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文学とは無敵なのか

こんばんは。昨日の話ですが、図書館でブックカバーの本を借りました。布で作るものです。というのも、「成瀬は信じた道をいく」(宮島未奈著)を買ってからというものの、新潮文庫に必ずついてるしおりが気になってしまってます。今後村上春樹作品を買うとしても、逃れられません(他の出版社からも、小説が出てるだろという異論も受け付けます)。

紙のブックカバーはぴっちりつける党党首ですが、布のブックカバーも何枚か持ってます。しかしどれもしおりがついているのが気になります。新潮文庫用として、しおりなしブックカバーを縫おうと思い立ちました。

久しぶりに、「新潮文庫の100冊」のリーフレットをもらいました。この手のキャンペーンは、ホイホイ文庫を買わせる大作戦にまんまと乗せることだと知ってます。ピーク時はYonda?というパンダがキャラクターだった頃で、カバーについてる券を切り取っては、せっせと送ってグッズにしてました(うをを、年齢がバレるぜ)。

こうして見ると、某通信制大学で勉強した文学者の作品も網羅されていることに驚きます。文学部卒の性で、本屋さんで見てはずるずると読みたくなります。単位認定試験に出るかは謎ですが、知らないのは恥レベルまで高くなってます。

大学生の頃は国文学科だったこともあり、本当に海外文学はまったく読みませんでした。母に「“赤毛のアン”はいいわよう♪」と言われても、最後まで読めたことがありません。そして今に至る…情けない。

誰がどの本を読んでも、自由なのは昔も今も変わりません。ただ、私的にはここで本の感想をアップしている以上、「インテリジェントさが問われてる気がする」と考えてます。本のよさを伝えたいと思っても、ネタバレが怖くてもにゃもにゃにしてしまうことも多々あります(伝わるかな)。

インテリジェントになりたいから、本を読むのではありません。そもそもインテリジェントとはほど遠い本を読んでると思ってます。インテリジェントって「高い知性を持っている様子」ですね(三省堂書店「新明解国語辞典第6版」)。

昼間某通信制大学の授業を見て、韓国文学に興味をもちました。韓国といっても、新大久保とは全然違う世界です。イメージが貧弱ですみません。
この授業は入学前から見てましたが、単位のかかる授業としては目からウロコというか、如何に朝鮮半島の近現代の歴史や文学に対して無知であったことに気づかされました。これは単位関係なく読んだほうがいいだろう、と。

読書会に参加するなど、人の読んだ本の紹介を見たり聞いたりすると、興味の幅が広がります。それと同時に、その人を育んだ読書だという発見があります。今図書館で順番待ちの列に並んでる本も、その一部です。

中学生の頃、ティーンズハート(講談社)から先、大人が読むような文庫本に移行するには、どんな本を読めばいいのかを考えてました。高校生の頃は永井路子の歴史小説を読んでましたが、その前の段階を思い出せません。
村上春樹の名前を知ったのも、ちょうどそのくらいでした。「ノルウェイの森」の装丁が衝撃だったからでしょうか。

本を読むのに、「遅すぎる」はないと思ってます。だから「シノダ!」シリーズ(富安陽子著、偕成社)や「言葉屋」シリーズ(久米絵美里著、朝日学生新聞社)だったり、福音館書店の「たくさんのふしぎ」を図書館で借りて読みます。

しかし、「新潮文庫の100冊」の限定プレミアムカバーの作品は、どれも買って読みたい本ばかりです。某三省堂書店が仮店舗だった頃は、文庫本売場から逃げまくってたのに、新装オープンしてからは誘惑とバトルの日々を送ってます。

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yukina*|高尾山隠居老人 今後もよろしくお願いします(*^^*)