見出し画像

僕は少し前まで、うつで休職していた。

そう聞くと、暗い話だと思われるかもしれない。

でも今日は、そのつらさの話ではなく、あたたかい話をしたい。

休職していたあいだ、僕はずっと娘と一緒にいた。

平日の昼間、公園に行ったり、絵本を読んだりする毎日だった。

働いていたころは、こんな時間はまったく取れなかった。

そんな生活のなかで、僕は気づいたことがある。

娘の成長は、僕が思っていたよりもずっと早い。

昨日できなかったことが、今日は当たり前のようにできている。

そんな瞬間に、何度も出会うことになった。

そして、その小さな成長のひとつひとつが、僕の心を静かに癒してくれた。

大げさなことではない。

本当に、些細で、日常のなかの一場面にすぎない。

でもそのひとつひとつが、確かに僕を支えてくれていた。

今日はそんな、娘とサンリオをめぐる話を書きたいと思う。

 

アンパンマンからの「卒業」

娘は1歳のころから、アンパンマンが大好きだった。

朝起きたらアンパンマン、ご飯を食べるときもアンパンマン。

お風呂に入るときすら、アンパンマンの歌を歌っていた。

家の中は、アンパンマングッズであふれていた。

パズル、絵本、パジャマまで、すべてアンパンマン柄だった。

正直、僕もその世界にどっぷり浸かっていた。

キャラクターの名前は、ほとんど暗記してしまったほどだ。

ところがある日、娘の様子が変わった。

テレビでサンリオのキャラクターを見て、目を輝かせたのだ。

「かわいい」と、はじめてはっきり言葉にした瞬間だった。

それまで「かわいい」という言葉は、あまり使わなかった。

だからこそ、その一言はとても印象的だった。

それから少しずつ、娘の中心はサンリオへと移っていった。

アンパンマンのグッズを見ても、以前ほど反応しなくなった。

代わりに、サンリオのキャラクターを指さして喜ぶようになった。

僕はそれを見て、少し寂しいような、不思議な気持ちになった。

長年連れ添った相棒が、静かに卒業していくような感覚だった。

でも同時に、はっきりとわかったこともある。

娘は、自分の「好き」を選び取れるようになっていた。

与えられたものを受け取るだけの存在から、選ぶ存在へと変わった。

それは、赤ちゃんから少しずつ子どもへと変わっていく合図だった。

小さな卒業式を、こっそり見届けたような気分だった。

 

「キティちゃんのリップが欲しい」

サンリオが好きになった娘を連れて、サンリオショップに行った日のこと。

店内をきょろきょろ見まわしていた娘が、あるコーナーで足を止めた。

そこには、キティちゃんの絵がついたリップクリームが並んでいた。

パッケージはピンク色で、大人向けの落ち着いたデザインだった。

娘は僕の顔を見上げて、こう言った。

「キティちゃんのリップが欲しい」

一瞬、僕は言葉を失った。

まだ2歳なのに、もうリップクリームに興味を持つのか、と。

正直に言うと、少しおませに感じて、思わず笑ってしまった。

隣にいた店員さんも、思わず微笑んでいたのを覚えている。

でもよく考えると、これはとても自然な成長の一歩なのだと思う。

娘は、僕やお母さんの持ち物をよく見ている。

洗面所で化粧をする母の姿を、じっと観察していることもある。

大人の真似をしたい、大人に近づきたいという気持ちが芽生えている。

「欲しいものを、自分の言葉で伝える」

これも、立派な成長のひとつだ。

赤ちゃんのころは、泣くことでしか気持ちを伝えられなかった。

何が嫌で何が欲しいのか、僕らはいつも手探りで想像していた。

それが今では、はっきりとした言葉で希望を伝えてくる。

自分の欲求を言葉に変換する力が、確実に育っていた。

そのリップは結局、娘のために買った。

娘はうれしそうに、それを大事そうにカバンにしまっていた。

帰り道、何度もカバンを開けて確認していたのが印象的だった。

 

