企画展「モネ 睡蓮のとき」(国立西洋美術館)
「それってあなたの “印象” ですよね?」という批評家の誹りが「印象派」という名前を生んだ、まさにその「印象 日の出」を描いたクロード・モネ。マネとモネの区別が付かないひとは多いが、上白石萌音と上白石萌歌の区別も私には怪しい今日このごろ。
印象派の画家たちはとても好きだ。だが白状するとモネはわからん。セザンヌもわからんがまだ見ていて楽しいし想像力や思索を掻き立てられる。
しかしモネはなあ…。おんなじような睡蓮とか積み藁ばっかり描いてなにがおもしろかったのか。光の変化?別にモネの絵はフェルメールみたいにキラキラしてもないし。
去年もモネ(のみ)展があって見てきて、撮影可能な作品も数点あったのに、書くことが浮かばなくて結局記事にしなかった。
さて、今日はリベンジ(?)なるのだろうかと上野へ。
それにしても会場の国立西洋美術館は混んでたねえ。三連休前の夕方だったから? 美術館の敷地に入っていきなり目に飛び込んできた入場制限!? これはおみやげ屋さんの列だったみたい。いやいや、モネグッズなんてそんなに人気があったのか。
もともと会期初めや夜間開館は普段そんなに混まないのになんだこの大盛況。この秋国立西洋美術館は21時まで開館してくれるのも影響してるのだろうか。そしたら皆さんもっとのんびりくるしなあ。

さて入場。今回はマルモッタン・モネ美術館から多くの作品が来日している。一部を除いて撮影は禁止。ただ、絵の前でスマホを取り出しても特に注意されなかったので好きにメモが取れて助かった。モネの絵を前にしてただただ脊髄反射的に思ったことを書いてきた。
《ポール=ヴィレのセーヌ河、ばら色の効果》1894年
「デカルコマニーのようなイメージを作り出している」とキャプションにあった。それなに?
デカルコマニーとは、絵の具を塗った紙を挟み込んで転写し、絵の具が混ざり合った模様を作り出す絵画技法です
ロールシャッハテストもこれだな。ってデカルコマニーなんて言葉をわたしゃ初めて聞いたよ。シンメトリーでいいんじゃないのかな。絵画技法ではないけど。そもそもモネもこの絵を「絵の具を塗った紙を挟み込んで転写」する方法で描いてないし。
川面に夕焼けや木々が映り込んでる。モヤッとしてるのであまりその効果は感じられないんだが。そこに美はあるのか?
《ポール=ヴィレのセーヌ河、夕暮れの効果》1894年
そのお隣に飾られる作品。お隣の絵といっしょやん! どちらかと言うとこっちの方がばら色なんだが。わからん。
《ジヴェルニー近くのセーヌ河支流、日の出》1897年
カミーユ・コローを引き合いに出される名作? とか紹介されていた。風景画の巨匠、偉大なコロー先生と一緒にしないで欲しいなあ(個人の感想です)。
次の展示会場の壁にドーンと飾られた
No. 33《アガパンサス》1914-1917年頃
No. 34《睡蓮》1914-1917年頃
No. 35《睡蓮》1914-1917年頃
この三連チャンは見応えあるね。こんなサイズのモネはあまり見たことがない。大胆な太いタッチで迫力もあり、これくらい振り切ってくれると見ていて清々しい。睡蓮の花がクリームチーズパイみたいでおいしそう。
もともと生前モネが計画していたオテル=ビロンの展示館(現在はロダン美術館になっているそうだ)にはこの三作をあちこち部分的に配置した巨大壁画を設置する構想だったらしい。美術館のキャプションにはその白黒でぼやけた写真も展示されていた。完成図なのだろうか? 習作なのか、よくわからん。
そう思って見るとNo. 33のアガパンサスなんかは習作っぽく、塗り残しも多い。ってか、モネとかセザンヌとかは塗り残しても完成品だったりするし、やはりわからん。
展示はこの後「大装飾画への道」ということでさらにデカくなるようだ。年取るに従って作品がデカくなる法則でもあるんだろうか?
遠藤彰子さんもそうだし(サンプル数1かよ)。
次のコーナーは撮影可能📸

