「時間だよ、子供は時間」
「時間だよ、子供は時間」
是枝裕和監督の代表作の一つ、「そして父になる」。
休職する前の私は、福山雅治演じる主人公とよく似ていた。
仕事に追われる毎日。
子供と過ごす時間はほとんどなく、いや、正直に言えば、私はその時間をどこかで避けていたのだと思う。
非難は覚悟のうえで書くが、私はいつも自分の時間を優先していた。
子供と向き合うことよりも、仕事を、そして自分自身を優先する日々。
それが当たり前だと思っていた。
そんな生活を続けるうちに、心と体は静かに悲鳴を上げていた。
仕事で体調を崩し、うつで休職することになったのは、ある意味で必然だったのかもしれない。
休職の前半は、自分自身を保つことに精一杯だった。
朝を迎えるだけで精一杯で、子供と接する余裕などどこにもなかった。
ただ横になり、時間が過ぎるのを待つような日々。
父親としての自分を、どこかに置き去りにしていた。
けれど後半になると、少しずつ心に余白が戻ってきた。
土日には、近所の公園へ子供と一緒に足を運ぶことが習慣になった。
ブランコを押す。砂場に座る。何気ない会話をする。ただそれだけのことが、こんなにも豊かな時間だったのかと、恥ずかしながらそのとき初めて気づいた。
子供は素直だ。
大人のように駆け引きをしない。
一緒に過ごす時間が増えるのに比例して、前触れもなくふらりと私の部屋に来る回数が増え、甘えてくる回数も増えていった。
そして私も、少しずつ、子供のことがたまらなく愛おしくなっていった。
それまでも愛していなかったわけではない。
ただ、忙しさという膜が、その感情を覆い隠していたのだと思う。
休職という、決して望んでいなかった出来事があったからこそ、私はようやくその膜を取り払い、子供と過ごす時間の尊さに気づくことができたのかもしれない。
今は復職している。案の定、忙しくなればなるほど、子供と接する時間は減っていく。心に余裕がなくなり、また同じ道を歩みそうになる自分がいる。
それでも、あの休職の日々で学んだ「時間だよ、子供は時間」という言葉を、私は忘れないようにしたい。子供が欲しいのは、高価なものでも特別な場所でもなく、ただ親と過ごす「時間」なのだと。
5分でもいい。仕事の手を止めて、子供と戯れる。その小さな時間を積み重ねていく。
