「半導体学部」が問う大学の時間軸
先日、熊本県立大学はあらたに「半導体学部半導体学科」の設置を発表した。2027年4月に開設し、60名の学生を募集するという。
この学部に関して、受験界隈ではにわかに話題になっている。7月に行われたオープンキャンパスで実施された説明会では立ち見が出るほどの人気ぶりであったという。
この新学部設立には当然ながら理由が存在する。現在、熊本県には世界的半導体大手のTSMCが製造工場を設置している。また第2工場についても現在の工場の隣接地に建設が予定されており、将来的な半導体人材の不足が懸念されているためだ。
熊本県としてはこの機会に人材育成を進め、もともと県内工業の主力であった半導体産業へさらに注力していく方針のようだ。同様の動きは国立の熊本大学や熊本高専でも見られており、県内大学における半導体人材の育成が加速することは間違いない。
とはいえ、今回の熊本県立大学の学部設置はそれらの学校とは状況を大きく異にしている。なぜならば、熊本県立大学には理工系人材の育成に関する十分な蓄積が存在しないからだ。
今回の学部設置に関して、入試改革やカリキュラムの工夫、評価の厳格化などによって人材の質を担保するとしているが、現実的にそれがどこまで可能なのかは疑問である。
熊本県立大学は文学部や総合管理学部、環境共生学部などを有する総合大学であり、従来から理工系人材の育成を主目的としてきた大学ではない。理工系学部を中心とする大学と比較すると、数学や物理を重点的に学んできた学生の割合は決して高くない。また環境系分野では測定機器を活用した研究も行われているが、理工系大学の研究室で一般的に行われる高度な数理解析や計算科学的手法に触れる機会は限定的である。
もちろん、だからといって熊本県立大学に半導体教育が不可能というわけではない。実際、半導体産業には研究開発だけでなく、生産管理、品質管理、環境対策、人事、経営など多様な職種が存在する。半導体産業を支える人材は必ずしも全員が高度な研究者や技術者である必要はない。
TSMCの日本法人であるJASMの募集要項には、初任給29万円の大卒技術職だけでなく、初任給22万円の大卒アシスタントエンジニアの募集も存在する。後者であれば専門的かつ高度な理系研究を経ていない学生であっても応募することは可能だろう。
しかし、それでもなお半導体学部という名称を掲げる以上、その中核となるのは理工系人材の育成であるはずだ。半導体の設計や製造には電気電子工学、材料工学、物理学、化学、情報工学など幅広い専門知識が求められる。こうした分野の教育研究は一朝一夕に構築できるものではない。
大学教育において最も重要なのは、教員集団が持つ知的蓄積と、それを生かす建物や設備の充実、そしてその環境の中で成長する意欲と基礎学力を備えた学生の存在である。
教員確保という点においては、熊本県立大学の理事長である黒田忠広氏は東京大学名誉教授であり、日本の半導体研究を代表する研究者の一人である。その人脈は学部運営において十分な力を発揮するだろう。
実際、現時点で学部長には天野秀晴氏、学科長には丹羽正昭氏の名前が挙がっており、いずれも国内屈指の半導体研究者である。
ところが研究機材や研究環境となると話は大きく異なる。これまでそうした設備を持たなかった同大学に最先端の研究設備を一から整備することは費用面から見ても容易ではない。県立大学側は他機関の最先端設備を活用することで対応可能としているが、それらは自大学専有の設備とは異なり、自由に利用できる研究環境とは言い難い。
そもそも大学における人材育成とは十年、二十年という時間をかけて形成されるものである。研究室の伝統、卒業生ネットワーク、大学院教育、企業との共同研究などが積み重なることで初めて学問分野としての厚みが生まれる。そしてそれを支えるのは、その環境の中で学び続けるだけの基礎学力を持つ学生の継続的な確保であろう。
今回の学部設置が成功するかどうかは、開設時の話題性ではなく、その後どれだけ長期的な投資と蓄積を続けられるかにかかっている。果たして熊本県がどこまでその負担を維持できるのか、難しいところだろう。
地方創生や産業振興のために大学を活用する発想自体は決して誤りではない。しかし大学は行政の政策目的を実現するための装置ではない。本来は学問と教育の場であり、その成果として人材育成や地域貢献が生まれるのである。
半導体産業の発展に大学が果たす役割は大きい。しかし、その役割は学部の名称を変えることによって生まれるものではない。長年にわたり積み上げられた研究基盤と教育体制の上にこそ成立するものである。
そう考えると、既に理工系教育の蓄積を持つ熊本大学や熊本高専を中心に強化する方が、より確実な人材育成につながった可能性もあるのではないだろうか。
