調べてみた① 〜ふぐ〜
寒くなると鍋が美味しいですね。
鍋といえばいろいろありますが、ふぐを使ったてっぽう鍋のことをなんとなく思いついて、そこからよく「最初にふぐを食べた人ってすごい」などと言われるのでふぐ食の歴史について調べてみました。
フグ が いつ 頃 か ら実 際 に 食べ られ るよ うに な っ たか とい う と,可 成 り古い 時 代 か らで あ つ て,少 くと も10,000年 位前,す な わ ち前 期 石 器 時代 か ら ら し く,そ の 頃の 遺 跡(貝 塚)か らマ フ グ科 の骨が必 ず タ イ,ヒ ラメの 骨 と と もに 出土 してい るの で,先住 民 が す で に フグを 食 べ て い た こ と は明 らか で あ る。 文献 に記 録 され た もの は約2,000年 前 で,中 国 の 山海 経 には 「肺 魚を 食 えば 人 を 殺す 」 とあ り,論 衡 に は 「鮭 肝人を 死 な しむ 。 」 と記 載 され て い る。 肺 魚 とは揚 子 江 産 のフグ の ことで あ り,「 江豚 」 と呼 ばれ る もので,鮭 は黄河 産 の フグ の こと で河 豚 と書 かれ る。 先 に ものべ た よ うに唐 の 詩 人 で酒 豪 家 の 蘇東 披 は 「フグ は一 死 に値 す る」と詠 じて い る。 ま た百 科辞 典 に は 「日本 人 が フグを こ とに賞 味 す る の も,こ の 古詩 の 影 響 を受 け た よ うに思 われる」 と述 べ て い る。
日本で は古 代 に フ グの 中 毒 に 関す る文 献記 録 が 余 り見られ ない の は,も と もと,日 本 人 は魚 肉 を刺 身 に して 食べ る風 習 が あ り,肉 部 の み を食 べ て 内臓 を 食 べ な か っ たた め と考 え られ る。 そ の 後 に な って 豊 臣秀 吉 の 朝鮮 征 伐の 折,下 関 に集 結 した 諸 国の 軍 勢 の な かに,フ グ の毒 を知 らず に 内臓 も煮 て 食 べ て 落 命 す る もの が 続 出 したので ・町 の辻 々に 禁 札を 立 て,こ れ に フ グの絵 を描 い て,「この 魚 喰 うべ か らず 」 とそ の食 用 を 禁 じ た とい う。 江戸 時 代 に 入り,1710(宝 永7年),「 俗枕 草 紙 」 に三 浦三 崎 虎鰒(ト ラフグ)一 杯五 百 して も是 を調 え主 従 四人霜 先 の 薬 喰 い… … 」 とあ り,宝 永 版 の 「傾城 太 々神 楽 」の な か に フ グ くろ うて 命 を 失 う た る侍 の跡 た たぬ と見 えて,曲 亭 馬 琴 の 羅 旅 漫録 に「千 日寺 の前 の 往 来 に フ グを食 べ て 死 ん だ4人 の墓 あ り,墓 石 の下 に フグ の形 を 彫 刻し… … …」 とあ る。
もう1万年ほど前から日本ではふぐは食べられていたそうです。
ただ、日本では刺身にして肉のみを食べて内臓を食べなかったので、中毒に関する文献が少ないようです。
その後豊臣秀吉が禁止して、伊藤博文が下関に訪問したのがきっかけで解禁されたのは有名な話のようです。
では、その間の江戸時代は食べていなかったのかというとそうでもなく、

江 戸 時 代に な る と,み そ 汁 の 具 に フ グを用 い た フ グ汁(ふ くと う
汁)が 広 ま った 。 庶 民 の 代表 的 な フ グ料 理 で あ った も のと思 わ れる。 また,フ グ汁 の材 料 は 図7の 広 重 作 の 「ねぎ とふ ぐ」 に 長 ね ぎと フ グが描 かれ て い る こ とか ら も推しは か られ る。 さ らに文 化 ・文 政 の頃 に な る と,武 士 階級 に も フ グを 食 べ る こ とが 広 まっ たと考 え られ る。そ の た め,フ グ中毒 に よる 死亡 者 も多 く,各 藩 は そ れ ぞれ 「河 豚 食 用 禁 止 の掟 」 を定 めた 。 長 州藩 では,フ グを食 べ て 中毒 死 した武 士 に た い して は,家 禄 の 没 収 や 家 名断 絶 とい う措 置 を定 め て いた。 しか し なが ら,い か に厳 し い禁 止 令 が 出 され て も,フ グに 対 す る魅 力 は 断 ち がた か っ た とみ え て,江 戸 では,フ グを 隠 語 で 「て っ ぽ う」と称 し て珍 重 した 。 明治15年 に 政 府 は 「河 豚 を食 う者は 拘 留 科 料 に処 す る」 とい う一 項 目を も りこん だ 「違 警罪 即 決 令 」を発 布 して全 国 的 に 禁 止 した。 しか しな がら,一 向 に フ グ中毒 の患 者 数 は 減 らず,実 際 に は あ ま り効 き 目 は な か っ た と い われ る 。 フ グ は そ れ ほ ど に も,人々 に 愛 好 さ れ た 。
と、フグを食べて中毒死した武士にたいして、「家禄の没収や家名断絶」という厳しいというか、かなり不名誉な措置がとられていても食べられていたようで、江戸時代の人々のふぐへの執念はなかなかのものです。
科学的に安全に処理して食べられるようになったのは100年ちょっと前のようです。
一 方 ,フ グ に 科 学 の メ ス が 加 え られ る よ う に な っ た のは,明 治 に な っ て か ら で あ る 。 明 治42年 に 田 原 良 純 博士 に よ っ て フ グ毒 が 抽 出 さ れ,テ ト ロ ド トキ シ ン と 命 名され た 。 そ の 後,谷 巖 博 士 に よる種 類 別,部 位 別 の 毒性 研 究を は じ め 多 数 の 研 究 が続 け られ て,今 日の フグ中 毒 防 止 の 科 学 的 基 礎 に な って い る。 現 在 は,厚 生 省の 「フ グの 衛 生 確 保 に つ い て 」によ り,フ グ中 毒 防 止 のた め の 衛 生 対 策 が 講 じ られ て い る。 そ の一 項 に 「フ グの処 理 は,有 毒 部 位 の 確 実 な 除去 等 が で き る と都 道 府 県 知事 等 が 認 め る者 及 び 施設 に限 っ て行 うこ と」 とあ る。 さらに無 毒 部 分 の ガイ ドライ ンを別 表1と して 示 して い る。
現在、日本で美味しくふぐを食べられるのは、この田原 良純博士の功績が大きいようです。