「ぐでたまに会いにピューロランド行こうよ」

僕は実は、サンリオの中でも「ぐでたま」が一番好きだ。

あの、やる気のない、脱力しきった表情に、なぜか癒される。

休職中の自分と、少し重なる部分があったのかもしれない。

家では、ぐでたまのぬいぐるみをよくソファに転がしていた。

そんな僕の様子を、娘はいつのまにか見ていたようだ。

ある日、娘が突然こう言い出した。

「ぐでたまに会いにサンリオピューロランド行こうよ」

僕は一瞬、耳を疑った。

娘自身が特別「ぐでたま」が好きというわけではない。

普段は、キティちゃんやマイメロディの話をすることの方が多い。

むしろ、僕が喜ぶ顔を見たくて言っているのがわかった。

つまり娘は、相手の気持ちを想像して、行動できるようになっていた。

「自分が行きたいから」ではなく「パパが喜ぶから」という視点。

これは、自己中心的な赤ちゃんの世界から、大きく一歩踏み出した証拠だ。

他者の気持ちを想像する力は、成長のなかでもとても大きなものだと思う。

わずか2歳の娘が、こんな作戦を立てられるようになったのかと驚いた。

僕はうれしくて、その場ですぐに「行こう」と返事をした。

娘の作戦は、まんまと成功したわけだ。

その週末、僕らは本当にサンリオピューロランドへ出かけた。

 

休職していたからこそ、見えたもの

正直に言うと、休職前の僕は、こういう瞬間を見逃していたと思う。

仕事に追われ、家に帰っても心はどこか別の場所にあった。

娘の小さな変化に、気づく余裕がなかったのだ。

でも休職して、娘と過ごす時間が増えたことで、状況が変わった。

娘の「ちょっとした変化」に、毎日気づけるようになった。

好きなキャラクターが変わる瞬間。

新しい言葉を覚える瞬間。

誰かの気持ちを想像しはじめる瞬間。

そのひとつひとつが、僕の目の前で起きていた。

皮肉なことに、うつで休んでいた時間が、娘の成長を一番近くで見せてくれた。

もし働き続けていたら、こうした瞬間の多くは見逃していただろう。

そう思うと、休職期間にも意味があったのだと感じられるようになった。

そしてその成長を見るたびに、僕の心は少しずつあたたかくなっていった。

「今日はこんなことを言った」「こんな顔をした」。

そんな小さな出来事が、僕にとっての生きる張り合いになっていった。

大きな出来事でなくていい。

ささやかな喜びの積み重ねが、僕の回復を後押ししてくれたのだと思う。

薬や治療ももちろん大切だった。

でも、娘との時間がなければ、今の僕はいなかったかもしれない。

 

そして今、僕は仕事に戻っている

あれから時間が経ち、僕は今、職場に復帰している。

もちろん、まだ完全に元通りというわけではない。

無理をしすぎないよう、少しずつペースをつかんでいる最中だ。

それでも、以前とは違う自分がいる。

娘との時間で見つけた「小さな幸せに気づく力」を、今も大切にしている。

仕事帰りに疲れていても、娘の顔を見ると、ふっと肩の力が抜ける。

「今日はどんな新しい発見があったかな」と、自然に思えるようになった。

これは、休職していた時間があったからこそ得られた感覚だと思う。

失ったものも多かったが、その分、得たものも確かにあった。

 

娘へ、ありがとう

アンパンマンからサンリオへ、好きなものを自分で選んだ娘。

キティちゃんのリップを、自分の言葉で欲しいと言えた娘。

パパのために、ぐでたまに会いに行こうと誘ってくれた娘。

そのひとつひとつの成長が、僕の毎日を支えてくれた。

娘は、僕を励まそうとしたわけではないと思う。

ただ、自然に育っていっただけだ。

でもその自然な成長こそが、僕にとって一番の薬だった。

うつという時間は、決して楽なものではなかった。

それでも、その時間があったからこそ、娘の成長をこんなに近くで見られた。

これから娘は、もっともっといろんな「初めて」を見せてくれるはずだ。

その隣で、僕もまた、少しずつ前を向いて歩いていきたい。

最後に、娘へ。

たくさんの成長を、そばで見せてくれて、本当にありがとう。

パパは、これからも、あなたの一番近くで応援していきます。

いいなと思ったら応援しよう!