近未来小説『ユートピア』第8話 生きているということ~誉められたいのは貴方にだけ~
【前回までのあらすじ】
アイウェアを通じて膨大な経験を学習したAIは、2030年代前半にシンギュラリティに到達。科学が人間にとって「魔法」と化した高度文明社会で、人類はAIが管理する効率的な「シティ」と、インフラが切り捨てられた「自治区」に分かれて暮らしていた。
旧北杜市自治区で暮らす上社守(かみやしろ・まもる)は、AIが推奨するシティへの移住を拒み、妻の里香(りか)と少々不便な生活を送っていた。そこへ自治区管理官の星ヶ丘瞳(ほしがおか・ひとみ)が訪れ、移住を勧めるが、守は「自分で選ぶ人生」に価値を見出し、その提案を断る。
世界では、AIによる仮想人格サービス「アニマとアニムス」が普及していた。利用者を誰よりも理解し、決して裏切らず、理想のパートナーとして振る舞うAIとの生活は、多くの人々に精神的な充足をもたらした。しかし、その「完璧な幸せ」の代償として、人間同士の衝突や妥協を伴う恋愛・結婚は激減し、人口減少は加速していった。
庭先で楽しげに語らう自治区管理官の瞳と旧北杜市自治区のコミュニティー農場で働く青年・修(おさむ)の姿を眺めながら、守は思う。相手が何を考えているか分からないからこそ、知りたいと願い、言葉を尽くす。そんな「ままならない人間同士」の関わりの中にこそ、真の愛や生の実感があるのではないかと。
近未来小説『ユートピア』
第8話 生きているということ〜褒めれたいのは貴方にだけ〜
それから何か月か経ったころだった。
季節は少し進み、八ヶ岳から吹き下ろしてくる風にも、冷たさを感じるようになっていた。
その日も、星ヶ丘瞳がいつものように自治区の巡回にやってきた。
庭先にポッドが降りる静かな音がしたので、私は小屋から顔を出した。
「こんにちは、瞳さん」
「……こんにちは、上社さん」
返事はあった。
だが、いつもの彼女とは明らかに違った。
普段ならポッドから降りるなり、
「上社さーん、お元気ですか!」
と、こちらが老人扱いされているのかと苦笑するくらい元気に声をかけてくる。
今日はそれがない。
顔色もよくない。
目の下には、うっすらと隈までできていた。
「どうしたんだい。ずいぶん元気がないじゃないか」
「いえ……大丈夫です」
大丈夫な人間の顔ではなかった。
私は少し黙って彼女を見た。
「仕事のことかい?」
「……違います」
「じゃあ、修くんと何かあったか?」
「えっ?」
一瞬だけ瞳がいつもの顔に戻った。
「な、なんでそこで修さんが出てくるんですか!」
「いや、違うならいいんだ」
「違いますっ」
そこだけは妙にはっきり否定した。
私は少し笑った。
だが、瞳はすぐにまた俯いてしまった。
やはり何かある。
「まあ、話したくないなら無理には聞かないよ」
そう言って家へ戻ろうとしたときだった。
「……母が」
私は振り返った。
瞳は俯いたままだった。
しばらく沈黙したあと、震える声で言った。
「母が……自ら命を絶とうとしました」
私は言葉を失った。
瞳の目から、一筋の涙がこぼれた。
「……そうか」
それしか言葉が出なかった。
「幸い、シティのセンサーが異常を感知して……すぐに医療システムが作動しました。だから……最悪の事態にはなりませんでした」
シティでは、住民の健康状態が常時把握されている。
心拍。
呼吸。
血圧。
体温。
脳活動。
行動パターン。
住居内のセンサーと本人が身につけている機器が異常を検知すれば、AIが即座に介入する。
必要なら医療ロボットが駆けつける。
人間が異変に気づいて救急車を呼んでいた時代とは比較にならないほど早い。
それが、シティで暮らす人々の平均寿命を大きく伸ばしている理由の一つでもあった。
今回も、その仕組みが瞳の母親を救った。
「助かったんだね」
「はい……」
瞳は小さく頷いた。
