短編小説221「針管は白金色にギラリと光る」後編
名城目が目に涙を浮かべながら、「針管君、注射怖くないんでしょ?順番、代わってよ」と言い出したのだ。担任も、「大丈夫、大丈夫」と慰めている。涙ぐんでいる名城目を無理に行かせることはできない。「針管さん、順番変わってもらえないかな?」と当たって欲しくなかったが予想通りの展開。「泣いて順番を代わってもらえるなら、涙を出す方法ならいくつか知っているのに」と針管は心の中で叫んだ。
急遽、十七番の針管が最初に行く羽目になった。白金は「知道君、怖がっているのは名城目さんだよ。針管君は優しいから代わってあげているじゃないか」と、友人をビビり扱いした知道をまだ根に持っていた。針管は白金に「優しさじゃなくて、引き下がれないだけなんだよぉ!」と言いたくてたまらなかった。いい奴も、ここまでくると何か違う。
白金に「いってらっしゃい。」と見送られ、針管は余裕の表情を見せつつも、廊下で激しく震えていた。保健室までの廊下が異常に憂鬱で長く感じる。
中にはパーティションが設けられており、そこで打っていく。ちょうど一番の青葉が済ませて出てくるところだった。「どうだった?」と念のため聞くと、青葉は「最初だけ痛かったけど、大丈夫だよ」とあっけらかんとしている。青葉は噂の件を知らない超マイペースな性格だったため、針管がなぜ震えているのか分かっていなかった。「怖いなら、さっさと済ませればいいのに」と持論を展開した。正論に「青葉、そりゃそうだけどさぁ…」と何も言えない。反論したくて口を開いたが言葉が出なかった。
部屋の中から「針管君だよね、さっ、入って。すぐ終わるから」と急かしてきた。少し前に彼にアドバイスをもらう選択肢はなかったのかと後悔したが、手遅れだ。パーティションの向こう側。針管は今、まさに緊張と恐怖で汗をかいていた。こうなるのなら、大見得を切ったことを激しく後悔している。
「大丈夫、痛いのは最初だけだからね」という保健医の優しい声も、今は優しく感じない。とはいえ、逃げられないし、覚悟を決めなくてはいけない。
心の中で「大丈夫、怖くない、怖くない」と言い聞かせて、「お願いします。」と言うと、それは一瞬だった。音もなく、時間もかからなかった。何はともあれ、袖をめくり上げ、注射を打ってもらい、その日を境に彼の中で注射への恐怖は少しだけ緩和されたのだった。
そして現在、大人になった針管は、誘われて参加した同窓会の会場にいた。クラスメイトたちとお酒を飲み交わす中、当時の「注射事件」が笑い話として話題に上っていた。
針管は同窓会で久しぶりに知道と話し、「あの時は図星をつかれて見透かされている気がして、それが怖かったんだよね。」と正直に打ち明けた。針管自身が「実は注射が苦手だった」、「学校を休みたいと仮病を使ったこともある」とあっさり認めたことで、薄々気付いていたのかクラスメイトも爆笑していた。
知道も「嘘は良くないって言われて育ったから、それを純粋に守っていたんだと思う。まぁ、隠したいことの一つや二つあるものだし、悪かったよ。」と笑い合った。知道は「針管が嘘じゃないことを証明するために、必死に挙手してたのは覚えてるよ。」と懐かしむ。あの時の焦りは、今となってはいい思い出であり、もしかしたら、注射よりあの期間の方が辛かったかもしれない。知道はある意味で針管に「転機」をくれたキーマンだったのかもしれない。
「そういえば、白金は?」と針管が周りを見渡すと、さっきまでいたはずの白金の姿がない。幹事でバタバタしているのは分かるが、まだ言葉を交わしていなかった。最初に顔を見たときもスマホ片手に、電話していた。手を振り、「受付済ませて」と受付の方を指さし、名城目のいる方に誘導した。
「あ、白金君なら、息子さんが熱を出したみたいで途中で帰ったよ。」、「そういう事なら仕方ないよね」そう教えてくれたのは、同じく幹事を手伝っていた名城目だった。家族の事情で途中帰宅する参加者は他にも数名いたため、不思議なことではない。白金の代わりに名城目が幹事を引き継ぐことになり、針管は参加者の名簿を見ながら、名城目と人数や会費の確認を手伝うことにした。
名前を改めて見ていると、クラスメイトとの思い出が再生されるようで懐かしかった。そんな感傷に浸っていると、名城目がふと思い出したように口を開いた。
「実はあの時ね、白金君に『注射はすごい痛いんだよ』『ブスッと音が出るよ』って、すごく脅されてたのよ。だから私、あんなに泣いちゃって……あの時はごめんね。」と恥ずかしく思いながらも笑っていた。その瞬間、名城目が涙ぐんでいた理由が急に判明した。
あの時、電話口で「知道あたりがふれまわっているんだろう」と思ったが、あの日、自分を逃げ場のない壇上へと引きずり出したのは知道ではなかったのだ。
恐ろしいことだが、白金は名城目に恐怖を植え付けることで、自分にカマをかけていた可能性が有力になってきた。単なる「注射が怖いか否か」の子供の意地っ張りが、急に冷ややかなサスペンスの味を帯びてきた。
名城目を泣かせ、あえて自分に「代わってあげる優しいヒーロー」を演じさせたのは、他でもない白金だったのだ。「アイツ……」
注射までの数週間のプレッシャー、当日の震え、そして名城目にまで怖い思いをさせていたのかと思うと、白金への怒りがじわじわとこみ上げてきた。
ふと見ると、受付のテーブルに白金のスマートフォンが置きっぱなしになっていた。よっぽど焦って帰ったのだろうか。針管の頭の中に悪魔がささやいた。
(このスマホを人質に当時の真相を聞き出そうか……それとも、名城目を泣かせた黒幕として噂に尾ひれをつけて流してやろうか)
あの時の強烈な心理的プレッシャーを思い出すと、「これくらい相応なのでは」と口元に悪い笑みがこぼれた。「どしたの?なんか怖いよ」名城目が不思議そうに覗き込んでくる。
「いや、なんでもない、なんか飲み物持ってくるよ。」、「何がいい?」針管は白金のスマホをそっとポケットにしまい、はぐらかしながら、賑やかな会場へと戻っていくのだった。
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