私が見てきたアートと彫刻の20年#6 「彫刻家としての私」その3 アートイベントへの出展
美術を志して今年で20年の筆者が振り返るシリーズ。23年に個展を初めて開催し、ささやかなデビューとなった後の展示について書きます。
初めての個展では私の力不足を痛感、作品も売れず、やりがいだけが残ったと思ったのですが、時間が経ってじわじわと個展をしたことの影響が現れ始めました。
きらめき彫刻祭

私の大学時代の後輩で、現在は芸大で講師をしている彫刻家の村岡佑樹さんが個展を見てくださったことがきっかけとなって、アートイベントへのキュレーションと出展を打診してくれました。彼自身が発起人となった「きらめき彫刻祭」は、台東区谷中を舞台にした彫刻のアートイベントでした。そして彼は私に、その中でも最も重要な場所の一つである「朝倉彫塑館」での展示を任せてくれたのです。行ったことのある方はわかると思いますが、朝倉彫塑館は彫刻家朝倉文夫がこだわりぬいて作り上げた、この上なくラグジュアリーな建物です。めちゃくちゃかっこいい。そしてその生活空間とアトリエは朝倉作品を常設展示する美術館になっているので、そこで展示をすると言うことは、朝倉文夫の彫刻やその歴史と自分の作品が直接関連を持つと言うことになります。
彫塑館との打ち合わせを重ねる中で、元々は建物の外のエントランスに展示すると言う話から、小さな部屋を間借できることになりました。「きらめき彫刻祭」の出展メンバーの中でも私は年寄りだったのもあり、単に自分という作家のスタンスを表明するような展示ではないものを作りたかった。きらめき彫刻祭は村岡さんが「彫刻の輪郭」の今の姿を捉えたいという強い気持ちが発端となったものでしたから、私は朝倉彫塑館と自分の企画で「彫刻の文脈」を強く引き出し、揺さぶるような展示ができないかと考えました。
そのためには自分一人の力では到底朝倉文夫という彫刻家の持つ文脈には太刀打ちできません。私はまだまだ駆け出しの作家で、作品数もなければ作品の関連が朝倉文夫とは薄く感じていました(私は木彫が主なのに対し、朝倉文夫は塑造を徹底した作家です)。そこで、自分とは極端に性質の違う仲間を集めることにしました。元々大学で働いていた時に、同じ助手として仲良くしてくれていた作家仲間と色々話していた中で、展示につながるイメージが湧いたこともきっかけでした。
真面目に彫刻を作るだけじゃなく、「彫刻というものの文脈と戯れること」これは作家として人生を歩む上でとても大切なユーモアです。井田大介、石川洋樹、大森記詩、木本諒という4人はこれを一緒に楽しめる仲間でした。
朝倉文夫が目指した近代日本の彫刻から、我々はどのように展開し今彫刻を作るのか。それを作品で展覧する上でさらに自分たちの「彫刻」を通して集められたものたちを、彫塑館に準えて私たちの「驚異の館(小部屋)」に展示しよう。これが展示のイメージの骨子になりました。こんなの自分一人では絶対に思いつかない、、、、!
SUKIYAKI Fragments -黄昏の間-
タイトルは、当時たまたま読んでいたロラン・バルトの「表徴の帝国」の和訳の文中からとったもの。バルトが記述した「すき焼き」についてのエッセイから着想を得ました。異国の文化を受容するとともに、独自の誤読を持って感嘆するバルトの表現=感覚が、日本の彫刻が辿ってきた歴史とそれに愛対する私たちの感覚に重なりました。彫刻という文化と戯れること、これをバルトが”生の食物なる神々の黄昏”と書いた日本の食文化に対しての驚きに重ねたのです。

展示の内容について
出展者それぞれが作品やコレクションしているものを寄せ集め、作品とそうでないもの、お互いの作品ですら干渉し合うことも厭わず、かつ注意深く空間に並べました。塑造のように空間にモデリングしていく感覚で、みんなでああでもこうでもないと置いていく。この際、なんでもいいでは成立しないという点がポイントでした。特定の意味に陥らないように、展示物同士が仲良くなりすぎることはつまりそれらが殺し合ってしまうことになるのです。





