NOBUNAGA 弔い合戦
弔い合戦
ほどなく信長の船は、ブナケン島に着いた。
夕方の海風に乗ったのだ。
ブナケン島の湊に着くと、そこにオランダ海軍の軍艦とヤン・ヨーステンの貿易船が停泊していた。
五十六は、ブナケン島に漁師仲間がいるといっていた。
この島のことは詳しいらしい。
島の南の端にある小さな漁港近くに錨を下した。
この信長の母船も、オランダ海軍の軍艦も、貿易船も、こんな大きな帆船が停泊したことはないらしかったので、漁師たちが皆珍しがって小舟を漕ぎ出して遣って来た。
その中には、五十六が仲良くしている漁師が何人か居た。
船縁から、五十六は彼らに頼んで、小舟を何隻か用意してくれるように頼んだ。
それと、ありったけの武器を集めてくれるように頼んだ。
武器は、全て残してきた軍艦に残すように言われて置いて来たのだ。
この船にあるのは食料と香辛料ばかりだ。
早速、一艘(いっそう)の小舟が横付けされた。
同時に、オランダの貿易船から小舟にのってヤン・ヨーステンと水兵十名ほど乗って遣って来た。
漁師が用意した小舟に、信長、蘭丸、力丸、右近が乗り込んだ。
すると、ヤン・ヨーステンも乗り込んできた。
漁師が用意した小舟には、影の軍団も乗り込んだ。
如水とセゴドンは船を守る様に残された。
「今頃、何だ。ヤン・ヨーステン」
信長が怒っていることは一目瞭然であった。
「マナド湊に着くと、信長様たちのお姿はなく、ポルトガル兵たちが、マナド村に入るところが見えたので、様子がわかるまでこの湊に急遽退避したのです」
とヤン・ヨーステンが上手いこと言い訳した。
しかし、それが本当か否かはわからない。
「で、あるか」
と不機嫌そうに信長がヤン・ヨーステンを一瞥した。
「私が乗って来た小舟に十名程の水兵が乗っています。彼らも一緒に行かせます。勿論私も」
「弔い合戦じゃぞ。良いのか?」
と右近が目を逸らして言った。
「勿論です。お約束は果たします」
「何故遅れたのだ?」
と右近が訊いた。
「スペインの軍艦に攻撃されました。一隻の軍艦は沈められてしまいました」
そう言って、ヤン・ヨーステンは詫びた。
「で、あるか。ならば共に来い。ワシを怒らせるとどうなるか見せてやるわ」
そう言って、オランダ水兵たちとヤン・ヨーステンも一緒に弔い合戦に参戦することになった。
もうどっぷり日暮れていた。
だが、真っ暗な日乃本の夕暮れ時は違い、水平線の彼方に薄っすら赤味がかった複雑な色が混ざり合った綺麗な空が、漆黒の闇との間に染まっていた。
夜空には、信じられないほど無数の星が瞬いていた。まるで、金鉱脈の洞窟の中で、金が瞬いて光っているようであった。
五十六の知り合いの漁師が、仲間の漁師たちを頼んで、その船を漕いでマナドの近くの浜まで運んでくれることになった。
船には、日本刀はまったく違う、三日月型のククリナイフというブケナン島と同じような形をした刀が大一本小二本と槍が数本積まれていた。
槍も日乃本のものとはまったく違っていた。
弥助も船にのこるはずだったが、やはり弥助の力が必要になることもあるやもしれぬと、最後に乗り込ませた。
力丸は、槍だけで十分だと言って信長に刀を差し出した。
その刀は、信長が桶狭間で、今川義元が差していた刀であった。
戦利品として、今川義元から奪い盗ったものであった。
名刀宗三左文字であった。
信長が最も大切にしている愛刀であった。
実は、本能寺から脱出する時、力丸が持ち出し、船に一緒に積み込んであったのだ。
その宗三左文字は、母船に大切に乗せて隠しておいた。
その宗三左文字を力丸は差し出したのだ。
「これは、宗三左文字」
と信長は驚いた。
