技術的イノベーションは長期的には停滞傾向にある、という話

これまでに何度か、NOTEでも指摘したことですが、私たちの社会は長期的に見て経済成長率をゼロに向けて低下させています。あらためて、先進七カ国の経済成長率の推移を確認しておけば、次のようになっています。

私は、この状況を「悲嘆すべき停滞の暗い谷間」と捉えるのではなく、むしろ上昇の強迫から解放された「喜ぶべき定常の明るい高原」と捉えるべきだと、さまざまなところで提案してきましたが、このような指摘に対して常に提出されるのが、

イノベーションによって成長の限界は打破できる

という反論です。

まさに「終焉の受容の失敗」を感じさせる主張ですが、実際のところはどうなのでしょうか?

最初から結論を言って仕舞えば、この反論はナンセンスとしか言いようがありません。理由は非常にシンプルで、ここ三十年のあいだに私たちの生活をこれほどまでに激変させたインターネット関連のイノベーションですら経済成長の限界を打破できていないからです。

先のグラフで確認した通り、インターネットの普及が進んだ1990年代も、スマートフォンの普及が進んだ2000年代も、人工知能の普及が進んだ2010年代も、先進国のGDP成長率は明確な低下トレンドを継続させており反転の気配はありません。

あれほどのインパクトをもたらしたインターネットや人工知能などのイノベーションをもってしても明確な低下トレンドにある経済成長率を反転できなかったのだとすれば、いったいどれほどのイノベーションを持ってくればそれが可能だというのでしょうか。

今日、インターネットや人工知能といったテクノロジーが21世紀のニューエコノミーを牽引するといった「能天気な雰囲気」が世の中に横溢していますが、そのような事実を示すデータはありません。ノーベル経済学賞を受賞した二人の経済学者、アビジット・V・バナジー[1]とエステル・デュフロ[2]は近著で次のように述べています。

フェイスブックのCEOマーク・ザッカーバーグはインターネットの接続性が計り知れないプラス効果をもたらすと信じているが、そうした信念を共有する人は大勢いるらしく、多くの報告書や論文にそれが反映されている。

たとえばアフリカなど新興国に特化した戦略コンサルティング会社ダルバーグが発表した報告書には「インターネットが持つ疑う余地なく膨大な力がアフリカの経済成長と社会変革に寄与することはまちがいない」と書かれている。

この事実はほとんど自明なので、あれこれ証拠を挙げて読者を煩わせるまでもないと考えたのだろうか、何のデータも引用されていない。これは賢い判断だったと言うべきだろう。そんなデータは存在しないからだ。

先進国に関する限り、インターネットの出現によって新たな成長が始まったという証拠はいっさい存在しない。

バナジー&デュフロ「絶望を希望に変える経済学」

 

ここでバナジーとデュフロが「いっさい存在しない」と強調している点に注意してください。一般に、ある命題を「言い切る」ことに対しては慎重な学者が、わざわざ「いっさい」という強調をつけて断じるほどに、この命題は疑いの余地がないということです。

しかし、なぜ、あれほど巨大なイノベーションがGDP成長率に貢献しないのでしょうか。

考えられる理由の一つとして、こういったイノベーションの多くは既存の市場から新しい市場にお金を移転させているだけで新しい市場を作り出すということをしていない、という点が挙げられます。

GAFA、すなわちGoogle、Apple、Facebook、Amazonといった企業が巨大な時価総額を生み出したことから、ビッグデータと深層学習に代表されるテクノロジーイノベーションが社会全体の経済成長を駆動するような幻想を抱いている人が多いようですが、これらの「巨大化」は企業単体で見た場合の「局所的な成長」に過ぎません。すでに確認したように、これらの企業が異様な存在感を示し始めた2000年代以降も長期的な経済成長率の低下には歯止めがかかっていません。