撮影可能であっても自撮りとか記念撮影はダメよというところも多いのに、やってる人もいてここは大丈夫みたいね。ほんとあちこちお作法がいろいろあり過ぎる。

このボロボロの睡蓮は前に見たな。

実はこの絵にはかなり逸話があるようだ。キャプションを読むと、この絵は(国立西洋美術館の創設者)松方幸次郎さんが本人に直談判して購入して(極めて異例だったそうだ)、後に関東大震災被災者のチャリティーで展示しようとしたら「聞いてねえよ勝手にそんなことすんな 怒#」とモネ御大がブチ切れたとか。は?もう売っちゃったもんだろ? それに金儲けじゃなくてチャリティーだよ? ひでえやつだ。人情モネえな。
とはいえもう少し情報収集してみると、モネにしてみれば内緒で制作していた「大装飾画」の一部なのでネタバレになるじゃねーかよみたいなことだったようだ。
そのへんのことはこの本に詳しいらしい。いつか読めるといいな(読めよ)
🪷🪷🪷
最後のコーナーはもうまさにキャンバスに絵の具をぶちまけたようなのばっかり。白内障の手術で視界がぼやけてしまった影響などもあるようだがそれにしてもなんじゃこりゃとしか思えん。
印象派の画家たちの後世に残した影響は多大だが、今のところモネが現代アートの始祖みたいな捉え方をされていちばん持ち上げられてる気がする。
一般大衆に人気があるかどうかは別として(でも今日は混んでたなあ)、「絵の具ぶちまけてゲージツでござい」とやっていいんだ! これアリなんだ! と多くの前衛絵描きたちが勇気付けられたのだろうか。
モネは色と印象(雰囲気)の画家といっていいだろう。私は物の形がわかる解像度の高い線の画家が好みだ。フジタとか北斎とかピカソとかね。
ありとあらゆる画家をパクったピカソもモネをパクったことはない気がする。ピカソは抽象画は描かなかったから。
しかし当のモネ自身はあまり現代抽象画の祖みたいに思われるのはそれほど喜んでいなかったようだ。
以下は会場最後に掲げられたモネの言葉(だよね?)。日本語もあったけどせっかくなので英文(モネはフランス語をしゃべったはずだから原文というわけでもなかろうが)を写真が撮れないから心を込めて書き写してきた(写経かよ)。
日本語訳を読んでもいまひとつ意味ははっきりとはわからないんだが
Those who hold forth on my painting conclude that “I have reached the ultimate degree of abstraction and imagination in unison with reality.”
… But it is going too far to exile my painting “anywhere, out of the world.”
… the splendor I achieve springs from nature, on which I remain dependent.
要するに「私の絵は現世にない観念の表象ではなくちゃんと地に足のついたものだよ」みたいなことかなよくわからん。
やっぱり私にモネはよくわからんで終わるのであったが、モネの「勝手な解釈で自分を神格化なんかしないでくれよ」という姿勢は好感が持てるね(何様だ)。
あ、これくらいなら読めるかもしれない
【参考リンク】
マネとモネと上白石萌音と上白石萌歌の区別が付かない云々の話を冒頭にしたが、蓮と睡蓮の区別が付かない人も意外と多い。だいぶ違うと思うのだけど。蓮はハス科ハス属、睡蓮はスイレン科スイレン属で別の種でもある。見た目も、
蓮はまん丸いチューリップって感じで水面からピューと茎が伸びた先に花が咲く。
蓮
睡蓮は英語で Water lily というくらいで水面に平べったい百合が咲いてる感じ。
睡蓮とデカルコマニー
上白石萌音と上白石萌歌
モネはわからないがこれらははっきりさせておこう。
