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答えを急ぎすぎていないだろうか。――「うちの子、このままでいいのかな」と思う夜

❓「このままでいいのかな」

子どもの顔を見ていると、
ふと、そんな言葉が頭をよぎることがあります。

けれど次の瞬間には、もう答え探しが始まっている。

どの学校がいいのか。

この関わり方で間違っていないのか。

もっと良い選択が、どこかにあるんじゃないか。

気づくと私たちは、
「早く答えを出すこと」そのものに、追い立てられているのかもしれません。


🟦「正解です」と言えない場面の方が多い


受験や進路の相談を受けていると、

「どれが正解ですか」

「この選択で大丈夫ですか」

と聞かれることがよくあります。

その気持ちは、とても自然だと思います。

失敗したくないし、遠回りもさせたくない。

子どもを思えば思うほど、
「せめて間違いのない道を」と願ってしまう。

ただ、正直に言うと、
その場で胸を張って「これが正解です」と言えることは、ほとんどありません。



🟦正解は、いつも後から名前がつく


振り返ってみると、
「正解だった選択」は、たいてい後からそう呼ばれています。

うまくいったから正解になり、
続いたから意味があると言われ、
結果が出たから評価される。

逆に言えば、
選んだ瞬間に正解かどうかが分かっている選択なんて、
実は、ほとんど存在しません。



🟦迷っている親ほど、責任感が強い

それでも私たちは、

「早く決めなければ」

「迷っているのはよくないことだ」

と、自分を追い込んでしまいます。

特に親は、

迷っている姿を、あまり見せられません。

「大丈夫だよ」と言いながら、
本当は自分の方が不安で、
何度も答えを探してしまう。

間違えたら、
子どもの人生を狂わせてしまうんじゃないか。

そんな想像が、夜になって急に膨らむこともあります。


でも、その不安は、
無責任だから生まれるのではありません。

大切に思っているからこそ、消えないのだと思います。


🟦迷っている人ほど、考えている


迷っている時間は、
無駄で、非効率で、
どこか劣っているように扱われがちです。

でも、現場で子どもや親御さんと向き合ってきて、
私はむしろ逆の感覚を持つようになりました。

迷っている人ほど、ちゃんと考えています。

・この選択は、誰のためのものか

・今の安心と、先の納得は一致しているか

・選んだあと、自分はどう在りたいのか

こうした問いを、
胸の中で何度も転がしているからこそ、
答えが出るまでに時間がかかるのです。



🟦「正しい関わり方」が見えなくなるとき


親として子どもを見ていると、
何かしてあげた方がいいのか。

口を出さない方がいいのか。

見守ると言いながら、
本当は「何もしないこと」が怖いだけなのではないか。

「正しい関わり方」を探そうとすればするほど、
選べなくなってしまう。

でも、ここでも思います。
すぐに答えが出ないのは、無責任だからではありません。

大切だからこそ、
簡単に決められないだけなのです。



🟦答えが出ない時間は、空白ではない


研究の世界でも、似た感覚があります。

問いを立てて、仮説を考えて、
すぐに答えが出ない時間が長く続く。

でも、その「分からなさ」の中にこそ、
次の一歩のヒントが潜んでいることが多い。

もし最初から答えが見えているなら、
その問いは、もう役目を終えているのかもしれません。



🟦選んだ選択を、どう扱うか


正解だったかどうかは、
すぐには分かりません。

でも、
選んだ選択を正解にしようとする姿勢は、
今日から持てます。

どれを選ぶかより、
選んだあと、どう向き合うか。

そこに、私たちが引き受けられることが残っています。



🟦答えを急がなくていい時間があってもいい


答えは、まだ出ていません。

私自身も、考え続けている途中です。

それでも、
答えを急がなくていい時間が、あってもいい。

そう信じて、
今日も問いのそばに立っています。

私はまだ、答えを出せずにいます。

それでも、考え続けたいと思っています。

もし、同じ問いのそばに立ちたい方がいたら、
また別の角度からも書いていきます。



🪸 礁屋塾りんたろう
研究者 × 教育者として、「学びを社会につなぐ」活動をしています。
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