ICT教育における「わかる」と「できる」
長年ICT教育に携わってきて、私が常に感じていることがあります。
それは、「わかる」と「できる」は同じではないということです。
講座の中で受講者の方が「なるほど、そういうことだったのか」とうなずく場面を何度も見てきました。しかし、その数日後に実際の操作をお願いすると、手が止まってしまうことがあります。
決して理解していないわけではありません。説明を聞けば内容は思い出せるし、仕組みも理解しています。それでも自分一人で実践しようとすると難しいのです。
私は長年の経験から、「わかる」は学びのスタート地点であり、「できる」はゴールなのだと考えるようになりました。
例えば、表計算ソフトの関数について説明したとします。SUM関数やAVERAGE関数の役割を理解し、説明できる受講者はたくさんいます。ところが、実際に集計表を作る場面になると、「どの関数を使えばよいのだろう」と悩み始めます。
プログラミングも同じです。繰り返し処理の仕組みを理解していても、自分で課題を解決するプログラムを書けるとは限りません。
情報モラルについても、重要性を説明できることと、SNSで実際に適切な行動が取れることは別の話です。
つまり、「説明できる」と「使える」の間には大きな隔たりがあるのです。
近年、この傾向はさらに強くなっているように感じます。
動画教材やオンライン学習環境の発達によって、学習者は以前よりもずっとわかりやすい説明を受けられるようになりました。さらに生成AIの登場によって、わからないことはその場で質問し、すぐに解説を得ることもできます。
確かに「わかる」ための環境は飛躍的に向上しました。
しかし一方で、「わかったつもり」も増えているように思います。
講師の操作を見て理解した気になる。動画を見てできそうな気になる。AIの解説を読んで理解した気になる。
けれども、自分自身の手を動かしていなければ、本当の意味で「できる」にはなりません。
私はよく受講者に、自転車の例え話をします。
自転車の乗り方をどれだけ詳しく説明されても、あるいは動画を何百本見ても、それだけで自転車に乗れるようにはなりません。
実際に乗って、ふらついて、転びそうになって、何度も挑戦する中で初めて乗れるようになります。
ICTもまったく同じです。
だから私は、
ICT教育の本質は「教えること」ではなく、「できるようになる経験を設計すること」
だと思っています。
受講者が自由に試行錯誤できる環境を用意すること。失敗してもやり直せる安心感を与えること。そして受講生の学ぶ目的に合わせた、実際に使わなければならない課題を用意すること。
例えば、ふるさとの紹介動画を作る。地域の課題を調査して発表する。データを分析して意思決定を行う。
こうした本物の課題に向き合うと、知識は単なる知識ではなくなります。使わなければ目的を達成できないからです。
さらに大切なのが振り返りです。
何がうまくいったのか。なぜ失敗したのか。次はどう改善するのか。
この振り返りによって、一度できたことが再現可能な力へと変わっていきます。
そして今、生成AI時代を迎えています。
AIは「わかる」を支援することに非常に優れています。解説し、要約し、例を示し、個別指導までしてくれます。
しかし、
「何を解決するのかを考えること」
「状況に応じて判断すること」
「他者と協力すること」
「最後までやり遂げること」
は、依然として人間自身が経験の中で身につけなければなりません。
だからこそ、これからのICT教育では「何を知っているか」よりも、「知識やAIを使って何ができるか」が重要になっていくでしょう。
私が長年の現場経験からたどり着いた結論はシンプルです。
ICT教育において、「わかる」は出発点です。そして「できる」は到達点です。
講師に求められるのは、
上手に教える技術だけではありません。学習者が実際にできるようになる経験をどう設計するかという視点です。
「わかる」
「できる」
そして、
「できることで他者に貢献する」
その成長の過程を支えることこそ、これからのICT教育の最も大切な役割ではないかと、私は考えています。
