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ベストエフォートで臨んだ終着点

あなたは、“推し”が卒業したことはありますか…?

あなたは、その最後を見届けたことはありますか…?


私はかれこれ10年以上いわゆる“ヲタク”というものをしてアイドル現場に足を運んでおり、当然「推しが卒業したこと」「推していたグループが活動を終了したこと」も経験している。

しかし「最後を“ちゃんと見届けた”こと」、これに関しては、自信を持って“YES”といえる経験が、無い。

“それが最後になると思ってなかった”

私が最初に通った現場は、エイベックス所属の5人組ダンス&ボーカルユニット「Dream5」であった。
デビューは2009年。結成がテレビ番組内でのオーディションだったため、その当初のことは知っていたが、本格的に自分のなかでいわゆる“推しグループ”的に興味を持つようになったのは2013年ごろのこと。そして2014年の年始から実際に現場に通うようになり、そこから2015年にかけて行ける範囲でかなりの回数、現場へ足を運んだ。

2016年2月、ミニアルバムのリリースをその週に控える中、突然メンバーの1人の卒業予定が発表された。
「同年4月末を持ってグループを卒業、そして芸能界を引退する」と言うものであった。

この卒業が発表されたメンバーは、当時の自分にとっては“2推し”と言ったようなポジションでありつつ、4月下旬に卒業ライブが行われることも発表されたため、「ひとまず卒業を送り出そう」「その後の4人体制のことはまたその時に考えよう」そう思うことにして、ちょうどその週にあったミニアルバムのリリイベ達に足を運んだ。

そしてあっという間に4月を迎え、その卒業ラストライブを現地で見守った。
卒業する1人と、当時の1推しを含むグループに残る4人の今後に思いを馳せながら。


─── しかしその後、残った4人のDream5としてのライブやイベントが行われることは全く無かった。

そしてそのまま年末、それまで動きがなかったところから唐突にグループの活動終了が発表された。

推しの、そして推しグループの、結果的には最後になったライブを、その当時は最後だと思えていないまま終わってしまった、思う余地がなかった

前述のメンバーの卒業ライブが、結果的にはグループとしても、当時の一推しにとっても、実は最後のステージだったと後から気付かされることになったのである。
(当時の推しはいわゆる歌唱メンでもあったのだが、この活動終了以後は基本的にはそれまでのような形でステージに立っていない)

"最後の日"は突然に

Dream5がグループの枠組みとしてはまだ建前上ありつつも活動がぱったりとなくなっていた2016年の夏、Dream5と共演が多かった同じくエイベックス所属のアイドルグループ SUPER☆GiRLS(以下 スパガ) の現場に、私は本格的に足を運び始めた。

スパガにはちょうどこの2016年の6月に3期生が加入。
それまであまり主体的にスパガに通っていたわけでは無かったものの、楽曲やグループに興味を持っていた自分にとって、新メンバーの加入&新章の幕開けというのは絶好の通い始めるきっかけとなった。

3期生加入とともに本格的にスパガに興味をもった私は、特にその3期の中で、同い年であった木戸口桜子、そして唯一スト生(研究生)出身ではなかった石橋蛍に興味を惹かれていた。

当初の感触としては、木戸口をいわゆる“推し”として自分のなかで主として据えつつ、それまでいわゆるアイドルを推したことがなかった自分としては石橋にも親近感がとてもある……といったような塩梅だった。

この年のスパガは夏曲に加え冬曲もリリースし、それらのリリースイベントやライブなどに私はちょくちょく足を運んだ。

年が明けて2017年の春、3期生だけで“修行中”と称したライブハウスツアーが開催された。
当時まだ高校生だった私は遠征こそ叶わなかったものの、ツアーファイナルとして4月7日に行われた横浜公演に参加。

当時は『スイート☆スマイル』のリリースが決まり、リリースイベントが始まっていた頃で、そのツアーファイナルが終わるタイミングでちょうどYouTubeでMusic Videoが公開されるなど、リリースに向けた機運が高まっていた。

