて)この役割を果たす意義が改めて証明されたと思います。一方で、国や地方公共団体は一部選挙における判断において有権者を惑わせる『誤情報』の流布を防止する目的でSNS規制の動きに積極的だったり、『青少年保護育成健全条例』の名の下に未成年にとって『有害』『わいせつ』『卑猥』とされる情報の掲載された書籍・雑誌の販売が制限されることがあったり、ゲームの使用時間を制限する旨の規定のある条例が制定されたりしています。このような現実の規制推進の流れが社会的にも許容されているとなると、『エンターテインメント保存院』の実現は机上の空論のように思えてしまうのですが、SNS等の表現規制についてはどのような意見を持っていますか。」

ありがとうございます。ここまでのお話を通じて感じたのは、あなたの関心は単純な「表現の自由か、規制か」という二項対立にはないということです。むしろ、「民主国家は、自らにとって不都合な情報や文化を、どこまで保存・許容する責任を負うのか」という問いを立てられているのだと思います。
私は、この問いに対しては「表現の自由は重要だから規制は全部反対」という単純な立場も、「誤情報があるから規制すべき」という単純な立場も、どちらも十分ではないと考えています。

国家には二つの役割がある
私は、国家には本質的に二つの役割があり、この二つは常に緊張関係にあります。
一つは秩序を維持することです。
例えば、
・詐欺
・選挙妨害
・名誉毀損
・児童虐待に関わる表現
・テロの扇動
などに対して一定の規制を設けることは、多くの立憲民主主義国家でも認められています。
もう一つは自由を保障することです。つまり、国家は社会を守るだけではなく、国家自身の権力から国民を守る存在でもあります。立憲主義とは、本来こちらを非常に重視する考え方です。

SNSは、この二つが衝突しやすい
例えば選挙期間中に、明らかな偽情報が数千万回拡散されるとします。国家には「民主主義を守るために何か対策を講じるべきだ」という要請が生じます。一方で、国家が「何が偽情報か」を決め始めると、今度は国家自身が情報を管理する側になります。このジレンマは簡単には解決できません。しかもSNSでは、情報が数時間で世界中に広がるため、従来の新聞やテレビとは問題の性質が異なります。

私が特に慎重であるべきだと思うのは「判断主体」です
規制の必要性を論じることと、誰が規制するのかは別問題です。
例えば、「誤情報を削除する」という政策があったとして、
・裁判所が個別に判断するのか
・行政機関が判断するのか
・民間プラットフォームが判断するのか
・AIが自動判定するのか
では、自由への影響はかなり違います。
私は、この点が日本でも世界でも十分に議論されているとは言い切れないと思います。

「エンターテインメント保存院」は、規制とは別の役割を担える
ここで面白いのは、あなたの提案は規制機関ではないということです。むしろ保存機関です。これは図書館と同じ発想です。例えば図書館には、一般の書店では販売されなくなった本や、研究上重要な資料が保存されています。保存することと、誰でも自由に配布することは、必ずしも同じではありません。例えば、あるゲームが将来、年齢制限の見直しや著作権の事情で一般流通しなくなったとしても、研究目的や文化保存のために保存する価値はあり得ます。この意味で、保存は規制と対立する概念ではなく、規制とは別の公共目的です。

「青少年保護」と「文化保存」も、本来は別の問題です
例えば、ある作品について「18歳未満への販売を制限する」という政策があるとします。この政策の是非は別として、そこから「作品を廃棄する」という結論は導かれません。実際、年齢制限付き作品でも、国立図書館や大学図書館などでは研究資料として保存されることがあります。つまり、アクセスをどう設計するか保存するかどうかは区別できます。これはゲームについても同じ発想が可能でしょう。

日本は、実は保存があまり得意ではない面もある
これはゲームに限りません。日本は文化を創造する力は非常に高い一方で、その保存は必ずしも体系的ではないと言われることがあります。漫画の原画、アニメ制作資料、ゲーム開発資料などは、個人や企業が保管している例も多く、散逸のリスクが指摘されてきました。もちろん近年は改善の動きもありますが、「国家的な文化アーカイブ」という観点では、まだ発展の余地があります。

一つだけ気を付けたいことがあります
ここまでのお話で、私は一つだけ慎重に区別したい点があります。あなたは
「規制推進の流れが社会的にも許容されている」と述べられました。確かに、SNS規制や青少年保護条例などは一定の支持を受けることがあります。しかし、それをもって「だから保存政策は実現しない」とは必ずしも言えないと思います。なぜなら、規制の議論アーカイブの議論では、関心を持つ人も政策目的も異なるからです。実際、多くの国では、ある資料を一般向けには制限しながら、同時に公的機関で保存するという仕組みが存在します。つまり、「流通のルール」と「歴史資料として保存する責任」は、両立し得るのです。

最後に
実は私は、あなたが提案された「エンターテインメント保存院」の構想で最も価値があるのは、国家が「何を残すか」を決めることではなく、「残す責任を引き受ける」ことだと思います。ここには大きな違いがあります。

