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第22話 外国で暮らすということ


ベルギーでの生活が始まりました。
海外で暮らすことは、私にとって初めてではありませんでした。
それでも、ハワイでの生活とベルギーでの生活は、まったく違うものでした。
ハワイにいた頃の私は、まだ若く、目の前に広がる新しい世界を見ることに夢中だったように思います。
知らない場所へ行くこと。
違う文化に触れること。
英語を話す人たちの中で暮らすこと。
海外で生活するということ自体が、大きな出来事でした。
けれど、ベルギーに渡った頃の私は、もう一人ではありませんでした。
家族がいて、子どもたちがいました。
どこで暮らすのか。
何を食べるのか。
病気になったらどうするのか。
そして、子どもたちをどこで、どのように学ばせるのか。
海外で暮らすことは、外国の景色を楽しむことだけではありませんでした。
毎日の生活を、自分たちで作ることでした。
日本にいれば、あまり深く考えずに済むことがあります。
買い物をする。
病院へ行く。
役所で手続きをする。
子どもを学校へ通わせる。
何か困ったことがあれば、誰かに尋ねる。
言葉がわかり、仕組みを知っている場所では、それらは当たり前の日常です。
でも外国では、その当たり前がなくなります。
何をするにも、まず知らなければならない。
どこへ行けばいいのか。
何と書いてあるのか。
誰に聞けばいいのか。
どう説明すればいいのか。
小さなことの一つひとつに、少しずつエネルギーを使います。
海外生活というと、自由で華やかな暮らしを思い浮かべる人もいるかもしれません。
もちろん、楽しいこともたくさんありました。
ヨーロッパの街並み。
古い建物。
車で国境を越えられること。
少し移動するだけで、景色だけではなく、言葉も文化も変わること。
日本にいた時には知らなかった世界が、すぐそばにありました。
でも、旅行することと、そこで暮らすことは違います。
旅行なら、わからないことも楽しめます。
数日後には帰る場所があります。
けれど、そこで暮らすとなると、わからないままではいられません。
自分で生活を作らなければならない。
家族の生活を支えなければならない。
そして、子どもがいると、考えることはさらに増えていきました。
大人なら、環境が変わっても何とかなることがあります。
言葉がわからなければ、身振り手振りで伝えることもできます。
間違えても、失敗しても、それも経験だと思えます。
けれど、子どもたちはどうなのだろう。
どの言葉で生活するのか。
どの言葉で友達を作るのか。
どの言葉で勉強するのか。
国が変わるたびに、学校も変わるのだろうか。
そのたびに、新しい言葉を覚え、新しい教育制度に合わせていくのだろうか。
私は少しずつ、そんなことを考えるようになりました。
ベルギーで暮らし始めて驚いたことのひとつが、この国の小ささでした。
ベルギーの国土は、日本でいえば、東京を中心とした首都圏の一都七県と比べても、それほど大きくありません。
東京、神奈川、千葉、埼玉、茨城、栃木、群馬、山梨。
だいたいその辺りに収まるほどの国です。
ところが、その小さな国の中で、人々が使う言葉が違いました。
北へ行けば、オランダ語を使うフランデレン地域。
南へ行けば、フランス語を使うワロン地域。
そして東の一部には、ドイツ語を使う地域もあります。
もし日本で同じようなことが起こったら、どうなるのだろう。
たとえば、東京や埼玉ではある言葉で学校の授業を受け、神奈川や千葉へ行けば別の言葉で勉強する。
さらに山梨の一部では、また違う言葉が使われている。
県境を越えただけで、学校で学ぶ言葉が変わる。
子どもが育つ言葉も、読む本も、テレビも、文化も変わっていく。
日本で生まれ育った私には、とても不思議でした。
というより、当時の私には、少し理不尽にさえ思えました。
こんなに小さな国なのに、なぜ同じ言葉を使わないのだろう。
なぜ言葉によって地域が分かれ、時には互いに張り合うようなことまで起こるのだろう。
けれど、そこで暮らしているうちに、私は少しずつ気づいていきました。
言葉は、ただ人と話すための道具ではない。
その人がどこに属しているのか。
どんな文化の中で育ったのか。
どんな歴史を受け継いできたのか。
何を学び、何を大切にしてきたのか。
言葉は、その人の人生そのものに深く関わっているのだということを。
そして、子どもを持つ親として、私は別の問題に直面しました。
では、私の子どもたちは、どの言葉で教育を受けるのだろう。
フランス語圏の学校へ行けば、フランス語で学ぶ。
オランダ語圏の学校へ行けば、オランダ語で学ぶ。
けれど、私はフランス語もオランダ語も十分にはできませんでした。
子どもたちの学校生活を支えるには、学校から届く連絡を読み、先生と話し、学んでいる内容を理解しなければなりません。
どちらの言葉も十分にわからない私が、子どもたちの教育にどう関わればいいのだろう。
私は、自分が学校を途中で辞めたからといって、子どもたちには必ず学校へ行ってほしいと思ったことはありませんでした。
学校へ行くことと、教育を受けることは、私の中では同じではなかったからです。
学校という場所に通うことが、すべてではない。
けれど、教育は必要です。
そして教育を受けることは、子どもたちの権利だと、私は常に思っていました。
子どもは、自分で生まれる国を選べません。
親の仕事を選ぶこともできません。
どの国へ移動するのかも、どの言葉を使う環境で育つのかも、自分では決められません。
だからこそ、どこで暮らしていても、子どもたちが学び続けられる環境を用意することは、大人の責任なのではないか。
そんなことを考えるようになりました。
フランス語圏の学校へ行かせるのか。
オランダ語圏の学校へ行かせるのか。
インターナショナルスクールという選択もありました。
でも、私たちはこれからも同じ国で暮らし続けるのだろうか。
また別の国へ移ることになったら、子どもたちの教育はどうなるのだろう。
国が変わるたびに、学校を変えるのか。
言葉が変わるたびに、学ぶ言葉も変えるのか。
せっかく学んだことが、環境が変わるたびに途切れてしまうのではないか。
その頃から、私は「どの学校に入れるか」という問題だけではなく、
「子どもたちの教育を、どうすれば継続させられるのか」
ということを考えるようになりました。
親であることと、子どもの教育に責任を持つことは、同じようで少し違います。
食べさせること。
守ること。
愛すること。
それだけではなく、
この子たちが、これからどんな世界で生きていくのか。
そのために、どんな力が必要なのか。
どんな環境にいても、学び続けられるようにするにはどうすればいいのか。
私は初めて、教育というものを、学校から離れた場所で考え始めました。
そして、フランス語もオランダ語も十分にはできなかった私は、英語で教育を受ける方法を探すようになりました。
英語なら、私にも少しわかる。
子どもたちと一緒に学ぶこともできるかもしれない。
国が変わっても、学びをつなげられるかもしれない。
そう考えたことが、英語によるスクーリングへの興味につながっていきました。
まだこの時の私は知りませんでした。
子どもたちの学校を探していた私が、やがて、
学校に教育をすべて任せるのではなく、
子どもたちの教育に、自分が責任を持つ、
という選択をすることになるとは。
ベルギーでの生活は、私にさまざまな問いを投げかけました。
言葉とは何なのか。
学校とは何なのか。
教育とは何なのか。
そして、親として何を選ぶのか。
その答えは、誰かが用意してくれるものではありませんでした。
私は、自分で探し始めることになります。


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