宇宙と祈りの間で|ひとつの言葉のあとで
講演の帰り、メールをチェックしたときに、せきさんの「ネタの救急箱」が届いていた。
せっかくだし、早速そのツールを使いながら書いてみようと思った。
そこで講演の感想にスポットライトを当ててみた結果……ひとつに収まる気がしなかった。
2026年の講演会で受け取ったものを書こうとしただけなのに、
そのノートには2025年の講演メモも残っていて、
気づけばそちらにまで、さかのぼってしまったのである。
去年の紙束が、急に黙っていてくれなくなった。
どうやら「ネタの救急箱」は、
出会ったタイミングと、そのとき手元にあったネタのおかげで、
救急箱というより宝箱になったらしい。
まずは、救急箱を使うことを達成するために、
いちばん強く残った言葉だけを切り取って、先に記事にした。
でも、もちろん。
ほかの言葉が、そのまま黙っているわけがない。
去年聞いた、宇宙の話。
宇宙は今も膨張している、ということ。
始まりを「点」と呼んでしまっていいのか、ということ。
すばる望遠鏡が、人間の感覚を超えた場所まで手を伸ばしていること。
背景放射のゆらぎのなかに、宇宙のはじまりの名残が残っていること。
そして今年聞いた、別のひらき方をする話。
空海の見ていた宇宙のこと。
真言は、意味だけで届くものではないのかもしれない、ということ。
曼荼羅やインドラの網やフラクタルのこと。
即身成仏という、遠いようでいて、急に「今」に近づいてくる言葉のこと。
2025年と2026年。
つながっていたからこそ、いま手元でメモを見返しても、どうもきれいに分かれてくれない。
去年は、
宇宙はどこまで広がっているのか。
何が見えていて、何がまだ見えていないのか。
そんなふうに、視線が遠くへ遠くへ伸びていく感じがあった。
今年は、その視線がそのまま内へ沈んでいった。
宇宙を考えることが、
祈りや響きや、
「今ここ」という不思議に触れていく感じがあった。
東洋哲学と物理学。
すごー。おもろー。である。
だからこれは、講演の要約というより、
私の中で広がっていったものを、時間差で拾いなおしていくシリーズになるのだと思う。
あのときは通りすぎてしまった言葉。
再会したことで、むくむくと湧いてきた書きたい衝動。
今年になって、ようやく手のひらに乗る形をしたもの。
そういうものを、順番に置いていきたい。
シリーズ名を、
「宇宙と祈りの間で」
にしてみた。
宇宙の話だけを書きたいわけではない。
祈りの話だけを書きたいわけでもない。
そのあいだで、人が何を見て、何を聞いて、
どうして言葉を必要とするのか。
そのことを、少しずつ確かめていけたらと思う。
きっと、全部をきれいには書けない。
わかったようにまとめすぎると、こぼれてしまうものがある。
だからこれは、答えを出すためのシリーズではなく、
まだ言い切れないものの輪郭を、ひとつずつなぞっていくためのシリーズになる。
ひとつの言葉のあとで、
止まっていたはずのメモがまた動き出した。
なのでここからしばらく、
2025年と2026年の講演のあいだを行き来しながら、
宇宙と祈りのあいだに残ったものを書いていこうと思う。
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