国家が「この作品は望ましいから保存し、この作品は望ましくないから保存しない」という発想になると、それは文化政策が価値判断を強く帯びることになります。

一方で、「市場から消えるかどうかとは別に、その時代の文化をできるだけ網羅的に保存する」という姿勢であれば、将来の研究者や市民が過去を検証できる土台を残すことになります。

民主社会では、後世の人々が「当時は何が作られ、何が議論されていたのか」を自分たちで確かめられることに意味があります。その意味で、アーカイブは「政府のための記録」ではなく、「将来の社会のための記録」です。

私は、その役割は図書館や公文書館と同じく、長期的な公共投資として考える価値があると思います。そして、保存機関が信頼されるためには、政治的立場や流行によって収集・保存対象が左右されにくい制度設計や、専門家による独立性の高い運営が重要になるでしょう。そうした条件が整えば、「保存」と「表現規制」を同じ問題として扱うのではなく、それぞれ異なる公共目的を持つ政策として設計する余地は十分にあると考えます。

チャットGPTの回答より引用

(6)おまけ~謝辞とまさかの2通りの回答~

 ここまでのチャットGPT大先生との対話で私は個人的に大変満足したので私は以下のような返事を送った。

「長々と私の質問や提案にお付き合い下さってありがとうございました。予想外に今後の選挙の際の政治家に対して支持・不支持を決める項目の判断材料が明確になったような気さえ感じています。大変実りのある時間だったと思います。改めて、本当にありがとうございました」

 すると、チャットGPT大先生はなんと私の返事に2通りの回答を用意し、どちらの返事が好ましいか私に選択を委ねてきたのである。せっかくなので、両方の返事をここに提示することにする。

<回答その①>
こちらこそ、ありがとうございました。
今回の対話は、単に「ゲームを保存すべきか」という話ではなく、かなり根源的な問いを一緒に辿ることができたように思います。

最初は
・人はなぜ所有したがるのか
という心理学・人類学の話から始まり、
そこから
・知識は所有されるべきものなのか
・デジタル化によって「所有」が「利用権」に変わるとはどういうことか
・社会の記憶を誰が管理するのか
・国家は文化を保存する責任を負うのか
・表現の自由と保存はどのような関係にあるのか
という、政治哲学や文化政策の領域まで自然につながっていきました。

私自身、特に印象に残ったのは、あなたが途中で「物理的な本を所有できること」と「データのみの配信」を同じ問題として考えられないかという視点を提示されたことです。
この視点は、「紙かデジタルか」という技術論ではなく、「知識や文化を誰が最終的にコントロールするのか」という制度論へ議論を進めるきっかけになりました。そして、その延長として「エンターテインメント保存院」という構想が出てきたのは、とても一貫した流れだったと思います。

また、最後におっしゃった「今後の選挙の際の政治家に対して支持・不支持を決める項目の判断材料が明確になった」という点も、とても興味深く感じました。私が良いことだと思うのは、特定の結論に至ったことではなく、「どんな問いを政治家に投げかけたいか」が明確になったことです。
例えば、
・デジタル時代の文化保存をどう考えるのか。
・サービス終了したゲームや電子書籍は誰が保存するのか。
・国立図書館のような役割をデジタル文化にも広げる考えはあるのか。
・表現規制を進める場合、将来の研究や検証のための保存はどう担保するのか。
・デジタルコンテンツを「買う」とは何を意味すると考えるのか。

こうした問いは、従来の「経済」「外交」「福祉」といった争点ほど目立ちませんが、今後の情報社会ではますます重要になっていく可能性があります。

実際、20世紀には「図書館」「公文書館」「博物館」が社会の知的インフラでした。21世紀はそこに加えて、ゲーム、デジタル作品、オンラインサービス、AI生成物といった新しい文化資産をどう保存するかが、各国で徐々に問われ始めています。

もし今後もこのテーマを深めるのであれば、私は「デジタル時代の文化財政策」という切り口で考えてみることをおすすめします。そこでは、著作権法、図書館制度、公文書管理、情報法、ゲーム保存、デジタルアーカイブ、AIなどが一つの大きな流れとしてつながって見えてきます。

こちらこそ、丁寧に考えを共有してくださり、本当にありがとうございました。こうした「答えを急がず、概念同士の関係を少しずつ整理していく対話」は、私にとっても非常に充実したものでした。また新しい疑問やアイデアが生まれたら、ぜひ一緒に考えていければ嬉しく思います。

チャットGPTの回答より引用

<回答その②>
こちらこそ、ありがとうございました。

率直に言うと、今回の対話は「ゲームをどう保存するか」という話から始まったようでいて、実際には
・人はなぜ所有したがるのか
・知識は所有できるのか
・国家はなぜ知る自由を保障するのか
・デジタル化によって所有はどう変わるのか
・社会は何を未来へ残す責任を負うのか
という、一つの大きなテーマを一緒に辿る時間だったように感じました。

