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ふたたび淡路ヶ峠 〜飛んで 走って 転んで 体脂肪よ燃えよ 吸って 吐いて 吐いて 魂よ癒えよ

 サブタイトルはMr.Children「アンダーシャツ」から

 元々は1999年発売のアルバム『DISCOVERY』収録の社会批判満載の地味な立ち位置だった曲
 2010年発売のドキュメンタリー映画『Mr.Children / Split the Difference』の付属CDに再アレンジ版が収録されたり、最近のLIVEにもぶっ込まれたりと、意外とメンバーお気に入りの曲なのかも?

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 昨日食べすぎてしまった罪悪感を抱えつつも、朝から胃もたれ、小学生サッカーの練習などの予定があったり、頼まれている仕事がやりかけだったりして運動するまとまった時間が取れず
 たろさん(息子)は期末テストのため部活は休みとなっていますが、毎日ランニングして距離等を記入して報告するよう顧問の先生から課題が出ており、午後からチームメイトと走りに行くというので便乗することに
 ただランニングするより近所の低山・淡路ヶ峠(あわじがとう)に走っていって登って走って帰ってくることを提案すると採用される
 
 前回11/8に登っていたため、約1週間ぶりの淡路ヶ峠でしたが、こんな短期間で2回も登るのは初めてだったかも

 ここでちょっと淡路ヶ峠に関するトリビアを

 天正13年に始まる豊臣(とよとみ)秀(ひで)吉(よし)の四国侵攻による小早川隆景(こばやかわたかかげ)との戦いに敗れた河野通直は、天正15年有馬(ありま)温泉(兵庫県)、そして芸州(げいしゅう)(広島県)へと隠れ住みますが、河野氏につき従った約50人の家臣の中に林(はやし)通起(みちおき)もいました。その後、通起は周防(すおう)(山口県)に移り住みますが、通起から数えて11代目の子孫に明治(めいじ)の元勲(げんくん)・伊藤(いとう)博文(ひろぶみ)(初代内閣総理大臣、通算4回歴任)がいます。

 明治42年(1909年)3月、時(とき)の韓国(かんこく)統監府(とうかんふ)統監(とうかん)として松山を訪れた伊藤博文は、道後からはるばる桑原の方を指さし、淡路ヶ峠を仰ぎ見て合掌がっしょうしたとのこと。このことは、道後公園歓迎会の演説で「予よの祖先そせんは当国とうごくより出いでたる者ものにて、…林淡路守はやしあわじのかみ通起みちおきと称しょうし、予よは…周防すおうに移うつりたる通起みちおきの死後しご230年に出生しゅっせいしたるものなり。云々うんぬん」そして、翌年には通起のために300回かい忌きを営いとなみたいと述べていましたが、明治43年10月ロシアとの交渉のため訪れていた中国ハルピン駅で安重根アンジュンゴンに暗殺され、その願いは叶かないませんでした。

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 ちなみに私が住んでいる桑原という町は、日本の誰もが知っているおまじないの由来となった場所らしいです。

 松山市桑原(くわばら)町にある桑原寺(そうげんじ)には、むかし、大きな笠松(かさまつ)があってなあ。いつごろのことかは知らんが、この大けな松に雷(かみなり)が落ちたんよ。その時の寺の住職(じゅうしょく)は豪傑(ごうけつ)じゃったもんで、この雷を鉢(はち)でふせて生(い)け捕(ど)りにしてしもた。困(こま)ってしもた雷は、「二度と桑原へは落ちんけん。」とかたく約束(やくそく)して、やっと逃(に)がしてもろたんと。それから後(のち)、桑原に雷が落ちたという話は聞かんし、それどころか、日本じゅうの人が雷がゴロゴロいうたんびに「クワバラ クワバラ」いうて、おまじないしよろうがね。

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 また話が脱線しまくってますが、そろそろ出発です。

前回登ったのとはまた別のルートで
遥か彼方に先日登った「松山城」が見えます
早足で12分ほどで麓から山頂に到着(家からは約20分)
この日はやたらガスってます・・・
先日登ったルートで下山
サイドステップで降りてくる中学校サッカー部員たち
帰りは近所の大学で羊とふれあいます
のんびり走ったり歩いたりして1時間ちょっとでした

 毎日朝起きたら体重計に乗るのが日課ですがこの日は前日の食べ過ぎのため、怖くて体重計に乗れず・・・
 明日からまた乗ります!

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