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1974♂が耳で覚えててカラオケで何となく唄えちゃう曲10選


いただいたプレイリストのタイトルを見て、思わずうなりました。
「1974♂ が耳で覚えててカラオケで何となく唄えちゃう曲10選」

なるほど、そう来たか… 覚えようとして覚えたわけじゃない。練習した記憶もない。でも、誰かがカラオケで入れた瞬間「あ、これ歌える」と自分でもびっくり。あなたにも、そんな曲があるのではないでしょうか?

今回プレイリストを組んでくださったのは、1974年(昭和49年)生まれの男性。10曲の発売年を並べてみると、1981年から1989年。「1974♂」さんが、ちょうど小学1年生から中学3年生だった9年間ときれいに重なります。

なんだか、語学に似ていませんか?文法なんか知らないのに、まわりの言葉を聞いているうちに、いつのまにか喋れるようになっている。昭和の子どもたちにとって、歌番組はまさにそんな「音のシャワー」でした。テレビやラジオから流れてくる音楽が、自然に身体に染み込んでいった…
今回はそんな10曲を、「昭和びと秘密基地」事務局からの《ひとこと》とともにお届けします。


1.『ルビーの指環』/ 寺尾聰  1981年(昭和56年)

『ザ・ベストテン』で12週連続1位の金字塔。毎週TVで流れたため、小学生でも自然と口ずさめました。

《ひとこと》
1981年(昭和56年)2月5日リリース。作詞・松本隆、作曲・寺尾聰、編曲・井上鑑。TBS『ザ・ベストテン』では1981年4月9日から6月25日まで12週連続1位。これは同番組の最長記録です。第23回日本レコード大賞では大賞に加え、作詞賞・作曲賞・編曲賞まで独占という前代未聞の総なめ。

「1974♂」さんは当時、小学1年生。7歳の子どもが、離婚を暗示する大人の歌を口ずさんでいたわけです。たぶん、意味なんてわかっていなかったでしょう。


2.『北酒場』/ 細川たかし  1982年(昭和57年)

レコード大賞受賞曲。『欽ちゃんのどこまでやるの!』などTV番組でも親しまれ、明るいメロディが子どもにも浸透しました。

《ひとこと》
作詞・なかにし礼、作曲・中村泰士。1982年(昭和57年)3月リリース。第24回日本レコード大賞・大賞受賞。
細川たかしさんは当時、テレビ朝日系『欽ちゃんのどこまでやるの!』のレギュラー出演者でした。番組内で萩本欽一さんが「何か一曲歌おうよ」と提案し、そこで歌われたのがまだ題名すらついていなかったこの曲。1982年1月27日の放送で初披露され、9月15日まで毎週歌われ続けたんです。

毎週です。8か月間。 つまり「1974♂」さんが子どもの頃に覚えてしまったのは、当然すぎる結果でした。曲がヒットしたからテレビで流れたのではなく、テレビで流れ続けたから曲がレコード大賞を獲った。 順番が逆なんです。


3.『め組のひと』/ ラッツ&スター  1983年(昭和58年)

「めっ!」の決めポーズはクラスの男子全員が真似した大ヒット曲。

《ひとこと》
1983年(昭和58年)4月1日リリース。作詞・麻生麗二(売野雅勇のペンネーム)、作曲・井上大輔。シャネルズから「ラッツ&スター」に改名した第一弾シングルで、オリコン週間1位・60万枚超のヒット。

資生堂のアイシャドー「サンフレア」1983年夏キャンペーンのCMソングでした。「め組」は江戸の町火消しの組名。化粧品のCMに江戸っぽさを持ち込む——という当時の広告のセンスが、なかなか渋いですよね。

ちなみに、2018年にはTikTokで倖田來未さんのカバー版がバズり、2024年には『THE FIRST TAKE』に鈴木雅之さんが出演した際、佐藤善雄さん・桑野信義さんがサプライズ登場して披露。さらに2025年4月、42年ぶりに3人で再録音した「め組のひと (2025 Ver.)」が配信されました。