展示する際には、ものを載せたり設置するものが必要で(彫刻家はそれを台座と呼びます)、展示什器も簡易的に自分たちで作りました。これも、塑造をするときに最初に立てる「芯棒」をイメージしています。
私は立体物を収集することがあまりなく、実は出展者の中では異質な人間でした。実際最も出展数が少なかったのですが、これを機会に新しい作品の展開を考え制作することで展示にアクセントを与えることにしました。
それが《torusô》シリーズです。発端は植物コレクターでもある出展者の井田大介が、彫刻と自前の植物を並べたいと言っていたこと、朝倉文夫が植栽に趣味としてかなり入れ込んでいたことでした。彼の植物とその文脈に差し込むように、自分の彫刻を紛れさせられないか。そうして考えたのが、「木彫で人体(トルソ)をかたどり、鉢に植えて彫刻にする」というアイデアでした。このトルソという言葉は、遡ると「木の幹」を意味するイタリア語に行き着くそうで、もうピッタリ。実際に作ったら、アクセントどころか完全になじみ埋まってしまいましたが、これが次の展示に繋がるとは思っていませんでした。


空間構築について
朝倉彫塑館には、《朝陽の間》という最も贅を凝らした応接間があります。珊瑚で塗られた赤い壁が特徴の立派な部屋に対し、我々が展示する部屋は雨漏り対策で屋根を増築されたもともとバルコニーだった場所。アトリエの明かり取りのための大きな窓の外側にある部屋で、三方を窓で囲まれた小さく不思議な空間でした。これは対比が効くなと思い、我々の展示空間を朝陽に対して夕日、そしてバルトが語ったスキヤキの「黄昏」をかけて《黄昏の間》と名づけることにしました。赤色の壁に対し、我々はビビッドなオレンジのカーペットを敷く。現代アートのインスタレーションとしてしばしば使われる床の色を変える手法を引用して、現代性を意識しました。

まとめ
彫刻やそうでないものが、作られた文脈とは違う、現実に背景としてお互いに影響し合うことで、逆に浮き上がるもの。これが我々が見たかったものでした。彫刻をはじめ、映像作品や、フィギュアとして作ったもの、コレクションとして集められた他者の作品やアンティーク、発根管理中の植物まで。見る人が勝手に関連づけたり、意味から引き剥がされて浮き立つフォルムがあったりと、彫刻を置き、見るという営為の面白さが際立った展示になったと思います。
某現代美術作家から気持ちの悪い私的な批評にもならない垂れ流し文章を書かれたり、この展示を立ち上げる中で別軸で出会った研究者の松井裕美先生に展覧会冊子の文章を書いていただく縁ができたりと、本当に刺激的な展覧会でした。
そしてまさか彫刻家デビューの一年後に朝倉彫塑館で展覧会ができるなんて。全ての縁に感謝しかありません。村岡さんをはじめアートイベントの関係者の方々、助成いただいた野村財団、松浦財団の方々、そして無理難題を共に解決してくださった朝倉彫塑館の方々には改めてお礼をしたいです。作品が絡むと私も感情が高まったりしてしまうので、衝突もありました。今思い返せば余計なことで、もう少し自分を抑えればよかったと後悔しています。自分にはチームワークは向いていないというか、いいものを作ることと人と他者とうまくコミュニケーションすることがどうしても両立しない人間で、自分自身の扱いづらさに気付いたところもあり、今後に繋げないとなと思っています。
ともに本当にいい展示を作ってくれた4人にも感謝を改めて。本当にありがとうございました。(お金がなくて打ち上げもできず、、、本当にごめん。)仕事と制作が両立できていない時期で、経済的には今よりもっと厳しい時でしたが、作家として楽しむ日々は徐々に板についてきた感じがしています。
スキヤキ展、今見ても楽しい展示でした。以前大学時代は研究室の展覧会を毎年企画していましたが、自分で作った展示にこう思えることはなかなかありません。グループ展は貴重な機会です。ましてやそれでしかできなかった作品アプローチもある。こうしてnoteにしてみてもらえる機会を作るのも悪くないですね。次回がラストになると思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