ツアーファイナルの余韻真っ只中のまま、翌日の4月8日にはららぽーと豊洲でリリイベが行われ、ミニライブおよび特典会に自分も参加した。

さらにその翌日、4月9日もラゾーナ川崎でリリースイベントが行われたが……家の用事があった私は、頑張れば回せないこともなかったものの、その日は現場に向かわなかった。
翌週末にもリリースイベントが決まっており、そちらには行けそうなのでそこでいいか、という意識もあった。

それから数日経った4月12日、それまで毎日のように更新されていた木戸口の Twitter・ブログ・DMM.Yell等の更新が全てパッタリと止まった。

音沙汰なく迎えた次のリリースイベント予定日であった翌週末4月15日の朝、木戸口が体調不良によりイベントを欠席することが発表された。

そして翌々日、正式に木戸口の活動休止が告知された。

活動休止発表からは木戸口の状況について運営やメンバーから語られることはなかった。
(何があったのかは知らないが、今となっては知りたいともあまり思っていない)

それからしばらくの間は、当時自分自身が受験期だったこともあって現場のペースを落とし、周年ワンマンや数回のリリイベなどには数回だけ足を運んだものの、基本的には在宅的なスタンスで様子を見ていた。

その後、ステージに立つ姿を再び見ることは叶わないまま、9月20日に木戸口の卒業が発表された。

卒業日は同月末の9月30日、10日後。

最後に会える機会も、言葉を届ける機会も、自分に用意されることはなかった。
(厳密には9月29日にノンストップライブがあり、その現地でちょっとしたメッセージボードの寄せ書きはあったそうだが……私は前述の受験等に伴う流れもあり、木戸口が出演しないことも告知されていたため、そこには足を運んでいなかった。)

そして結果的な最後のステージ(4月9日)をそもそも見届けられていないことに、行き場のない後悔のようなものを抱えてしまっていた。

三度目の正直…?

木戸口の最後について釈然としない感情のまま過ごしていた私は、そのまま受験生としてそこまでの在宅ムーブをあまり変えず、たまにリリイベや定期公演などに顔を出す程度で気づけば2018年を迎えていた。

2018年の春、受験期を終えて大学に進学した私は、新たな環境での生活に多少は戸惑いながらも、時間の自由度も上がったため気づけばまた少しずつスパガの現場に足を運ぶようになっていた。“石橋蛍推し”として。

所詮学生ではあったが、春夏秋それぞれあった新曲のリリースイベントなどを始め、夏にはTIFなどのフェスにも参戦し始めたりと、大学生活と趣味活をどちらも適度なバランスで楽しみ始めていた。

在りし日のリリイベ帰りの写真

2018年末にはスパガに新たに4期生が加入。推しが1段階“先輩”になりつつ、4期生が結成以来の完全一般公募オーディションだったことから、かなり体制面やパフォーマンスなど現場の空気感はそれまでと大きく変わっていった。

初心者スタートが大半だった4期生を迎えた体制のステージのレベルに関しては当時色々と言われていたものの、自分にとってはどこか、新メンバーも先輩たちもそれぞれが目にみえて成長していく環境が、楽しくて、面白くて……気づけば2019年はそれまでで一番、現場に足を運んでいた。

また、それまでスパガ現場では極々一部の既存の知り合いとしか関らず、ほぼ一匹狼で現場にいた私も、この頃には多くのニジスト(スパガファンの呼称)とも関わるようになり、推しを問わず知り合いも増えていった。

あっという間に季節は巡って夏になり、「#夏スパガ」と称してさまざまな施策が活性化していた。少し早めの6月に夏曲『ナツカレ★バケーション』をリリースしつつ、7月から12月にかけて毎月メンバー1人1人の“フィーチャー曲”が解禁されていったり、8月〜12月まで毎月ワンマンライブが決まったり、もちろん各種夏フェスなどにも出演が決まっていった。
私自身も時には遠征も挟み始めながら、全現場とは言わないものの、大学とも両立しながらその日々を満喫していた。


8月3日、TOKYO IDOL FESTIVAL 2019 DAY2。
この年のTIFにスパガはDAY1〜DAY3まで3日間全て出演していた。前日に引き続き迎えた2日目は一番出演ステージ数が多く、朝イチの「Tシャツステージ」にはじまり、ライブ2本に特典会などなど盛りだくさんであった。

