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ライオンと戦う子どもに、「止めなさい」は届かない。ーー子どもが壁に穴を空けたときに考えること

あの日のことを、私はたぶんずっと忘れられない。

学校に行けなくなって三ヶ月目の息子が、リビングの壁に拳を叩きつけた。一度ではなく、何度も。石膏ボードに、ぐしゃりとへこみができた。私は廊下に立ち尽くして、ただそれを見ていた。声をかけることもできず、止めることもできず。その夜、息子が眠ったあと、私はキッチンの床にしゃがみこんで、声を殺して泣いた。

あれは何だったのか。ようやく理解できたのは、ずっと後のことだ。

子どもの部屋には、ライオンがいる

不登校の子どもが家で暴れるとき、その子の脳内では本当に「戦い」が起きている。

人間は強烈なストレスや恐怖を感じると、脳の奥にある扁桃体が「命の危機だ」と警報を鳴らす。アドレナリンが放出され、心拍数が跳ね上がり、全身の筋肉に「戦うためのエネルギー」が強制的に充填される。専門的には「闘争・逃走反応(Fight-or-Flight Response)」と呼ばれる、生物が太古から受け継いできた生存本能だ。

不登校の子どもにとって、「学校に行けない罪悪感」や「将来への不安」「周囲からのプレッシャー」は、脳の中ではライオンと同じ巨大な恐怖として処理されている。目には見えなくても、確かにそこにいる。

壁を叩くのは、親への反抗でも、ましてや甘えでもない。ライオンと戦っている最中に、体が限界を超えてエネルギーを外に吐き出しているだけだ。あのとき息子の拳は、私に向いていたのではなく、見えないライオンに向いていたのだ。

「壁を壊すな」は、届かない言葉だ

戦いのさなかにある子どもに、正論は届かない。

「落ち着きなさい」「どうしてそんなことするの」——こういった言葉が逆効果になるのは、意地悪な親だからではない。ライオンと格闘中の人間に「お皿を丁寧に扱って」と言っても脳が処理できないのと同じで、そもそも言葉が入っていく隙間がないのだ。

だから暴れている最中に親ができることは、まず物理的に距離をとること。自分の安全を確保すること。そして、嵐が過ぎるのを静かに待つこと。これだけでいい。壁のへこみより、親自身の心と体の方がずっと大切だ。

嵐の後に、届く言葉がある

戦いが終わると、今度は別の苦しみがやってくる。

アドレナリンが引いたあと、子どもは深い疲労と激しい罪悪感の中に落ちる。「やってしまった」「嫌われた」「もう終わりだ」——そんな声が頭の中を埋め尽くす。このタイミングでかける言葉が、次の爆発を減らすか増やすかを分ける。

ある日、私は嵐が収まった息子のそばに静かに座り、こう言った。

「ケガはない? 壁は壊してもいいから。少しずつ、家で暴れなくてもいい方法を一緒に考えていこう」

息子は何も言わなかった。ただ、こちらをちらりと見て、また布団に顔を埋めた。でもその夜、初めて自分から「おやすみ」と言ってきた。たったそれだけのことが、私には泣けるほど嬉しかった。

この三つの言葉には、それぞれ役割がある。

「ケガはない?」

嵐の後、子どもが一番恐れているのは「怒られること」だ。身構えて、謝る言葉を探して、また責められることを待っている。そこへ最初に返ってくる言葉が、壁の話でも怒声でもなく、「あなたの体は大丈夫か」という問いだったとき——子どもの中で何かが、ふっと解ける。自分はモノより大切にされている、と瞬時に伝わるからだ。理屈ではなく、体で受け取る安心感だ。

「壁は壊してもいい」

これは「何をしてもいい」という意味ではない。「今のあなたが追い詰められていたことは、わかっている」という受容の言葉だ。罪悪感というのは不思議なもので、責められるより先に許されると、かえって自分の行動と向き合えるようになる。責め続けられると防衛のために「悪くない」と思い込もうとするが、許されると「でも次はもっとうまくやりたい」という気持ちが自然と芽生えてくる。

「少しずつ、考えていこう」

「もう暴れるな」でも「早く学校に行け」でもなく、「一緒に、ゆっくり」という言葉。ここには二つのメッセージが重なっている。ひとつは、今すぐ変わらなくていい、という許可。もうひとつは、あなたひとりじゃない、という宣言。追い詰められた子どもが最も怖いのは孤独だ。「考えていこう」という複数形の主語が、その孤独に小さな穴を開ける。

親にできることは、「安全基地」でいること

子どもが外でどれほど追い詰められていても、家の中でだけは全力で暴れられる。それは親に甘えているのではなく、「ここなら見捨てられない」と本能が知っているからだ。「ここは僕がいてもいい場所だよね?」と見定めている。家で暴れられるうちは、まだ救いがある。

親にできることは、ライオンを倒してあげることではない。「ここにいるよ」と、戦いが終わるまで消えないでいること。嵐の後に「ケガはない?」と聞けること。それだけで、子どもの脳は少しずつ「この場所は安全だ」と学習していく。

戦闘モードのスイッチは、恐怖が消えれば自然と切れる。そして恐怖を消すのは、正論でも叱責でもなく、ただそこにいてくれる人間の存在だ。

どうか、壁のへこみを見るたびに自分を責めないでほしい。それは息子が生き延びようとした痕だと、そう思っている。


この記事は実体験と心理学的知見をもとに、架空の親子の体験談として書いたフィクションです。

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