人生を楽しくプレイするための、1つの考え方としてのゲーム
人生すなわちこれゲーム
急になんだという感じですが、わたしの座右の銘です。翔丸かっこいい、この言葉もらったぜ、というよりも当時「ゲーム」への依存からこの言葉通りの生き方だなと太鼓判を押してもらったと感じたから。
この漫画を読んでいた頃。朝から晩までゲームばっかりでした。ここで言うゲームはテレビゲームのこと。当時は、ファミコンやらPCエンジンやら。果てはMSXもゲーム機のようなもの。起きてはゲーム。学校でもゲームの話ばかり。学校帰りはゲームセンター。友人の家ではゲームかマージャン。家に帰っても寝るまでゲーム。MSXでゲームも作っていました。
ゲームってものは良いものです。夢中になれる。勝ち負けがはっきりしている。そして何より、何度も挑戦ができる。
人生はクソゲーなどと言われます。セーブポイントもありませんし、一機失えばゲームオーバーです。もちろんリセットもコンティニューもできません。しかし、ゲームという名の仮想世界の中であれば、何度となく失敗しても、幾度ともなくチャレンジしては少しずつ上達し、成功を実現できます。
上達を感じやすいから夢中になれる。今でもモンハンばっかりやっているのは、いくらでも上達を感じる方法がたくさんそこに揃っているから。
そこでこの「翔丸」です。このマンガは、天才すぎる少年、翔丸による戦争ゲームというか天災を巻き起こすマンガです。勝ち負けを生き死ににとらえて人生だと言うわけです。「ぼくにとってすべてがゲームなんですよ」「生きること‥.ゲーム。死ぬこと‥.またゲーム。人生すなわちこれゲーム」という、人生をゲームとしてとらえる言葉が多く出現します。
当時のしょっさんは、この漫画を読んで衝撃を受けました。
人生とは失敗のできないクソゲー扱いでしたが、人生をゲームととらえるコトで、異なる価値観を植え付けられたのです。もちろん、私の生き方は翔丸とはまったく異なります。彼のような天才ではありません。しかし、それまで生きてきた苦痛だらけの人生において、光明が見えたのは私の救いでした。それまで全てに流されるままだった私が、クソゲーな人生の中でもチャレンジできることに気がついたのです。
その後、さらにしばらく人生を歩み、天才ではなかった私のたどり着いた人生観が生まれました。
他人(普通)よりちょっと上を目指せばいい
テストの平均点が50点なら55点とか60点で良い。100点を取る必要はない。周りと比較した時に、色々なことが他人より、ちょっとだけ上手にできればいい。これは人生がゲームであるということから生まれた発想です。ちょっと上、必要な合格点の最小点数さえあれば良い、です。
人生にゆとりを持って生きていくために、どういったパラメータにすれば良いかという問いに対する、これが私の答えです。ゲームでは単純化された少ないパラメータによってキャラクタの性能が決まります。また、時間をかければかけただけカンストされたパラメータで埋め尽くされ、最終的にはまさに勇者か鬼人かのごとく振る舞えます。
しかし人生の限られた、いつ終わるか分からないゴールに向かって全てのパラメータをカンストさせることは不可能です。というか天才でない限り1つのパラメータですら最高値へ押し上げることはできません。しかも、複雑怪奇なRPGよりも、さらに多くのパラメータで人生というゲームは構成されています。神のようなパラメータ構成にスキルを振り分けることは、どうあがいても達成できません。
ただ、他人よりちょっと上手にできるというパラメータは以外にたやすく手に入れることができます。特定の基礎値があれば、そのパラメータに影響されて多くのことが容易に到達できるようになります。体力や、体を動かす基礎値が高くなれば、色々なスポーツをある程度できるようになります。コンピュータサイエンスの基礎を理解すれば、小規模から大規模なコンピュータシステムでも、多くを迷わずに実装できる可能性が高まります。
複雑に絡み合ったパラメータも、その基盤となる数値が多く存在しています。それらのベースとなる値を底上げすることによって、多くのパラメータを他の人と比較してちょっとだけ上げやすくなります。あとは経験です。様々な体験をすることによって、他の人と比べてちょっとだけパラメータの高い人間が作り上げられます。
基礎値の高さと、満遍なく割り当てられた他人よりちょっとだけ高いパラメータは、多くの人とのコミュニケーションを可能にします。より多くの人と対話することで、自分の知らない知識や発想を得たり、さまざまな考え方に触れることができます。すると、さらに多くのパラメータへ影響して、またちょっとだけ値が増えるわけです。
わたしのゲームで培われた人生観でも、仕事では行き詰まっていました。前職のIBM時代に、どうしても経験を増やすことができず、あがくような時期がありました。本当にこれはどうしたものかと考えました。
その頃、先に転職していた友人たちから「AWSへ転職するコトによって、たくさんのアーキテクチャに触れることができると思った」と言われたことで開眼します。IBM時代は1つのシステムを受注するまでに数年かけていました。その分、洗練されたアーキテクチャを作ることができたと考えていますが、経験値としての実態は1+α程度にしかなりませんでした。ただ得られた深さとパラメータ値の高さは、それはそれで魅力あるものでしたが、人生はそんなに長くはありません。
私には、たくさんの体験に触れるという考え方がありましたから、多くの商談に触れることによって、たくさんのアーキテクチャデザインの経験に繋がるだろうと予測しました。結果、転職することによって、こちらのblogでも感じた通りの結果になりました。
多くの様々な商談を経験することによって、私の視野は広がりました。ビジネスチャンスも増えました。イベントで登壇することも増え、プレゼンスも高まり、結果として給与も増えました。健康に楽しんで生きているコトこそ、わたしの人生ゲームでは勝っている状態です。
そこで、こんなネタを拾い上げました。
イグノーベル賞だという点も含めての示唆なので、これらは「真理」ではきっとありません。ただ、とても私の人生観にしっくり来たのです。
上記のリンク先でも触れられていますが「運」の絶対数が多いほうが、成功を手にしやすいということです。これは機会を増やすということに他なりません。
わたしは人生をゲームにとらえて、ゲームチャンスを増やすこと、挑戦する回数を増やすことによって成功する回数を上げることができるのではと考えていました。これらのシミュレーション結果はそれらを意味付けるものだと感じ、とても感銘を受けたわけです。
また「そこそこ才能がある」という結果もたまたま出ています。才能がないことよりも、才能がとてもあることよりも、ちょっとだけ上ブレしていればいいということ。この才能のパラメータと運の相乗効果によって、成功しやすいゲームプレイヤーになれるとも考えられるわけです。
人生はこんな単純なシミュレーション結果で得られる類いのものではありません。ただ、自分の立ち位置をどのような人間にするか。そして、その経験の絶対数をどのようにして増やすのか。楽しく、人生という名のゲームをプレイするには、どうやってチャレンジして成功を得られる回数を増やすのか。
長らく生きてきて、ようやく自分の中に1つの答えが見えたような気がしました。もちろんこれが全てではありませんが、ちょっとした努力でも、たくさんの経験があれば人生を楽しむことができると考えています。みなさまにも、多くの楽しさを。
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