翌日のDAY3は大学の都合でパスする予定だったため、DAY1〜DAY2でスパガとTIFを満喫しまくる覚悟で朝から夜まで丸一日楽しみ尽くし、帰路に着いた。

TIF2019 DAY2当日の写真

“二度あることは三度ある”

TIFの数日後、2019年8月7日。

大学の授業自体は夏休み期間に入っていたものの、この日は朝早くからちょっとした外部プロジェクトの手伝いに駆り出され、スマホを見る間も無く動き回っていた。
その日の作業がひと段落した午後4時前ごろ、指導教員や先輩と解散して帰路に着こうとしながら、Twitterを開いた。

イベント欠席の告知、蘇る前日の配信での様子。

───その日はその後どう過ごしていたのか、記憶がない。

連日の酷暑に各種夏フェスやイベント、そしてフィーチャー曲にちなんだSHOWROOMイベントなども実施されており、怒涛のスケジュールだったことは明らかだった。

そして数日後、正式に一定期間の活動休止となり、休養に専念することが発表された。

すでにいくつかのライブのチケットは確保済みだったため、私はそれらの現場には足を運ぶことにした。
推しはお休みしているが、シンプルにスパガのことは好きだったし、ありがたいことに他のメンバーたちにも認知いただいているようなタイミングだったのも幸いした。

活動休止しはじめて1ヶ月ほど経った頃、こういったスパガの長期休養としては珍しく、症状及び医師の診断内容(診断病名など)がかなり詳しくHPで公表された。

推しの現状がある程度は把握できたこと、およびその心遣いに心を落ち着かせつつ、私はふとある決断をした。

「現場に、居よう」

悔いの少ない選択を

9月にはワンマンライブ及び、フィーチャー曲の中でもシングルとしてリリースが決まっていた『片想いのシンデレラ』発売日などが控えていた。

そしてその9月のワンマンライブでは、石橋蛍のフィーチャー曲『感情キャンバス』が初披露されることが告知されていた。これは同曲が10月リリースの枠のフィーチャー曲だったからである。(同じく10月枠だった門林有羽の『‪Please stay with me‬』もこのタイミングで解禁となった。)

「フィーチャーメンバーである石橋は不在だが、大事なフィーチャー曲だから現地で見届けよう」、そう考えて、そのワンマンライブにも足を運んだ。

この頃になると多くの石橋推しの知り合いは流石に現場ではあまり見かけなくなっていた。時期的に、この頃のイベントのチケットは既に休養開始以後に販売され始めていたという事情もあるだろう。

そう言った状況下でも、自分は自分なりに現場に足を運び続けることを選んだ。
「スパガのことがまず好きだし、推し(石橋蛍)が在籍しているグループの“今”を、この目でちゃんと追っておこう」……それがモチベーションだった。

また、木戸口の前例を経験しつつその当時は現場に行かないと言う選択をした自分の経歴を振り返りつつ、「推しが休養してるとはいえ在籍はしていることを繋いでいたい」「現場に“緑”を絶やしたくない」……勝手な1ヲタクの自己満に過ぎないが、そのようなことも考え始めていた。

幸い、メンバーたちも、周りにいた多くのニジストの知り合い各位も、そんな自分が現場に居続けているのを拒むことなく、むしろ暖かく優しく見守ってくれていた。


10月、某ワンマンライブに足を運んだ時のこと。
引き続き私は緑色の推しTを着たまま現場に居続けていたが……冷静に考えるとかなり目立ってしまっていたのだろう。何せ他にそういうヲタクは現地にほとんど居なかったのだから。

『片想いのシンデレラ』リリースイベントの頃の写真

そんな私に、知らないヲタクが声をかけてきた

「蛍ちゃん、残念でしたね…」

その瞬間、どう返せば良いのか分からなかった。
当然、この時点ではまだ石橋は休養中ではあるが在籍している。なんなら翌週にはフィーチャー曲『感情キャンバス』のリリース日が控えていた。

自分はその中で、その在籍していることを尊重したくて、繋いでいたくて、現場に居続けることを選んでいた。もちろん、復帰してくれるならいつでも戻って来れる場所がある、そういう願いもあった。

しかし、「もう蛍は戻って来ない」「卒業したも同然」……そのようなスタンスで初対面のヲタクに話しかけられてしまった私は、それっぽい相槌を打つので精一杯だった。
この日の複雑に入り乱れた感情は、忘れることはない。


