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董其昌『楷書小楷千字文』

山に籠って72日目です。

董其昌『楷書小楷千字文』を臨書しました



董其昌(1555-1636)
明末の書画家

13歳で科挙の童試に合格し、名声が高まる。
17歳のとき、1つ年下の甥と一緒に郷試を受け、字がうまくなかったため2位だった甥が繰り上がって1位になった。悔しさをバネに本格的に書の研鑽をはじめ、30年以上にもわたったという。
小楷書、行書、草書などの異なる書体で何度も『千字文』を書いた。

はじめ顔真卿、鍾繇、王羲之の拓本に学んでいたが、26歳のとき真蹟に出会い、臨模に努めた。
「我が書は臨倣せざる所はなし」と述べるほどだった。

書の精髄は魏と晋にあり、王羲之を敬い、形ではなく、精神(神韻)を受け継ぐべきとした。
彼の書画理論の背景には禅があり、技巧的であること否定し、率直にありのままを表現する天真爛漫が書の骨頂であると主張した。
官僚としての評価はさんざんで、私腹を肥やして書画の蒐集をしたため、家を焼かれるなどの襲撃を受けた。
しかし董其昌の書画に対する深い理念と理論は、清朝に受け継がれ、康熙帝や乾隆帝に推賞された。日本でも江戸期に董其昌ブームが起こり、唐様書道の基礎となった。

清の康煕帝、董其昌の書法を好み、国中皆其昌の風となる。今の長崎に来る商客も皆其昌風なり。文徴明、松山の風の筆跡を見ず

細井九皐『墨道私言』より

<参考資料>
馬成芬著「江戸時代における董其昌法帖の受容について」『文化交渉 東アジア文化研究科院生論集 第5号』2016年

塚本麿充著「市川米庵と董其昌ー江戸時代後期における明清文人文化と正統派受容の諸相」『美術史論叢 vol.36』2020年

宇野雪村著『中国書道史下』木耳社 1972年

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