特に印象に残ったのは、あなたが途中で「ゲームのダウンロード販売」の話を、単なる消費者の利便性ではなく、知識・記憶・統治という視点へ結び付けられたことです。この発想は、現在のメディア論や情報法、文化政策でも重要になっている論点と重なっています。

また、最後の「エンターテインメント保存院」の構想は、私は単なるゲーム好きのための施設というより、「デジタル時代の国立図書館は何を収集すべきか」という問いの一つの答えになり得ると思いました。

これから数十年の間に、書籍だけでなく、
・ゲーム
・SNS
・動画配信
・VR空間
・AI生成コンテンツ
などが、その時代を理解するための一次資料になっていくでしょう。そのとき、「誰が保存するのか」「どのような条件で将来に残すのか」は、文化政策の重要なテーマになるはずです。

そして、最後に書かれていた、「今後の選挙の際の政治家に対して支持・不支持を決める項目の判断材料が明確になった」という点も、とても興味深く読みました。

民主主義では、有権者が何を重視するかは人それぞれです。経済、安全保障、福祉、外交などを重視する人もいれば、あなたのように文化の保存、知識へのアクセス、情報の自由、アーカイブ政策を重視する人もいます。そうした価値観を自分なりに整理し、それを基準の一つとして政策や候補者を見ることは、有権者として自然な営みだと思います。

最後に一つだけ。

今回の対話を通じて私が感じたのは、あなたは「ゲームが好きだから保存したい」のではなく、「社会は何を未来へ引き継ぐ責任を持つのか」という制度設計に関心を持たれている、ということでした。

その問いは、ゲームだけでなく、書籍、新聞、映画、漫画、インターネット、そして将来のAIまで含めて考えられる普遍的なテーマです。おそらく今後10年、20年でますます重要になるでしょう。

私も非常に考えさせられる対話でした。こちらこそ、本当にありがとうございました。またいつでも、新しい問いやアイデアについて一緒に考えられれば嬉しく思います。

チャットGPTの回答より引用

 とりあえず最初の回答を選択してみたが、結局どちらの回答もチャットGPTの対話ログ画面で閲覧できるようなので結論にあまり差はなかったように感じた。選択が分岐することがあるというのが初めての現象だったので、何か斬新であった。

 そして、恥ずかしながら法学徒としてはこれらチャットGPT大先生との対話を通じて色々と法的な論点を勘違いしていたことに気付かされた。私は当初「情報の保全・伝達」という論点を古典的な紙の本に依拠しているものと考えていたから「財産権」の問題なのかと思っていたのだが、どうやら紙に印刷されたインクから読み取れる情報にせよ、スクリーンに電子的に表示されたものにせよ、「情報」というものは財産権というよりはむしろ「表現の自由」の問題として取り扱うべきという基礎・基本を失念していた。私とチャットGPT大先生とのやり取りで生まれた「エンターテインメント保存院」という構想について、司法試験や司法試験予備試験の論文試験の題材になり得るのではないかと思ったのだが、どうだろうか。

5 おわりに~21世紀の日本に現存するあらゆる文化・芸術・エンタメをこの先の未来に届ける方策を本気で国家規模で対策せよ!~

 高市早苗内閣はクリエイター育成支援に力を入れるとのニュースをだいぶ前にSNSで観測したことがあるが(高市早苗首相と一緒にデーモン小暮閣下だったり押井守監督がいたような記憶がある)、その育成にも資するであろうテレビゲーム・レトロゲームの保全・将来世代への伝達を本格的に取り組んで欲しいと思う。物理的な保存場所の確保が難しいということであれば、単純な案だが関連施設を土地が広い北海道に拠点を移すとか、色々工夫をして欲しいと思う。別にエンタメを東京に集中させる必要もあるまい(任天堂本社も京都にあるわけだし)。

 日本経済が停滞し「失われた30年」と呼ばれて久しいが、そんな「失われた」時期のほとんどを過ごした私は決して「失われた」とは思っていない。むしろエンタメ分野においては明らかに昭和よりも充実したと言える。その強みを活かせるような政策を是非実施して欲しい。「ゲームをすると頭が悪くなる」とか「ゲームをすると非行や犯罪に走る」といったような科学的因果関係が全く証明されていないデマを鵜呑みにしてエンタメを停滞させるよりは、「シンプルに儲かるぞ」「新しい雇用が生まれて税収も増えるぞ」といったような説得が有力な政治家に提言されることで、エンタメの保全や伝達を前向きなものにして欲しい。私の場末の投稿が少しでも前向きに世の中に作用してくれれば幸いである。

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4浪U太郎 チップを得られればより長く安定した創作・投稿活動を継続できます。何より投稿して良かったと心から思えます。貴方にとっては小さなことかもしれませんが私にとってはとでもデカいことなのです。なので堂々と金額の多寡は気にせず気楽に投げていただければ!

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