しかしそれでも、メンバーおよび大半の知り合いは自分の存在を優しく尊重してくれていた。時にはライブ、時にはコラボレストラン、時にはフィーチャー曲の個別イベントやオシバトなどをモチベーションに、その後も毎現場ではないものの、比較的コンスタントに現場に足を運び続けた。

同時期開催のコラボレストラン「超絶☆学園レストラン」の様子

“悔いのない選択”の終着点

2019年12月30日。
前日にスパガとしては年内最後のイベントとして12月フィーチャー曲の個別イベントを終えたことでいわゆる「現場納め」を済ませ、年末年始モードに突入していた。

この日は朝からオシバトを生業としていた有志数人で集まり、都内のレンタルスペースで“オシバト納め”をしていた。

オシバトに熱心過ぎて、現場外で集まって納めた人たち

帰省などの都合で午後は予定がある者も多かったため、一通りオシバトを楽しんだところで昼前にお開きとなった。

「良いお年を!」
時刻が正午を回る頃、午後に特に予定がなかった私はそう言って帰路に着く各位を改札へ見送り、1人になった。
“適当に昼ごはんでも食べて帰るか……” などと思いながら、いつもの癖でTwitterを開いた。

そこではちょうど数分前に、石橋蛍の卒業が発表されていた。
卒業日は翌日、12月31日。

本人からの4ヶ月以上ぶりの文章。
もともと毎日ブログという形で文章を書いていた蛍。素直に嬉しかった。

気づけば改札前にいた私は、そのまま駅近にあったタワーレコードへ向かっていた。
そこには、スパガのポスターが、あるはずだったから。

どこか地に足がついていないような不思議な気持ちでタワレコに足が向いていた時、オシバトをしていてついさっき改札で見送った1人がメッセージをくれた。

“大丈夫…じゃないよね、合流しようか?”

ぼーっとしていた私は、簡潔に返信した

「ありがとう、タワレコにいる」

すぐにタワレコにたどり着いた私は、何を買うでもなく、ただアイドルCDコーナーの一角にあったスパガのポスターに引き寄せられて、それをぼーっと眺めていた。

当時の実際の光景

それは前週に発売されたばかりだったアルバム「超絶☆学園 〜ときめきHighレンジ!!!〜」のポスター。
フィーチャー曲全曲+αが収録されており、奇跡的に夏前に先行してこのアルバムのジャケ写などの撮影は行われていたことから、そのポスターおよびCDジャケットには蛍の姿もあった。

ほどなくして、連絡をくれた知り合いとポスターの前で合流した。

特に何を話したとかでも無かった気がする。ただ無言で、ポスターを見ながら、特に直近半年ほどに対して想いを馳せていた。
そして、そんな自分の直近のムーブを尊重して見守ってくれていたうちの1人が横にいる、それだけでなんだか有り難かった。

どれだけの時間が経ったか分からなかったが、感情が不思議と落ち着いてきていた私は、とある行動に出ることにした。

「蛍を、ちゃんとみんなに見送られて“卒業”させてあげたい。蛍のために、何か、したい。」

過去に何度も突然の別れで何もできなかった後悔、そして直近でずっと緑色ベースで現場を見てきた自負、そう言ったものを原動力としつつ……同期で1人だけ未経験の状態で加入したあの日から3年以上ガムシャラに頑張って駆け抜けてきた蛍自身のことを想って、それがほんの36時間で打ち切られてしまうように感じて、嫌だった。

みんなから蛍に、卒業のメッセージを送りたい

気づけば自然と必要な段取りを始めていた。
そして、見切り発車ではあったが1つのツイートをした。

ツイート時刻は12:39。正午の卒業発表に気づいてからほんの30分ほどの出来事だったらしい。

もちろん残り36時間で現場は存在しない。そもそも年末年始、ヲタクの知り合いも帰省などで散り散りになっていて対面で会うことすら難しいタイミング。
しかし幸い自分にはIT系の知見があり、インターネット上でのメッセージ募集、それを集計しデジタル横断幕としての製作、公開するホームページと……見切り発車とはいいつつもそういった環境は揃っていたため、“やれる”と自分を信じた。