ここで重要な点は「全体のパイが増えていない」ということです。これが第二次産業革命と現在のデジタル革命の大きな違いです。イノベーションが新たな市場を生み出すことがある、という点は否定しません。しかし、ここ二十年のあいだに発生した数々の、あれほど画期的だと思われたテクノロジーイノベーションをもってしても、実際に経済成長率の鈍化曲線を反転できなかったという事実を踏まえれば、その効果が大したものではななかったということを認めなければなりません。

実際に起きていたのはむしろ、イノベーションによって新たな市場が創造されるよりも、既存市場において画期的に労働生産性を向上させるようなテクノロジーが登場することでむしろ労働需要は減退し、失業率が上がり、報酬の格差が広がることで、貧困が蔓延した、というストーリーでしょう。

近年の具体例を挙げれば駅の自動券売機や高速道路のETCがわかりやすいでしょう。駅に自動券売機が実装されたからといって別に通勤の回数が二倍になるわけではありませんし、料金所がETCになったからといって旅行の回数が二倍になるわけでもありません。

つまり、こういったイノベーションが実装されても需要は全く増えないのです。しかしその一方で、お払い箱になる人は確実に生み出します。そしてお払い箱になった人はより条件の悪い仕事に就かざるを得ません。

ここ二十年ほど、特に米国では、なぜ景気の循環にかかわらず、格差の拡大に歯止めがかからないのかということが喧しく議論されてきましたが、理由の一つとしてイノベーションによる失業が格差を拡大していると考えることができます。

これだけ社会が躍起になって求めているイノベーションが、結果として失業と格差の拡大しかもたらさないのだとすれば、私たちが必死になってやってきたことはいったい何だったのか、考えさせられます。

同様のことがインターネット上のサービスについても言えます。たとえばGAFAの一角を構成するFacebookの売上を作っているのは「広告」です。最新の決算(2024年第1四半期)を確認すれば、総売上高177億3,700万ドルのうち、広告による売上高が174億4,000万ドルとなっていますから、ほぼ全ての売上を広告に依存していると言っていい[3]

これはつまり、何を言っているかというと、これらの企業の売上は、それまでテレビ・新聞・雑誌・ラジオといった従来型のメディア企業があげていた売上を単に奪っただけでしかなく、少なくともGDPという観点からは、全体のパイを広げることに貢献していない可能性がある、ということです。

実際の数値を確認してみればそれがよくわかります。たとえば、売上のほぼ全てを広告に依存するYouTubeやFacebookが日本市場に導入される直前[4]の2007年、日本の広告市場規模の総額は7兆0,191億円でした。ではこれらのサービスが爆発的に浸透した結果、広告市場は活性化したでしょうか?

直近の数字を確認してみれば、2023年の数値は7兆3,167億円で、微増はしているもののほとんど変化していません。これらのサービスは社会に広く浸透し、私たちの生活を大きく変えたように思えるわけですが、ではそれがどれほどの経済価値の創出につながったのかという点を考えてみれば、評価はかなり微妙なモノにならざるを得ないのではないでしょうか。

実際にイノベーションは停滞している

反論の二つ目にいきましょう。それは「課題の希少化」という問題です。言うまでもなく、イノベーションとはそれ自体で成り立つものではなく、あくまで「課題の解決」によって成立するものです。したがって、課題のないところには原理的にイノベーションは成り立ちません。

よく「先端的なテクノロジー」をイノベーションの必須の要件として挙げている人がいますが、いくら先端的なテクノロジーがあっても、スジの良い課題がなければ、そのテクノロジーが価値を生み出すことはありません。

むしろ、過去のイノベーションを確認すれば、その多くが必ずしも「先端的なテクノロジー」によって成立したわけではない、ということがわかります。エジソンが白熱電球を開発した時点で真空中のフィラメントに電気を通せば光り輝く、ということ自体はすでによく知られていましたし、我が国のイノベーションの代表例としてしばしば取り上げられる東海道新幹線は、技師長の島秀雄による「徹底的に枯れた技術だけを用いる」という方針のもとで開発されており「先端的なテクノロジー」は明確な意図のもとに排除されています。