何故なら、信長の大般若長光は、先程レオナルド大将に戦利品として盗られたからであった。
力丸は、今初めて母船に積んであった宗三左文字を信長に差し出したのだ。
信長は殊の外驚いた。
「でかしたぞ力丸。これで百人力だ」
と信長は非常に喜んだ。
抜刀し本物か確かめた。
確かに、宗三左文字であった。
「力丸、礼を申す」
そう言って、力丸の肩に手を当てた。
そして、そこに置かれていたククリナイフを、珍しそうに物色した。
信長は、そのククリナイフという変わった形の刀が気に入ったようであった。
「これは首を掻くにはもってこいだのう」
と言って、船に置かれていた棒切れを、そのククリナイフで斬って見せた。
恐ろしく綺麗に棒は斬れた。
見事な切れ味であった。
信長は、小さい方のククリを手に取った。
力丸は、自分の長槍を蘭丸に譲ろうとした。
だが、蘭丸はそれを断り、小さいククリを一本と短い槍を手に取った。
槍は日乃本の物とはまったく違っていた。
切ることよりも、突くことだけを目的にしている粗末な造りの槍であった。
串刺しにすることを目的にしている槍であった。
地元の漁師は、この槍で海の中の魚を突くのであった。
しかし、ないよりましということで、手に馴染むように岸にあがるまで蘭丸はその槍を握っていた。
五十六は、人殺しは気が進まないらしく、自分の身を守るようにと、大きいククリナイフを手に取った。
右近は、自分の刀を腰に差していた。
右近も、予備の刀を母船に置いてあったのだ。
敵は、昨夜夜襲を掛けてきて忙しかったので、一睡もしていないはずだと信長は言った。
確かに、信長の言う通りであった。
だが、信長たちも同じであった。
夜襲を掛けたので、一睡もしていなかった。
だが、今は怒りが身体の芯で煮え滾(たぎ)り、眠気など微塵も感じなかった。
信長の船が去ったことを見届け、彼らは油断しているはずだ。
二夜一睡もしてないことになり、今夜は熟睡してしまうはずだ。
奇襲を掛けるのなら、今夜しかないと信長は思った。
それと、五十六も、知り合いの漁師も、ポルトガル人よりも地の利を得ている。
このことも、味方にとっては有利に働くはずだと信長は思った。
銀株たちは、少し離れたブケナン島に停泊させた船に残してきたので、後ろ髪をひかれたりすることもなくい。銀株たちを乗せた母船の横には、オランダ軍の軍艦と貿易船が並んで停泊している。安心して心置きなく戦える心の準備ができた。
これほどの好機はない、と信長は確信した。
後は運を天に任せるのみだ。
そして、声を潜めて皆に告げた。
「いざ、出陣じゃ」
と。
流石に鬨の声は上げられぬ。
奇襲攻撃である。
壁に耳あり障子に目ありである。
信長も蘭丸たち家臣たちも皆声を潜めた。
出来るだけ音を発てぬように心掛けた。
漁師たちが、静かに手漕ぎしてくれる船に信長一行は、身を低くして船影に潜めた。
そうして、小舟がマナド近くの浜に着くのを待った。
戦などしたことのない五十六は、手が震えて前身から冷や汗が噴き出していた。
今まで、散々怖い思いを五十六はして来た。
日乃本からこんなに離れたマナドまで流れ着いた。
太平洋の大海原を一周して此処マナドに辿り着いたのだ。
だが、今夜は、人生で一番怖いと五十六は内心思っていた。
そんな五十六が、遠慮がちに蘭丸に訊いた。
「怖くねえのか?」
すると蘭丸が声を潜めて五十六の耳元で囁いた。
「怖くない者など、誰一人いないぞ。五十六」
と信長が言った。
「信長様でも、怖いのか?」
「当たり前じゃ。何度経験しても怖い。死ぬのが怖くない者などこの世に一人も居やしない。怖くて武者震いしているわ」
すると蘭丸が小声で囁いた。
