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「8分間の読書」が突きつけたもの

──不寛容社会と崩れゆく公共交通の現実

はじめに:わずか8分の静寂が炎上した日

北海道・小樽駅。
停車中の列車の運転室で、一人の運転士が本を読んでいた。
たった8分。発車時刻までの短い待機の時間だった。

それを見た乗客が「勤務中に読書とはけしからん」とクレームを入れ、JR北海道は謝罪した。
SNSは賛否の大論争。だが、私は思う。これは単なる「マナー問題」ではない。
この小さな炎上の裏には、社会の不寛容と、公共交通が崩壊しかけている日本の現実が凝縮されている。

この“8分間”の出来事を通して、私たちがどんな社会をつくり、どんな社会を壊そうとしているのか──その構造を見つめたい。


第1章 二重の危機に沈むJR北海道

経営破綻寸前の「宿命」

JR北海道の苦境は、昨日今日に始まったものではない。
国鉄分割民営化の時点で、すでに「北海道と四国は独立採算が不可能」と指摘されていた。
それでも国は、民間企業の形を取りながら「地域交通を維持せよ」という、矛盾した命題を押し付けた。

結果、JR北海道は設立以来ずっと赤字だ。
補助金と基金で辛うじて延命しているにすぎない。
2024年度は連結で17億円の赤字。鉄道事業単体では約500億円規模の営業損失。
唯一の黒字は、新千歳空港と札幌を結ぶ「快速エアポート」だけ。
北海道の鉄道網のほとんどは、血を流し続ける巨大なインフラの亡霊と化している。

「共食い」構造という呪い

なぜここまで追い詰められたのか。
原因は、国が自ら仕掛けた「道路との共食い構造」にある。

鉄道とほぼ並行して、高速道路や高規格道路を次々と建設した。
結果、鉄道は利用者を奪われ、需要を喪失した。
本来なら鉄道と道路は、異なる輸送ネットワークとして役割分担すべきだった。
だが実際には、どちらも同じ人流・物流を奪い合う「無駄の二重投資」となったのだ。

そして今、鉄道は「赤字だから廃線」、道路は「需要がないから無料化」という、
逆立ちした政策の中で、静かに息絶えようとしている。


第2章 崩壊は数字より先に「人」から始まる

経営危機以上に深刻なのは、人の流出である。
直近3年で600人、社員の1割が離職。
2022年だけで200人以上が会社を去った。
つまり、毎年5〜7%が辞めている
数学的にいえば、15年も経たずに社員は半減するペースだ。

現場の声を想像してみよう。
「給料は上がらない」「休みは減る」「それでも安全第一」
赤字でもミスは許されず、事故が起きれば叩かれる。
そんな職場に、誰が未来を見出せるだろうか。

人が去れば、技術も知識も継承されない。
ベテラン運転士がいなくなれば、次の世代を教える人もいなくなる。
国がいくら補助金を投入しても、運転する人、線路を点検する人がいなければ、鉄道は動かない。
鉄道は「仕組み」ではなく、「人」で動いているという当たり前の真理を、
私たちはいつの間にか忘れてしまったのかもしれない。


第3章 精神論で現場を追い詰める「監督行政」

国は、度重なる事故や不祥事を受けて、JR北海道に対し「監視強化」を打ち出した。
一見すると正しいように見える。
だが、人もカネも尽きた現場に、さらに監視と書類を押し付けることが、どんな意味を持つのか

報告書を出せ、チェックを強化せよ──。
それは、兵站もない前線に「気合で戦え」と叫ぶのと同じだ。
人が足りない現実を無視して鞭を振るう。
結果、士気は下がり、ミスが増え、また監視が強まる。
まるで、「監査依存症」という病にかかった国家である。

さらに皮肉なことに、国は同時に「北海道新幹線の延伸」を推進している。
JR北海道自身が「延伸すればするほど赤字が拡大する」と試算しているにもかかわらず、だ。
国家プロジェクトの看板の下で、現場は疲弊し続ける。
もはや、これは一企業の努力でどうにかなる話ではない。
半世紀前の民営化モデルを維持したまま、国の責任を放棄してきたツケが、
いま現場に集中している。


第4章 「正義」という名の暴力──8分間の読書を責める社会

そして、冒頭の“8分間読書事件”に戻ろう。

運転士が読んでいたのは業務マニュアルでも、鉄道誌でもいい。
彼は発車までのわずかな休憩時間に、静かに本を開いていた。
それを「怠慢」と断じて通報した人がいる。
社会の「正義中毒」が、ここまで進行している。

SNS時代の「正義」は、簡単に暴走する。
自分は社会を良くしているつもりで、実は現場の人間を追い詰めている。
この構図は、教師、看護師、警察官、消防士──あらゆる職業に広がっている。
公共に奉仕する人々は、いま「人間」であることを許されなくなっているのだ。

トイレに行く、コーヒーを飲む、スマホを触る。
それらはすべて、「怠慢」とみなされるリスクを伴う。
だからこそ最近は、スーパーやバス会社の張り紙に「従業員も休憩を取ります」と書かれる。
本来、誰もが分かっていたはずの当たり前を、
わざわざ説明しなければならない社会になってしまった。

JR北海道が謝罪してしまったことも、問題を深刻化させた。
それは、「クレームを入れれば勝てる」というメッセージを社会に放ったのと同じである。
企業が従業員を守らない社会で、誰が公共を守るというのか。


第5章 地方交通の崩壊は、未来の日本の縮図

北海道だけが特別ではない。
全国で、同じ現象が静かに進行している。

例えば、九州最大手のバス会社でさえ、黒字でも運転手がいない
採算性よりも先に、「担い手の不足」が事業を止める時代になった。
赤字だから廃線ではない。
人がいないから廃線
これが、2020年代の日本の交通インフラの実相だ。

人口減少社会では、経営努力ではどうにもならないことが増えていく。
人も、技術も、体力も減る。
それでも「サービス水準を保て」「安全を守れ」「不祥事は許すな」と要求する社会。
これこそが、現代日本の最大の矛盾だ。


第6章 「当たり前」を維持するために、私たちは何を選ぶのか

私たちは、蛇口をひねれば水が出るように、駅に行けば電車が動くことを「当たり前」だと思ってきた。
だが、それは「奇跡」に近い営みだった。
人が、責任を背負い、無数の小さな判断を積み重ねて成り立っている。

その「当たり前」を壊すのは、巨大な天災ではない。
日常の中の無理解と不寛容だ。
「ちょっと気になる」「気分が悪い」「けしからん」──
その一言が、誰かの心を折り、社会の仕組みを削っていく。


結論:理解と寛容こそが、公共の再生である

小樽駅での8分間の読書。
あの一件は、単なる「不祥事」ではない。
それは、社会がどれほど息苦しくなり、
公共という言葉から「人間の尊厳」が抜け落ちているかを示す、悲しい鏡だった。

私たちにできることは、実は多くない。
けれど、確実にできることが一つある。
それは、**「当たり前を支える人々に、寛容であること」**だ。

「人間らしさ」を許さない社会に、未来はない。
怒りではなく、理解を。
監視ではなく、信頼を。
不寛容ではなく、共感を。

そうして初めて、公共交通は「再生」ではなく、「再信頼」の道を歩み出せるのだ。

私たちが守るべきは、鉄道という仕組みではない。
それを動かす人間の誇りと、社会の温度だ。
──それを、たった8分の読書が教えてくれた。


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