短編小説81「飛べない蛾達」
逃がしても、骸。逃がしても、捕食対象。逃がしても、飛翔不可能。いつか羽ばたく日を夢見た少女の心はその哀れさにとうとう諦めてしまった。明らかに短命で、その一生を人は利用している。それに反抗した少女だったが、もっと惨い末路を自分で用意してしまうことになるとは。
これは、「情けの行方」という桑野 真由のエッセイからの抜粋である。出版するにあたり、公開したページでもある。この本は「自分が相手にした行動がその後、どう影響するか」というテーマで、様々な例を挙げている。インタビューアーの尾根道 登和はいち早く「情けの行方」を読んでいた。著書の冒頭で「自己と他者は異なり、自分ですら、手綱を持っているに過ぎない。」と自己コントロールの難しさを書いている。それを踏まえると、他人をコントロールする事など不可能と断言している。
「ただ、第三者が居合わせたり、傍観したりする場合、事象に刺激されるケースがある。すると、今まで第三者だった人間が主体的に動く可能性もある」と述べている。幼少期、桑野が密かに桑畑から蚕をとって自然に帰そうとしていた事は、家族の周知の事実だった。だが、あえて言わなかったのは、「仮説を立て、実験し、結論を見出す能力を育む為」だと大人になってから聞いたらしい。
結論から言うと「蚕は成虫になってもエサをとることも、飛ぶことも出来ない。」と書いてある。離した場所が同じでいなくなっている事は事実だが、「別の意味で自然に帰っていた事は後々、分かる。」と濁してあり、尾根道は蚕に関して無知だった為、調べてみた。
すると、「ほぼ移動できず、飛ぶこともできない、生殖もできない。」と「自然に帰る」という表現はかなり、オブラートに包んでいた表現だった。
公的には蚕は商品になるので、「窃盗」として見過ごすことはできないが、家族間であったのと良くも悪くも田舎でなあなあにしていた。しかも、「どこもかしこも桑畑だったため、数匹は訴えられるほどではなかったはず。」と開き直っていて、いわゆるグレーな話である。
ただ、桑野は「蚕」というものは人間のエゴを詰め込んだ虫と表現している。それは、純朴な少女の優しさで解決できるほど易しいものでないと辛辣な言葉で明記してある。ただ、「種の存続」として考えたとき人が利用している様で、蚕に利用されているとも取れる。種の改良で倫理観を逸脱した行為を皮肉るものでもあった。
尾根道は読み進めると、蚕は根深い闇が存在し、それを当時7才の桑野が悟った時は想像を絶する絶望感や悲しみがあったのだろう。そして、悟るまで蚕を自然に帰すことを見守った両親は色んな意味で凄いと感じていた。細々と続く「養蚕」の未来についての疑問も浮かんできていた。インタビューは「休みの過ごし方」や「好きな食べ物」などライトな話に重きを置こうと思っていた。だが、俄然「蚕」について詳しく聞いてみたいと質問要項を大幅変更することにした。
本の中では、「食事提供と調理指導の順番について」と似た構造として触れている。「飢餓状態の場合、どちらも問題である。ただし、空腹状態であれば、数回に限り食事提供はするべき、その後調理指導をする」とあり一見よくわからなかった。
尾根道は読み進めると、「飢餓状態では消化機能が著しく低下している場合があり、衛生的に少しでも良くない場合病気にかかるリスクがある」と注意喚起があった。この場合、点滴を打ち、流動食から普段の食事に戻す必要性があると述べている。
頷きながら尾根道はページをめくる。「空腹時は病気や基礎疾患がない場合、食事を取る事が大事だが、自分で料理できる状態が望ましい」と書いてある。それは、他の人に料理を振る舞ったり、教えたりする人を増やす事につながると話を展開している。つまり、「食事提供と調理指導」は順番や頻度を間違えると、自立阻害や外傷等のリスクにつながるという事だ。
貧困層の多い国の支援に関連する話で「食事や食料の提供」が多すぎると依存してしまい、結果として貧困層の為にならず、かといって調理指導から始めると、調理時の切り傷や火傷等が起きやすい。また、食文化の否定になってしまうと「支援問題」にもつながる話である。
尾根道は「可哀想だから自然に帰す、可哀想だから食料を与える」と構造が似ている事に気付いた。まさに「情けの行方」である。その行方は、蚕にとっても、空腹な人にとってもより厳しく、冷たい行為と思えた。本を読んでいて尾根道は桑野の表現が辛辣で、時に厳しい現実を見せる人だと思った。同じ女性として、仕事といえど、「共感できない」と思っていた。
それは、尾根道が仕事をする上で最も大事にしている「共感」の部分だった。
ただ、本を通して見えてきた桑野は表面的な優しさは7歳の時点であったが、それは本当の優しさではない事に気づいた「本当の意味で優しい人」である。
あとがきでは、養蚕の未来が細くなる事を喜ぶ事なく、蚕を引き取り、忌み嫌った品種改良をし、羽ばたける蛾として育てている話が書いてある。桑野は「エゴで蚕を手にかける人道を外れた人」と己を嫌悪している。それは、自分が相手に何かするときの問題や難しさを知っているからこその表現である。
尾根道は少し、目頭が熱くなっていた。桑野へインタビューアーとして向き合えるか不安になっていた。数日後のインタビューを控え、質問要項を作り直す尾根道の目は赤かったが、その奥には燃える炎がついていた。インタビュー取材はいかに。本の売れ行きはどうなる。世間の目にはどう写るのだろう。
桑野の蚕が羽ばたく未来は訪れるのだろうか。
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