4.『ジュリアに傷心』/ チェッカーズ  1984年(昭和59年)

チェッカーズ全盛期。前髪やチェック柄の服が大ブームとなり、当時の小学生にとって憧れの曲でした。

《ひとこと》
正式タイトルは『ジュリアに傷心(ハートブレイク)』。1984年(昭和59年)11月21日リリース。作詞・売野雅勇、作曲&編曲・芹澤廣明。通算5枚目のシングルにして、チェッカーズ最大のヒットとなり、1985年のオリコン年間シングルチャート1位を獲得しました。

1984年のチェッカーズは、オリコンとランキング番組のベスト10に3曲同時ランクインという状態。歌だけでなく、髪型と服がまるごと流行した。小学4年生の男子が「憧れる」対象として、これ以上のものはありませんでした。


5.『俺ら東京さ行ぐだ』/ 吉幾三  1984年(昭和59年)

日本語ラップの先駆的大ヒット。「テレビも無ぇ ラジオも無ぇ」のフレーズはクラス全員が暗唱できるほどの社会現象でした。

《ひとこと》
1984年(昭和59年)11月25日リリース。作詞・作曲は吉幾三さん本人。
この曲、すべてのレコード会社に断られています。どの会社も出してくれなかった。最終的に千昌夫さんが数百万円で原盤権を買い取り、そのおかげでようやく世に出ました。ちなみに仮のタイトルは『離村者』だったそうです。もしそのままの曲名でリリースされていたら、クラス全員が暗唱できるようにはならなかったでしょうね。

「日本語ラップの元祖」と呼ばれることが多い曲ですが、吉さんは後年「アメリカの知人にもらったLPでラップを知った」と語る一方、リリース当時の取材では「演歌と民謡で育った」と答えています。狙ってやったのか、たまたまだったのか——たぶん両方なんだと思います。
ちなみに、2019年に吉さんは全編津軽弁のラップ「TSUGARU」を発表し、MVは2週間で200万再生を突破しました。


6.『DESIRE -情熱-』/ 中森明菜  1986年(昭和61年)

着物風衣装とボブヘアーが鮮烈。「は〜どっこい!」の合いの手もTV前で自然と覚えた名曲。

《ひとこと》
1986年(昭和61年)2月3日リリース。作詞・阿木燿子、作曲・鈴木キサブロー、編曲・椎名和夫。オリコン初登場1位、第28回日本レコード大賞・大賞。女性歌手の2年連続大賞受賞は史上初でした。

あの衣装、実は中森明菜さん本人の発案です。「この曲は着物で歌いたい」という提案に、スタッフは動揺したとか。20歳の女性が、自分の代表曲の絵づくりを自分で決めたなんて、すごい話ですよね。

そして「は〜どっこい」。この合いの手、もちろん音源には入っていません。客席が勝手に始めて、いつのまにか全国に広がり、本人も公認した。1995年のNHK『POP JAM』で明菜さんは「カラオケでもみんながやってくれると嬉しいじゃない?」と語り、今でもライブなどでこの合いの手は続いています。


7.『天城越え』/ 石川さゆり  1986年(昭和61年)

昭和を代表する名曲演歌。年末の『NHK紅白歌合戦』等で何度も耳にし、サビの情熱的なメロディが脳裏に焼き付いています。

《ひとこと》
1986年(昭和61年)7月21日リリース。作詞・吉岡治、作曲・弦哲也、編曲・桜庭伸幸。第28回日本レコード大賞・金賞(この年の大賞が、6曲目の「DESIRE -情熱-」です)

実はこの曲、発売直後はまったく売れませんでした。オリコン最高46位、当初の売上は約4万8000枚。石川さゆりさん本人が「発売されてすぐはまったく売れなくて、事務所は早く次を出そうと焦りました」と語っています。

作詞家の吉岡治さんは制作前、こう言ったそうです。「石川さんの幸せがぶち壊れるような歌を作りたい」——最初は売れず、テレビで歌い続けることで40年かけて国民的な曲になりました。