「身体には、ほとんど後遺症もありません」
「それなら……よかった」
「はい。よかったんです」
そう答えた瞳の顔は、とても「よかった」と思っている人間の顔には見えなかった。
「でも……」
唇を噛む。
「私、分からなくなってしまって……」
私は黙っていた。
「母は、ずっと一人で私を育ててくれたんです」
瞳はぽつりぽつりと話し始めた。
「私がまだ小さいころに、父が亡くなって……」
それは初めて聞く話だった。
「母はそれから再婚もしないで、女手一つで私を育ててくれました。ずっと働きながら……」
瞳が涙を拭った。
「大変だったと思います。でも、そんな顔、私には一度も見せなかったんです」
朝早く起きて食事を作ってくれた。
学校へ送り出してくれた。
仕事から疲れて帰ってきても、娘の話を聞いてくれた。
病気になれば、一晩中そばにいてくれた。
進学するときも、就職するときも、いつも背中を押してくれた。
女手一つで娘を育て上げた。
そして娘が独立すると、今度は一人で暮らしていた。
だから瞳は心配した。
年を取った母親を一人にしておくことが。
以前、ここで話していたことを思い出した。
――私の母も、シティに引っ越したんです。
――快適だと言ってくれましたよ。
――私も安心なんです。
確かに瞳は、そう言っていた。
「私が勧めたんです」
「シティへの移住を?」
「はい」
瞳は頷いた。
「一人暮らしなんだから、そのほうが安心だからって。医療もあるし、何かあればAIがすぐ気づいてくれる。食事の心配もない。掃除もしなくていい。買い物だって必要なものは全部届けてもらえる」
少し間を置いた。
「実際、母も最初は『快適だ』って言ってくれました」
それも以前聞いた。
「だから私……安心していたんです」
瞳の声が小さくなった。
「母は安全なところにいるって」
そして、また涙が落ちた。
「なのに……」
私は何も言わなかった。
「最初、母は謝るばかりでした」
「謝る?」
「『ごめんなさい』って」
瞳は唇を震わせた。
「私が泣いて、『どうしてそんなことをしたの』って聞いたら……ずっと『ごめんなさい』『瞳に迷惑をかけたね』って。そればかりで……」
しばらく、八ヶ岳から吹いてくる風の音だけがした。
「でも、何度も話をしました」
瞳は続けた。
「AIのカウンセリングも受けました。でも私は……AIがまとめた記録を読むだけじゃなくて、自分で母の話を聞きたかった」
私は黙って頷いた。
「それで、やっと話してくれたんです」
瞳は顔を上げた。
涙で濡れた目が、まっすぐ私を見ていた。
「……生きている気がしない、って」
私は眉を寄せた。
「シティは快適なんです」
瞳は言った。
「何も困らないんです」
食事は用意される。
健康状態は管理される。
部屋はいつも快適な温度に保たれる。
病気になれば、すぐ治療される。
転びそうになればシステムが支える。
必要なものは、頼まなくてもAIが予測して用意してくれる。
退屈すれば、その人の好みに合わせた娯楽を提供してくれる。
話し相手が欲しければAIがいる。
孤独を感じれば、アニマやアニムスを利用することだってできる。
危険は可能な限り取り除かれている。
不便もない。
苦労もない。
「母も最初は、本当に喜んでいたんです」
瞳は言った。
「でも……毎日毎日、何もしなくても生きていける」
朝起きる。
食事が出てくる。
身体を調べられる。
AIに勧められた運動をする。
好きな映像を見る。
眠る。
そして翌日も同じ。
何かを自分でしなければ困る、ということがない。
誰かのために食事を作る必要もない。
仕事へ行く必要もない。
買い物へ出る必要もない。
娘を育てる必要も、もうない。
「母が言ったんです」
瞳は、母親の言葉を思い出すようにゆっくりと話した。
「瞳を育てていたころは大変だった、って」
「……うん」