「怖いから、怖さを克服する為に、負けないように一生懸命戦うのだ。怖くなかったら、勝てる戦も負けてしまう。負けて殺されないように必死に戦うのだ」
五十六には、何だか禅問答のようでよく意味が解らなかった。
だが、兎に角、五十六は怖くて仕方なかった。
震えが止まらなかった。
そんなことを小声で話している内に、船はマナドの北の浜に着いた。
漁師たちは、船と共に、この浜で待つということになった。
漕ぎ手数名を残し、オランダ海軍の小舟もここで待つことになった。
五十六も待ちたい気持ちで一杯であった。
だが、五十六が居なければ村まで案内できる者が居ない。
嫌々ながら、五十六は先導役になり、一行の先頭にたった。
暫く浜をマナドへ向かって南に下った。
だが、村が近付くと、五十六は浜を外れ、密林の方へと入って行った。
丁度、浜と密林の境目の所の窪みに、信長たちを待たせ、五十六は独りで村の様子を見に行くことにした。
もうここまで来れば、五十六にとっては、誰よりも自分の庭のようなものであった。
目を瞑ってでも歩ける、と五十六は思った。
村まで抜き足差し足で辿り着くと、村の様子は、静まり返っていた。
誰も起きている様子はなかった。
人の気配もなかった。
皆寝入っている証拠である。
大人だと裏切る可能性があるので、五十六は子ども戦士の年長者、昨日雲水が庇って殺されずに済んだ子どもの小屋の側まで潜んで行った。
ポルトガル人が小屋の中や周囲にいないことを確認し、五十六はその小屋へ静かに入って行った。
そして、寝ているその子の口を手で塞ぎ声を出さぬようにして起こした。
最初は驚いて声を出しそうになった。
だが、五十六だと気付き、その子ども戦士は声を潜めて村の様子を教えてくれた。
「大人たちは、一か所に集められている。レオナルド大将は、長老の家にいる。お館様の刀もそこにあるよ」
と教えてくれた。
五十六は、他のポルトガル人たちのことも訊ねた。
「他のポルトガル人は、疲れ果て椰子酒を飲んで酔っ払って寝ているよ。起きているのは、村人の大人たちを守っている奴らだけだよ。ほとんどが、皆砂浜で万が一信長様たちが戻って来ても直ぐ解るように、砂浜に四肢を広げてウミガメみたいにグウグウ寝ているよ」
五十六が礼を言うと、子ども戦士は、自分も一緒に行くと言った。
そして、子ども戦士たちを気付かれないように集めてくると言った。
五十六にここで待っていてくれ、と言ってその子ども戦士は出て行った。
五十六は、万が一に備えて小屋からは出て椰子の木の陰に潜んで待った。
四半時もしない内に、彼は皆を連れて抜き足差し足で戻って来た。
十人全員ではないが、七人子ども戦士たちがそこには集まっていた。
五十六は、様子を確認した上で、椰子の木の陰から静かに姿を現した。
五十六は、彼らを連れて、信長たちが待つ窪地に静かに戻った。
半時ほど時が過ぎていたので、信長たちは心配していた。
だが、子ども戦士たち七人を連れて五十六が戻ると、信長たちは殊の外喜んだ。
「でかしたぞ、五十六」
子ども戦士たちも、信長たちが目の前にいることを喜んだ。
「オラ、お館様は絶対に戻って来ると信じてたよ」
とその子ども戦士は涙を拭いながら言った。
「もう戻ってこない」
と言っている村人たちも居たよ、と子ども戦士たちは信長たちに伝えた。
しかし、子ども戦士たちは、大人たちに、「お館様は絶対に戻って来るよ」
と言っていたと言って自慢した。
信長は、皆の肩を抱き、頭を撫でたり軽く叩いたりして、喜びを表した。
感極まって泣き出す子ども戦士も複数いた。
彼らは、間違いなく信頼できる家臣だ、と信長は思った。
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