Coverdale-Page 1993
Coverdale-Page 1993
※ホワイトスネイクのデイヴィッド・カヴァーデイルが引退を表明。
嗚呼、そうなのか。オレはデイヴィッド・カヴァーデイルにはそれなりの思い入れがある。ディープ・パープルならイアン・ギランよりオレはデイヴィッド・カヴァーデイル在籍時のファンキーでソウル色が強い、の第3、4期のほうが好きなのである・・・・
そういえば昔、1982~1984年頃かね、ジミー・ペイジがホワイトスネイクに加入するという噂が駆け巡った。ミュージック・ライフが発信だと思う。勘弁してくれよ、やめてくれよ、と思ったと同時に見てみたい気持ちもあり、複雑な感情になったことを覚えている。オレは46時中欲情と発情していた頭の悪い高校生だったが、ツェッペリンとホワイトスネイクの格の違いは充分理解していた。ツェッペリンとホワイトスネイクではリーガ・エスパニョーラとJリーグ、メジャー・リーグと高校野球、郷ひろみと若人あきらくらいの差があるのだ。ジミー・ペイジがイギリスのハード・ロック村の住人であるホワイトスネイクなんかに加入したら一生の汚点、隠し切れない黒歴史になるぞ、とオレは心配しながらスコラを読みまくっていたのである。だからといってオレはホワイトスネイクのことは嫌いではない。今でも3年に一度くらい聴きたくなるのである。-Crying In The Rain-とか結構好きなのである。
※イギリスのハード・ロック村の住人
イギリスのHM/HR界の人脈の狭さといったら、トイレくらい狭いのである。ジョー・リン・ターナーがパープルに入ったり、ロニー・ジェームス・ディオがブラック・サバスで歌ったり、コージー・パウエルは一体どこのバンドのドラマーだかわからないのである。ある意味1950~1960年代のジャズ・シーンと似ているかも知れない。とにかくハード・ロック村の中で完結しているのである。
で、それから10年、デイヴィッド・カヴァデールとジミー・ペイジによるユニットが発表されたとき、オレは再び当時の感情に覆われたのである。やめろ、ペイジ、一見似ているようだがデビカバはパーシーと全く違うぞ。阿藤快と加藤あいくらい違うぞ(古いねどうも)。でも聴いてみたい誘惑もあるから、たちが悪いのである。
アルバム・ジャケットはまぁ、ださい。ペイジとデビカバの合流を意味している標識が大きく描かれている。もちろん横からデビカバが入ってきたという、あくまで本流はペイジだと表現している。当たり前である。何度も書くがペイジとデビカバは格が違うのである。長嶋茂雄とプリティ長嶋くらい、松田聖子とまねだ聖子くらい違うのである。とにかく当時オレは、Coverdale-Pageを期待半分、どうせダメだろ、ツェッペリンより凄かったらどうしよう、と割り切れない心境で聴いたのである。ペイジは確かに気合入りまくり、一聴すればツェッペリン風ギター・ワーク、ツェッペリン風サウンドのオン・パレードである。そこにデビカバが精一杯追いすがるという図式である。しかし、どうもジミー・ペイジを信仰しているギタリストが必死にペイジをコピーした結果こういうギターになりましたという感じなのである。ペイジがペイジの音楽性の上辺をコピーしたサウンドという感じなのである。なんだかなぁ。もしツェッペリンが存続してたとしてこんなサウンドを我々は聴かされたのかね。何か違うよな。「プレゼンス」風だったり、「フィジカル・グラフィティ」風だったりするが、足し算が過ぎるのだ。無理やり変則ギター・ワーク感が過ぎるのだ。俺は健在だぜというペイジの叫びが過ぎるのだ。
しかもいかにもなハード・ロック・ドラム、ハード・ロック・ベースが各所に散らばまれ閉口、胸糞悪ってなもんである。
たとえペイジが主導しているのせよ、パーシーやジョーンズやボーナムだったら、ああでもない、こうでもないと喧々諤々で変則ギター・アレンジが引き算されるに違いない。シンプルなサウンドに抑制され、結果かっこよくなるというのが、レッド・ツェッペリンなのではないか?-死にかけて-は11分くらいあるがリフ1発で進行してブレイク、ストップ&ゴー、またリフ、というシンプルな構成なのにあっという間に11分が過ぎる。-トランプルト・アンダーフット-はコード1発である。ところがCoverdale-Pageのアルバムを聴くたび最初の数曲でオレは飽き、無理やりな複雑な曲構成に耐えられなくなり、無性にツェッペリンが聴きたくなるのである。もちろん何が一番耐えられないかというとデビカバのヴォーカルなのだが。大体、デビカバは作曲のセンスはB級である。ホワイトスネイクを聴けばわかる。基本的に3コードのブルース・ハードロックのワン・パターンで、凄いメロディーだとか、よくこんな曲作れるなとかの感嘆は皆無である(もちろん幾つかはいい曲もある)。ディープ・パープル時代のデビカバのほうCoverdale-Pageより100倍いい。「カム・テイスト・ザ・バンド」というアルバムは最高である。オレはリッチー・ブラックモア一辺倒ではない。トミー・ボーリンのセンスのほうが好きなのである。つまりデビカバ主導ではなく、グレン・ヒューズやトミー・ボーリンのセンスでサウンド創りをすればデビカバは生かされる。デビカバはファンキーでソウルなブルース・ロックが似合うのである。ペイジに憧れ過ぎ、圧倒され過ぎのデビカバはペイジを引き算させることができないのである。
で、ツェッペリンを聴いて、やっぱりスゲーなと感情がほとばしるのである。ツェッペリンの凄さを再確認すりためにCoverdale-Pageやプラントのソロは存在しているかのようである。だってしょうがないじゃない、Coverdale-Pageより「プレゼンス」のほうが250万倍いいんだから。Coverdale-Pageとツェッペリンの何が違うのか。もちろん全てが違うのだが一番の違いは、ロックンロールやブルースの匂いがあるかないかなのである。ツェッペリンはブルースやロックンロールにステロイドやコカインを注入し再構築したが根本にプレスリー愛やB.B.King愛が蔓延しているのである。Coverdale-Pageにはない。ツェッペリンの上辺しかない。それなのにデビカバのどうだ、やってやったぜ感が鼻に付く。おそらくデビカバは歴史に残る傑作を憧れのペイジと作ったと思っているに違いない。俺はツェッペリンの一員だくらい思い上がった感さえ抱かせる。だがペイジにとってはは隠し切れない黒歴史となってしまった。嗚呼。
※オレのブログ
LED ZEPPELINを語り倒す、未熟ながら。より転載
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