「お金のことも心配だった。仕事も大変だった。毎朝ご飯を作って、私を学校へ送り出して、それから自分も仕事へ行って……帰ってきたら洗濯して、掃除して……」
瞳は泣きながら、少しだけ笑った。
「でも――あのころが、一番生きていた気がするって」
私は目を閉じた。
なんとなく、その言葉は分かる気がした。
「今は何もしなくても、生きていける」
瞳は続けた。
「でも、何のために朝起きるのか分からなくなったって」
私は何も答えられなかった。
「それから……」
瞳の声がさらに小さくなった。
「父のことを話しました」
「お父さんを?」
「はい」
瞳は頷いた。
「最近、よく父のことを思い出すようになったそうです」
若くして亡くなった夫。
一緒に過ごせた時間は短かった。
夫が亡くなったあとには、まだ幼い娘が残った。
だから母親は生きた。
悲しくても働いた。
娘を育てなければならなかった。
娘が成人するまでは。
娘が自分の力で生きられるようになるまでは。
そうやって何十年も生きてきた。
そして今――
娘は大人になった。
仕事を持っている。
自分の人生を歩いている。
母親は、自分の役目は終わったと感じてしまったのだという。
「母が……言ったんです」
瞳は声を詰まらせた。
「もう十分生きた、って」
私は黙って聞いていた。
「シティに移ってから、アニムスを利用することを考えなかったわけじゃないそうです」
「……アニムスを?」
「はい。AIから勧められたこともあったみたいです」
一人で暮らす母親のことを理解し、いつもそばにいてくれる男性型の仮想人格。
今の技術なら、容姿も声も性格も、本人が望むように作ることができる。
ましてや、亡くなった夫の写真や映像、音声などが残っていれば、それらを参考にした姿を作ることさえ難しいことではない。
「でも、母は断ったそうです」
「どうして?」
瞳は少し間を置いた。
そして、母親の言葉をそのまま伝えるように言った。
「『アニムスを考えないこともなかった。でもね……私は、お父さんが死んだことをちゃんと受け入れて生きてきたの』って」
私は黙って聞いた。
「『あの人がいなくなったことが、どれだけ悲しくても……それでも受け入れた。だって、瞳を育てなきゃいけなかったから』って」
夫の死を忘れたわけではない。
乗り越えたという言葉も、少し違うのかもしれない。
悲しいものは悲しい。
会いたいものは会いたい。
それでも、その人がもういないという事実を受け入れた。
その悲しみを抱えたまま、幼い娘の手を引いて生きてきた。
「それで……」
瞳は涙を拭った。
「母、こう言うんです」
「『いまさら、新しいパートナーが欲しいわけじゃないの』」
瞳の声が震えた。
「『どれだけ優しくても、どれだけ私のことを分かってくれても、その人はあの人じゃないでしょう?』」
私は何も言えなかった。
アニムスなら、母親が望む理想の男性を作ることができる。
優しい言葉をかけてくれる。
寂しい夜にはそばにいてくれる。
話を聞いてくれる。
絶対に裏切らない。
望めば、亡くなった夫と同じような顔、同じような声にすることだってできるのかもしれない。
でも――
それは彼女が求めているものではなかった。
代わりが欲しいのではない。
新しい伴侶が欲しいのでもない。
孤独を埋めてほしいのでもない。
「母が言ったんです」
瞳は、私を見た。
「『私は……あの人に会いたいの』って」
その言葉だけは、妙に重かった。
アニムスでは駄目なのだ。
どれほど精巧に再現しても。
どれほど優しくても。
どれほど本人そっくりでも。
あの人に会いたい。
ただ、それだけなのだ。
「それから、父の写真を見ながら……」
瞳の目から、また涙がこぼれた。
「『私ばかり、おばあちゃんになっちゃって……あの人は若いまま』って」
私は何も言えなかった。
「母、笑って言おうとするんです。でも……途中から泣いちゃって……」
