【小説】重ねた罪に侵食の報いを【最終話】
冀求
「これで全てだな」
手元に集まった素材を確認し、フィルは言う。
「あれから何か分かったか?」
「何も。素材が集まってからじゃないとこれ以上調べようがない」
「そうか……」
「しかし、相変わらず酷い顔だな。今でも呪いに苦しめられてるんだろう。いい気味だ」
当たり前だ。こんな生活を続けていれば誰だって窶れてしまうだろう。でもそんな皮肉も受け止めるしかない。早く、早く楽にしてくれ。
「例えば、なんだが」
もういっその事、呪いの掛け方を尋ねてみよう。フィルが首を縦に振ればそれで終わる。
「もし俺を想う人が俺の事を忘れたら、俺は死ねると思うか?」
「何が言いたい」
「俺が兄の事を思い浮かべなくなったら、呪いが解けなくてもお前に殺される事が出来るんだろうか」
彼女の表情が険しくなった。碌でもない考えはすぐに見抜かれ、怒号が飛んでくる。
「……つくづく勝手な奴だ。本当に反吐が出る。自分の為なら唯一の肉親すら呪おうというのか。ふざけるな! 私の兄はそんな事のために研究を続けてきた訳じゃない!!」
「……」
「今はせいぜい兄弟仲良く暮らすがいいさ。お前がどれだけ苦しもうと私には関係ない」
そうだよな。そう思うよな。でももう無理なんだ。
——助けて
自分自身の声が聞こえる。抑え込んでいた自我さえ訴えかけてくる。とうとうここまで来たのか。俺だって俺を助けてやりたいよ。ごめん、後少しだけ待ってくれないか。きっともうすぐ、こんな思いしなくていいようになるからさ。そう言い聞かせると同時に、視界がゆっくりと暗く染まっていった。
「ロージェくん! 良かった!」
気付いた時には家のベッドで横たわっていた。何故か目の前には嘗てのギルド長がいる。
「あの、何が」
「何も覚えてないのかね?」
「……はい」
「君はこの家の前で倒れていたんだ。そして一月も近く眠り続けていた」
「一月、も」
あの時、そのまま倒れてしまったのか。しかもそんなに長い間意識を失うなんて。自分の身に起きた事は理解出来たが、疑問が絶えない。彼女がここまで運んだのか? あんなに激昂していたのに、無防備な俺を殺さなかったのは研究の為なんだろうか。そして何故、兄さんじゃない人がここにいるんだろうか。
「お兄さんが薬草師ギルドを訪ねてきたんだ。弟が倒れてから助けて欲しいと」
考えが察せられたのか、先代のギルド長は淡々と続ける。
「生憎、頭役が抜けた状態では誰も持ち場を離れる事が出来なくてね。退任したばかりで時間のあった私にも連絡が来たんだ」
「そんな、ご迷惑を」
「とんでもない。私が代役を務めようと思ったが、皆口を揃えて言うんだ。『自分たちの仕事は自分たちで何とかしますから。どうかロージェさんを看てあげて下さい』と。……君は素晴らしいギルド長だよ。こんなにも早く、周りから厚い信頼を得ている」
「いえ……俺なんて」
「自分では気付かないものだよ。だから彼らに任せて私が来た」
「あの、兄は」
「街に出ているよ。働かないとどうしても稼ぎは減ってしまうからね。ただ、そろそろ戻ってくるんじゃないかな」
罪の意識が全身を襲ってくる。俺はそんな人間じゃない。命を奪って金を得ていた最低な人間だ。こんな奴に多くの人々が動く価値なんて全くないのに。
「ロージェ!」
兄さんが帰ってきた。どんな面して話せばいいんだろうか。
「良かった、良かった……」
泣きながら喜ぶ姿に胸が張り裂けそうになる。
「ごめんね、心配かけたよね」
「こうやって生きてくれているだけで十分だよ。謝らないで」
謝らせてほしい。いや、謝るだけじゃ足りない。全てが既に遅過ぎたんだ。
「本当にありがとうございます……!」
「いえ、私は彼に恩を返しただけですよ」
何度も礼を言う姿を見ているだけでも、気が狂いそうで仕方がない。
「では、また」
ひとしきり会話をした後、先代のギルド長は去っていく。
「ロージェ、もう暫くは安静にしててね。落ち着いたら、また一緒に街まで歩こうよ」
その言葉にただ頷くことしか出来なかった。
意識を取り戻したとはいえ休んではいられない。あれから月日が経ったのだから、呪いを解く方法をフィルが見つけてくれている可能性もある。兄さんに気付かれないようにそっと家を出て、久々にフィルの元へ向かう。
「目を覚ましたようだな」
一目見て、彼女はそう言い放った。
「あぁ。お前が家に届けてくれたのか」
「あのまま死なれちゃ研究が進まないからな」
「……」
暫く続く沈黙に耐えきれず、思わず口を開く。
「なぁ、あれから研究は」
言葉を遮るように彼女は返事をした。
「安心しろ、見つかったぞ。呪いを解く方法が」
裁断
俺が眠っている間に、フィルは対象に蔓延った陰素を取り除く方法を遂に見つけ出していた。
「ナラスの花弁。これを特定の素材と混ぜることによって任意の陰素を打ち消す基となる。お前の場合はそれがディラエイの茎だった。さぁ、これを飲め」
試験用の器に注がれたそれは、紫色とも土色とも思えるような濁った見た目をしている。本当にこれで呪いが解けるのだろうか。いざ口に運ぼうとしても、命に影響が出ると思うと手が進まない。何より、自分がいなくなった後の兄さんの顔が浮かんでくる。すると躊躇っている俺を見てフィルが器を取り上げた。