つまり、いくら先端的なテクノロジーがそこに要素技術としてあったとしても、それだけでイノベーションが成立するわけではないということです。テクノロジーの革新が大きなビジネスの萌芽に繋がりうることは否定しませんが、すでに指摘した通り、基本的な生活上のニーズが満たされてしまっている現代においては、スジの良い課題(=アジェンダ)が不明確なままに、革新的テクノロジーを追求しても大きな経済価値を創出するビジネスを生み出すことはできません。

では「課題」が希少化しつつある世界において、イノベーションは停滞せざるを得ないことになりますが、どうなのでしょうか?この疑問に対して「その通りだ」と答えているのが、米国のイノベーション研究者のジョナサン・ヒューブナーです。次の図をみてください。

これは人口一人当たりのイノベーションの発生件数を時系列でまとめたものです。グラフの折れ線は10年毎の平均値、曲線はデータの修正正規分布を元に最小二乗法で求めた長期トレンドの推移になります。 

人口当りイノベーション発生件数の推移[5]

このグラフを見れば明らかなように、21世紀を生きる私たちよりも19世紀の人々の方がイノベーションを生み出す確率が高かったことがわかります。トランジスタ以降に起きた20世紀のイノベーションの数々を思い起こせば容易には受け入れがたい主張ですが、ヒューブナーによる説明は非常にシンプルで「経済合理性の大陸に未だ問題がたくさんあったから」というものです。イノベーションは「問題という需要」と「テクノロジーという供給」がマッチした際に初めて成立しますが、ヒューブナーは「問題という需要」にボトルネックがある、と指摘しているわけです。ここはなかなかユニークな点ですね。

イノベーションのピークは過ぎた

ヒューブナーはこの論文をまとめるにあたって、イノベーションの成立要件を二つに整理しています。

一つは「技術的合理性」、もう一つが「経済的合理性」です。二つの条件を両立できる際にイノベーションは成立しうるわけですが、ヒューブナーは端的に「技術的合理性よりも先に経済的合理性の限界に達してしまった」ことによってイノベーションが停滞しつつある、と論文をまとめています。

イノベーションの発生率は1873年にピークを迎え、以降は急速に低下している。私たちは現時点で経済的限界の85%の地点にあり、この数値は2018年には90%、2038年には95%になると予測される。

 つまりヒューブナーによれば「起きるべきイノベーションはすでにかなりの割合で起きてしまった」ということを言っているわけです。この主張がもし現実を正確に記述できているのであれば、筆者がここまで繰り返し主張してきた「高原への軟着陸」を示唆するものになっているということです。

率直に言って、ヒューブナーのこの論文にはかなり脇の甘いころがあって、細かな点についてはいろいろと突っ込みたくなる点も多いのですが[6]、20世紀後半におきたイノベーションは19世紀のそれと比較すれば質・量ともにインパクトで劣る、という主張が多くの学者・識者から提出されているのは、事実です。

たとえばノースウェスタン大学経済学教授のロバート・ゴードンもその一人です。ゴードンが「1960年代のような高い生産性、高い成長率は決して資本主義の「通常状態」ではなく、むしろ人類史的に見て極めて特殊な空前絶後の「異常事態」だった」と指摘しています。これは「21世紀の資本論」でトマ・ピケティが言っているのと同じですね。

しかし、では何が20世紀の「異常さ」を生み出したのでしょうか?

ゴードンが特に重視するのは1870年から1900のわずか30年ばかりのあいだに引き起こされた第二次産業革命です。この時期に社会に実装された電気と内燃機関、およびこの二つのコア技術によって派生的に生み出された様々な技術・製品・サービスが産業と消費生活の全領域を一変させ、それが1960年代まで続く生産性の上昇につながった、というのがゴードンの整理です。

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