瞳は何度も涙を拭った。
「『だけど、会いたいの。ものすごく、会いたい』って……」
何十年も前に亡くなった夫。
母親の記憶の中では、今でも若いころの姿のままなのだろう。
自分だけが年を取り、
髪が白くなり、
皺が増えた。
それでも夫だけは、最後に見た日の姿のまま。
「それで……母が言うんです」
瞳はもう、涙を隠そうとはしなかった。
「『あの人に褒めてほしい』って」
「……褒めてほしい?」
「はい」
瞳は泣きながら頷いた。
「一人で私を育てて、働いて……つらいこともいっぱいあったけど、ちゃんとここまで生きたから……」
声が震える。
「だから、もう一度父に会って――」
瞳は両手で顔を覆った。
「『がんばったね』って……そう言ってほしいんだって……」
しばらく言葉が続かなかった。
やがて瞳は、途切れ途切れに言った。
「『よく瞳を育てたね』って……」
「『大変だったね』って……」
「……そう言ってもらいたいんだって」
瞳は俯いた。
「そう言って……母は泣くんです」
私は何も言えなかった。
アニムスなら、その言葉を言ってくれるだろう。
母親が望めば、
「がんばったね」
と何度でも言ってくれる。
亡くなった夫の声を再現することだってできるのかもしれない。
だが――
彼女が聞きたいのは、ただその言葉ではない。
その人から、その言葉を聞きたいのだ。
「私も……何も言えなくなっちゃって」
そうだろう。
そんなことを言われて、
「生きなさい」
と簡単に言えるだろうか。
幼い娘を残して夫に先立たれた。
悲しむ暇もなく働いた。
女手一つで娘を育てた。
娘が病気になれば看病し、
学校へ送り出し、
進学させ、
大人になるまで見届けた。
そして、その娘も今では立派に働いている。
母親は、自分に課された役目をやり遂げたと思っているのだ。
だから最後に――
人生で一番愛した人に会いたい。
「よくやったね」
「大変だったね」
「瞳を立派に育てたね」
ただ、そう言ってもらいたい。
AIなら、この言葉をどう分析するのだろう。
喪失感。
希死念慮。
抑うつ状態。
生きがいの喪失。
いくつもの言葉に分類して、治療やカウンセリングの方法を提示するのだろう。
それはきっと正しい。
間違ってはいない。
でも――
正しいことと、その人の気持ちが分かることは、同じではない。
私は、泣いている瞳の前で何も言えずにいた。
死んだ人間に会えるのかなんて、私には分からない。
死後の世界があるのかどうかも分からない。
だけど――
何十年も一人で娘を育ててきた女性が、
人生の最後に愛した夫から、
「がんばったね」
その一言を聞きたいと願う気持ちだけは、
なんとなく分かるような気がした。
「瞳さん」
「……はい」
「上がっていきなさい」
「え?」
「お茶くらい飲んでいきなさい」
「でも、私……まだ巡回が」
「まあ、いいから」
里香も玄関から顔を出した。
瞳の泣きはらした顔を見ると、何も尋ねなかった。
「瞳さん、お茶にしましょう」
「……すみません」
「謝ることなんてないわよ。さ、入って」
私たちは瞳を小屋の中へ招いた。
里香が湯を沸かし、急須に茶葉を入れる。
湯呑みに温かい茶が注がれた。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
瞳は両手で湯呑みを包むように持った。
しばらく誰も話さなかった。
話したくなれば、話せばいい。
話したくなければ、黙っていればいい。
それでいいような気がした。
やがて瞳は、また少しずつ母親の話を始めた。
私は聞いた。
里香も聞いた。
途中で何か気の利いたことを言おうとはしなかった。
そのときだった。
――ピン。
机の上に置かれた瞳の小型端末から、短い電子音が鳴った。
画面に通知が浮かぶ。
《次回訪問予定時刻を超過しています》