紅白では1986年の初披露から2025年までに14回歌われています。2025年12月31日、第76回紅白ではNHK交響楽団とのスペシャルコラボで披露。本人のコメントがしびれます。「100年後の未来にも残るような『天城越え』を届けたい」。

カラオケでの人気も本物で、第一興商(DAM)の1994年〜2018年の歌唱数データでは演歌部門1位、全楽曲中4位。ヒットチャートだけではなくカラオケでも、長く、根強く支持されている曲なんです。


8.『Runner』/ 爆風スランプ   1988年(昭和63年)

部活や体育祭の定番BGM。中学の青春時代と強く結びついており、声を張ればすぐ歌えます。

《ひとこと》
1988年(昭和63年)10月21日リリース。作詞・サンプラザ中野、作曲・Newファンキー末吉。「1974♂」さんは当時、中学2年生。青春ど真ん中です。青春の応援歌のように思われることの多い曲ですが——実は、応援歌ではないんです。

ベーシストの江川ほーじんさんが脱退することになり、彼への「別れの曲」として書かれたものでした。〈走る〜、走る〜、俺たち〉が、去っていく仲間への別れのメッセージだったなんて… でも、聴いた側が勝手に「これは応援歌だ」と思い込み、マラソン大会で、高校野球のスタンドで、24時間テレビのゴールで歌い続けた。作った人ではなく、聞いた人や歌った人たちが、曲の捉え方を決める——その一番わかりやすい実例がこの曲なのかもしれません。


9.『Diamonds ダイアモンド』/ PRINCESS PRINCESS  1989年(昭和64年=平成元年)

バブル全盛期・平成元年のミリオンセラー。CMなどで連日流れたポップス最高峰。

《ひとこと》
1989年(平成元年)4月21日リリース。作詞・中山加奈子、作曲・奥居香(現・岸谷香)。累計109.7万枚でミリオン達成、1989年オリコン年間シングルチャート1位。

当時はソニーのカセットテープのCMソング。2020年にはエースコック「スープはるさめ」のCMにも使われました。そして2026年1月、「Diamonds」はアイウエアのCMに起用されました。


10.『学園天国』/ 小泉今日子  1989年(昭和64年=平成元年)

フィンガー5の名曲をキョンキョンがカバーし大ヒット。「Hey!!」の掛け合いで盛り上がれるカラオケ定番曲。

《ひとこと》
小泉今日子さんの「学園天国」は、1988年(昭和63年)12月17日にカバーアルバム『ナツメロ』の1曲目として登場し、その約1年後、1989年(平成元年)11月1日にアレンジを変えてシングル化されました。この曲のリリースに関して「1988年説」と「1989年説」があるのは、そのためです。シングル化のきっかけは、フジテレビ「月9」ドラマ『愛しあってるかい!』の主題歌起用。平均視聴率22.6%という怪物ドラマでした。

ちなみに、オリジナルのフィンガー5版は、1974年(昭和49年)3月5日リリース。「1974♂」さんが生まれた年の曲なんです。自分が生まれた年の歌を、15歳のときにキョンキョンのカバーで覚えて、51歳になってもカラオケで歌える。しかも2024年の調査では、いまの高校生の「体育祭の定番ソング」第4位にフィンガー5版の『学園天国』がランクインしています。

なお、この曲はフィンガー5版・小泉版・慎吾ママ版(2001年)と、3世代でオリコンTOP3に入ったきわめて珍しい一曲でもあります。


歌は「覚える」ものじゃなくて「覚えてしまう」もの

12週連続でランキング番組で1位だったから。8か月間、毎週チャートインしていたから。テレビの前で客席の合いの手まで一緒に真似したから。 昭和には、時代の空気とともに、自然にまわりに音楽がありました
いま、音楽は自分で選ぶ時代。それはとても幸せなことです。でも「自分が選んで聴いたわけでもないのに、自然に身体に染み込んでいる曲」というのは、生まれにくくなっているのではないでしょうか。
だからこそ「1974♂」さんが何となく唄えちゃう10曲は、とっても貴重なのだと思います。

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