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愚者からの手紙pt.2「相談が灯す道」

 誰かに何かを相談するということは、自分の弱味を晒して頭を下げることを意味する。それに、誰かに相談したところで自分の求めている答えが得られるとは限らないのだから、結局は自己完結で十分。


 そんな風に考えていた僕は、「相談」というものの必要性について半分も理解できていなかったのだと思う。そもそも、自分が行き詰まっていたり、自分の言動の是非を確認しておきたくて意見を求めているはずなのに、どうして求めている答えがえるのだろう。

 僕が自分の考え方にそういった疑問を持ち始めたのは、今から3年くらい前のことだった。

 当日僕が働いていた工場には、かなり癖の強い先輩受刑者がいて、そいつは毎日の様に嘘や陰口を吐き散らしていた。自分よりも3つとか4つ年上なのに本当にダサい奴って感じでさ、「刑務所ってこんな寒い奴ばっかなの?サイアク、、、」なんてことを配役(新しい工場に転入すること)され以来ずっと考えていたわけ。けれどそういった連中とも上手く付き合っていかなきゃいけないのが塀の中。

 24歳だった僕は、馬鹿なりに覚悟を決めて「こいつらにパラサイトして自分を守ろう」って決めたんだ。

 出所するまでの間に、僕は一生分の「へぇ〜」や「すご〜い」をつかい切ってしまうのかも、なんて思いながら過ごしていた、ある日、そいつがこんなことを言った。

「自分より若い奴に相談するんのんって、ダサいやん?」

 その言葉を聞いた僕は、物凄い違和感を覚えた。いや、そいつの明らかにエセな関西弁に対してじゃなくて。なんていうか、自分の今までの考え方ってやばいんじゃないかって焦りと「こいつと同じ考えに固執していたのか、自分は」って嫌悪と羞恥とが入り混じった感じっていうのかな。

 居室に戻ってから、僕は「相談すること」についてできるだけ客観的に、自分の価値観と向き合うようにして考えてみた。そうして解ったことは、相談って武器になるんじゃないかってこと。

・自分にとって正しいものと間違っているもの。それらのどこに正しさ(間違い)を感じているのか。

・間違いの少ない答えに近付く為には、多くの価値観に触れて様々な形の方程式を知っておくべきではないか。

・たとえ正解に辿り着けなかったとしても、他者の知見を見聞きすることは、それだけでも自分の経験値にすることができる。

 畳の上で自問自答を繰り返している内に、僕の中で相談というものが強力な武器に変わっていった。

 自分の固定された視点からだけではなく、角度を変えてその物事に触れることができる方法が「相談」なんだ。そして相談することは、相手と自分との間に信頼関係を生み出す為の方法でもあるんだ。

 そんな結論に辿り着いた時、僕はくだらない理由と、つまらないプライドで物事に対する視野を狭めていた自分を、本当に恥ずかしく思った。そして、これからは相談相手に条件を付けたり、答えを求めたりするのはやめよう、とも。

 あの日から、僕は年齢に関係なく、人の考え方に興味を持つようになった。相手の考え方に対するリスペクトを忘れずに意見を求める。別に賛同を求めているわけではないから、形だけ(自分が正しいと思いたいだけ)の相談にはならず、頷ける。

 だからといって、なんでもかんでも相談すれば良いってわけではないのだけど、やっぱり、相談は便利な武器だ。

「一人一人を見れば、まったく、あるいはほんのわずかしか真理(正しい道に)に奇与(貢献)していないが、全ての人の協力からかなり多大のものが生じている」

 アリストテレスらこんな言葉を残しているみたいだけど、僕も今ならその意味が解る気がする(ほんの少しだけど)。

 全部を一人で決められ世界なら、そもそも他人なんていらないわけで、それならどうして自分以外の人々が世界中に存在しているのか。そこにピントを合わせてみた時、僕の視界は彩りを覚えた。

 隔離されてから社会の色彩を知るなんて、やっぱり皮肉だ、、、。けれども、今こうして「あの頃の自分は馬鹿だった」と思えている自分がいることを、僕は喜びたい。そうやって、少しずつでも変われていると信じながら、今日も前を向こう。

 覚えて、感じて、また覚えて。その繰り返しの中で成長して行くしかないんだって、今はそう思っている。

                           令和七年二月二十二日 囚人A

                                                     


 


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