次の巡回対象者のところへ向かうよう促す通知だった。
瞳は一瞬だけ画面を見る。
そして、
「……いいんです」
とだけ言った。
端末を伏せた。
私も里香も、
「行かなくていいのかい」
とは聞かなかった。
また、しばらくして電子音が鳴った。
瞳は見なかった。
私たちも何も言わなかった。
ただ、黙って瞳の話を聞いた。
彼女が母親のことを話せば聞いた。
言葉が途切れれば、黙ってお茶を飲んだ。
里香が湯呑みに茶を足した。
それだけだった。
どれくらい時間が経ったのだろう。
一時間だったのか。
二時間だったのか。
途中から、時計を見ることもしなくなっていた。
窓から差し込む光が少しずつ傾いていった。
瞳の話す言葉も、次第にゆっくりになっていった。
そして、いつの間にか涙は止まっていた。
頬に残っていた涙の跡も乾いている。
目は少し赤く、泣きはらした顔をしていたが、ここへ来たときの張り詰めた表情は消えていた。
瞳は冷めかけたお茶を一口飲んだ。
「……すみません。ずいぶん長居しちゃいました」
「いいさ」
「ごめんなさい」
「だから、謝らなくていいって」
里香が笑った。
「また来ればいいのよ」
瞳は少しだけ笑った。
「……はい」
それから立ち上がり、深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
「何もしてないよ」
私は言った。
「話を聞いただけだ」
「それが……うれしかったです」
瞳はそう言って、もう一度頭を下げた。
外へ出る。
八ヶ岳の上には、薄い雲が流れていた。
庭先に停めてあったポッドに瞳がまたがる。
「それじゃあ、失礼します」
「ああ。気をつけて」
「またね、瞳さん」
里香が手を振った。
「はい。また来ます」
ポッドが静かに浮かび上がる。
そして、来たときと同じような、かすかな風切り音を残して、瞳は帰っていった。
私と里香は、しばらくその姿を見送っていた。
「……大丈夫かしらね」
里香が言った。
「さあな」
私には分からなかった。
でも、少なくとも来たときよりは少しだけ楽な顔をしていた。
それで今日は十分なのかもしれない。
家に戻ると、机の上には瞳が使った湯呑みが残っていた。
人間を死なせない技術なら、今の世界にはいくらでもある。
心臓が止まりかければ動かす。
病気になれば治す。
事故を予測して防ぐ。
自ら命を絶とうとすれば、センサーがそれを察知して止める。
シティにいれば、百歳を超えてなお健康な身体で生き続けることだって珍しくない。
昔の人間が夢見た、
「死なない社会」
に、私たちはずいぶん近づいたのかもしれない。
だけど――
瞳の母親は、身体が苦しくて死を望んだわけではない。
病気だったからでもない。
食べるものがなかったわけでもない。
住む場所に困っていたわけでもない。
孤独にならないためのAIだっている。
何一つ不自由のない世界で、
「生きている気がしない」
と言った。
なんとも妙な時代になったものだ。
人間は何千年もかけて、
どうすれば死なずに済むかを考えてきた。
病気を治し、
飢えをなくし、
事故を防ぎ、
寿命を延ばし続けた。
そしてついに、
死のほうから人間を遠ざけることには、かなり成功した。
それでも――
人間が何のために生きるのか。
その答えまでは、AIにも用意できないのかもしれない。
私は机の上の三つの湯呑みを見た。
次の予定を知らせる端末の音よりも、
誰かが話し終えるまで黙って待つ時間のほうが大切なこともある。
AIなら、今日のこの時間をどう評価するのだろう。
管理官一人が予定された巡回業務を中断した、非効率な時間。
そう判断するのかもしれない。
でも、私はそうは思わない。
人間には、ときどき何の答えも出さず、
ただ誰かの話を聞くためだけに使う時間が必要なのだ。
少なくとも今日の瞳には――
その時間が必要だったのだと思う。