タワレコに戻ってきてくれた知り合いに礼を言って解散して帰宅。そこからはひたすらにノンストップだった。フォームに目を通しつつ、実際にそれをまとめる設計をして横断幕データを作りつつ、時に問い合わせなどにも答えたり。
自分なりの意地で「12/31 23:59までは蛍はスパガの一員だ。そこにメッセージが間に合えば、届けられるはず。」そう覚悟していた。

そして周りの人達もとても協力的であたたかかった。積極的に拡散や支持の連絡をくれた。
直接FFじゃなかった蛍推し、スパガ界隈ではなかったがずっと縁のあったFF各位、別メンバーのいわゆる生誕委員、海外のスパガのファン、時には業界サイドの人まで……想像以上にたくさんの人がメッセージを寄せたり拡散してくれた。

リプライで「ご自身も辛い中、企画をありがとうございます」という言葉をもらったりもした。
しかし、この時点で自分はなんだか不思議と辛くはなく、「最後に悔いのないようにやれることをやりきろう」…そう思えていた。

とにかく時間との戦いだったため、あっという間に大晦日に突入してもなお、躊躇うことなく届いたメッセージからどんどんと掲載用にまとめていっていた。
仮眠を挟みつつ、時に色んな方からのメッセージから伝わってくるあたたかさに涙腺を緩ませながら、黙々と作業を進めた。

実は本当は、12月31日に知り合い数名と『‪Please stay with me‬』の聖地巡礼をする予定があった。
でもその知り合いも「今しかできないことをしてあげて」と、優しく尊重し、応援してくれた。

12月31日、18時。
無事に完成したデジタル寄せ書きには、実に300人近いファンからのメッセージを掲載することができた。
わずか26時間ほどの募集で、である。

無事にデジタル寄せ書きを公開にこぎつけた安堵感を胸に、同日に蛍が公開した最後のブログを読み、コメントをして、あとは12月31日が終わるのを穏やかに待つのみとなった。

2020年1月1日、0時0分。

スマホのロック画面に表示されていた時刻表示が新たな年になったことを見届けた瞬間、推しが卒業したことを認識し、部屋で一人、それまでの人生で一番泣いた。

「悲しい」とか「悔しい」という類の涙ではなく、純粋にもう会えないことを認識して「寂しい」、ただそれだけだった。


2020年1月31日。
その日は坂林佳奈の生誕祭が開催され、私も現地にいた。
坂林の誕生日をお祝いしつつ、その横でとある交渉をしていた

「蛍への寄せ書き、届けていただけたりしませんか…?」
『あ!あのTwitterで集めてたやつですね…!』

幸い快諾していただき、後日、正式にミニ横断幕として印刷し、託すことができた。

冷静に考えたらこの時点で既にもう卒業しているメンバーに関することではあったが……事情を鑑みてだろうか、あたたかく受け入れていただいた。


積み重なった“今”の選択の集合体

振り返るとこのように、私は「推しの卒業」を、「推しの“最後のステージ”」を、見守れたことは無いように思う。

あまりに全て毎回そうなったため、蛍の卒業以後は“推しを定めて現場に通う”という行為自体が怖くなって避けた時期もしばらく続いた。

とはいえ、2019年のこの出来事を経て色々な感情にはなったが……あまり後悔はなかった。
「やれることはやった、満喫はした」
その感覚があった。

Best effort
日本語だと“最善努力”などと訳される。
“理論値は保証できないが、できる限りの最善を尽くして努力する”そう言った意味の言葉だ。


それから4年ほどが経った頃、気づけば私はまた、スパガの現場に全力で足を運ぶようになっていた。

“過去を振り返り大切にすることも大事だが、それに囚われすぎてもいけない”
そう思い、再び“推し”と言う存在に関しても前を向けるようになっていた。

そうして本格的に出戻りして、最初に迎えたスパガの楽曲に、こんな歌詞がある。

今を一番 愛してるよ
広がる世界は夢のよう
だって君も笑っていて
僕らも幸せだから

『Heart Diamond』 - SUPER☆GiRLS

“今”を全力で生きる、全力でできることを楽しむ

そうすればきっと、誇らしい青春が刻まれていくから

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