「どうせ死んだらどうしようと思っているんだろう。見てろ」
何の迷いもなくフィルは薬を一口飲み込む。
「毒は入っていない。どれだけ時間をかけたと思っているんだ。お前の呪いが解けた時、兄の目的も果たされるんだ。ここでいきなりお前を殺しはしない。だから、飲め」
——頼む。飲んでくれ。
言葉と共に伝わる”気持ち”には、悪意や憎悪が一切混じっていない。多分、本当なんだろう。もしこれが俺を殺す為のものでも、その時はその時だ。甘んじて受け入れよう。
「疑ってすまなかった」
そう伝えて渡された液体を全て飲み干す。不思議と味はせず、水を飲んでいるような感覚だった。痛みや苦しみが襲ってくる気配もなく、毒は入っていないことが分かる。
「どうだ? 何か変わったか?」
——薬が効いてほしい。
——薬が効い……。
——くす……。
——……。
脳内の声が次第に薄れていく。それだけじゃない。兄さんの声も、存在しない人間の責め立てる声も。その全てが一気に消え去った。
「変わった。確実に」
「本当か! やった……やったぞ……!」
フィルの笑顔を見られたのは初めてだった。彼女はこんな風に笑うのか。俺がこの笑顔を奪ってしまったんだな。
「フィル。ありがとう」
そう告げてそのまま横に倒れる。抵抗なんてしない。無防備な状態のまま、殺してくれ。もう兄さんのことなんて考えない。そしてフィルは何かを取り出し側に寄ってきた。これで全て終わる。そう思った矢先。
「まだ終わってない」
身体に向かってくるのは刃ではなく、また別の液体だった。無理やり口に詰められ溺れそうになる。何が起きたのか理解出来ない。
「……っ!」
予期しないまま注がれた何かに咽せ返る。なんだこれは。毒薬か? 死ぬ直前まで苦しめということなのか?
「なんだ、何をしたんだ!」
動揺しながら思わず問いただす。
「……陰素を含む素材とリオロスの生き血を交えた液体を取り込んだ生物は、他者に特定の作用を媒介させる。条件は直接触れること」
何を言っているんだ。全く理解ができない。それでも彼女は続ける。
「これから私はお前を殺す。だが、肉親を失った悲しみは計り知れないほど大きいんだ。弟が死んだ事を知ったら、きっと耐えきれないほど打ちのめされてしまうだろう」
その言葉で、彼女が何を言いたいのか察した。
「忘れさせろ、って言いたいのか」
「あぁ。とっとと行って、戻ってこい」
家に戻っても、兄さんは眠っていた。当たり前か。まだ日は昇っていないんだ。楽しそうな夢を見ているといいな。
「……兄さん」
言葉が返ってくる訳もないのに一人でに話しかけてしまう。これから居なくなるのに勝手な独白が口から溢れる。
「ごめん、本当に、ごめんね。今まで、嘘しか吐いていなかった。俺はただの罪人なんだ。数えきれない程の命を奪って、金を稼いできた」
泣くつもりなんてなかったのに泣いてしまう。
「でもね、兄さんの病気が治って本当に良かった。これからは一人でも生きていけるんだ。俺がいなくても大丈夫だよ、きっと。素敵な神官になって、色んな人を導いてあげてね」
頬が涙に浸されていく。もうこれ以上言葉が出ない。でも、振り絞る。
「さよなら」
最後の想いを込めて、手を握った。触れた肌と肌の間が燃えるように熱を帯び始める。あの時俺が老人から受けた感覚と一緒だ。だが身体に異変を感じたんだろうか、兄さんは目を覚ましてしまった。そして怪訝そうな顔で俺に尋ねる。
「……誰ですか?」
良かった。成功したんだ。でも何も言葉を用意していない。
「通りがかりの者です。貴方は賊に襲われ、ずっと眠っていました」
咄嗟に吐いたこんな安っぽい嘘を信じてくれるんだろうか。でも、続けるしかない。
「そして、非常に申し上げにくいのですが……弟さんは貴方を庇い、そのまま帰らぬ人となりました」
「弟?」
「えぇ。でも、最後まで幸せそうでしたよ。『兄さんが生きてて良かった』と」
「そんな」
「それでは、お大事にして下さい」
「待って下さい! 待って……」
待てる訳もなく、その場を後にするしかなかった。
歩き続けながら色んなことを思い返す。朧げな記憶の中、両親がいなくなったことを知った時のこと。こんな俺を立派に育てようと兄さんが無理をしようとしていたこと。兄さんが倒れ、俺が動くしかなくなったこと。そして、初めて人を殺した時のこと。その全てが責め立てるように脳裏に浮かび上がってくる。これから俺は死んで罪を償う。でも、それだけじゃ足りない。俺に殺された人々の家族だって今でも帰りを待っているのかもしれない。誰かに命を奪われたと知った人だっているだろう。フィル以外にも、俺を殺したくてしょうがないと思っているんだろう。今から俺が死んだって、その人たちの気が晴れることはない。それぐらい卑怯なことを今からしようとしている。なんて浅ましく、醜い人間だ。誰かの命を奪って誰かを生きながらえさせるなんて、その考え自体が烏滸がましかった。許してほしいなんて言わないから、もう二度と、こんなことが起きない事を願う。
「なんでこうなっちゃったんだろうな」
無意識に呟いた言葉は夜に消えていき、気付けばフィルの家の目の前に辿り着いていた。今度こそ本当に思い残すことはない。
躊躇うことなく戸を叩く。これが俺の鳴らす最期の音だった。
