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優里の楽曲「かごめ」をAIにはできない観点から徹底解剖した。歌詞考察



歌詞はこちら 👇

はじめに

わたしはこの楽曲が好きだ。
とてつもないエネルギーを放っている。

でもどこか腑に落ちない歌詞に何度も読み返してみたが今一つわからないままであった。

今回わたしなりの解がでたのでここでは論文形式で徹底解説する。

尚、これはAIに分析させても絶対に出てこない。わたしが実証すみである。



拳をまた握りしめた 怒りのまま恨んでやるのさ
そいつの胸ぐらを掴んで 力のまま殺してやるのさ

歪んだ顔がほらバラバラに 崩れ落ちあたりに飛び散る血
法を犯さない方法で 自分を殺す方法があるなら僕を今すぐ殺してみたい

誰かが死んでもね イラつくくらいでした
乱れたダイヤに舌打ちして 溜息をついた
貴方が死んだこと 昨日聞かされました
拳に刺さるこの鏡じゃ痛みも足りない
かごめ かごめ
後ろの正面だあれ

優里/ かごめ より  一部抜粋


1、「かごめかごめ」は最初から壊れている


「かごめかごめ 後ろの正面だあれ」

このわらべ歌は、もともとおかしい。

「後ろ」と「正面」が同時に成立する。
本来ならあり得ない位置関係が、そのまま言葉として置かれている。

つまり最初から

👉 認識がひっくり返る構造

を持っている。

この曲は、その構造をそのまま引き継いでいる。


2、「希望の歌」という一言で崩れる

まず、このYouTubeの概要欄に
「希望の歌です」と一言だけ書いてあるのを見つけた。

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それを見た瞬間、これまで自分が抱いていたこの曲の印象と、歌詞の印象が一気に崩れた。

正直、この曲を「希望」とは思っていなかった。
むしろ、壊れていく内面や、自己への攻撃がそのまま描かれている曲だと感じていたからだ。

出だし、

明らかに 鏡の中の自分のことを言っているとわかる導入なのだ


拳をまた握りしめた 怒りのまま恨んでやるのさ
そいつの胸ぐらを掴んで 力のまま殺してやるのさ

歪んだ顔がほらバラバラに 崩れ落ちあたりに飛び散る血
法を犯さない方法で 自分を殺す方法があるなら僕を今すぐ殺してみたい


誰かが死んでもね イラつくくらいでした
乱れたダイヤに舌打ちして 溜息をついた
貴方が死んだこと 昨日聞かされました
拳に刺さるこの鏡じゃ痛みも足りない

優里/ かごめ  一部抜粋 

鏡越しの自分の 胸ぐらをつかんで鏡越しの自分を殺そうをしている描写なのである。


「また今日」 

「また」 
も 恐らく、何回もくりかえしているであろう。


3、歌詞の違和感はすべて繋がっている


歌詞を読んでいくと、いくつもの違和感に気づく。

・自殺と言わない
・昨日聞かされたという時間のズレ
・幸せが主語になる
・心のまま動けないという矛盾

さらに

・一人称が「僕」と「俺」で分かれている
・黄色い線の外側という位置の異常

一つ一つは小さい。

でも、どれも引っかかる。

そして気づく。

👉 これらの違和感は偶然ではない

主語、時間、位置、主体。

👉 すべてが同じ方向にズレている


4、境界線


貴方が死んでもね 悲しむ以外なくて
非力を正当化するだけの脳みそが恨めしい
黄色い線の外で懺悔を繰り返した

優里/ かごめ  より

「黄色い線の外側」

ここから思い浮かぶのは
駅のホームや、立ち入り禁止の境界線だろう。

黄色い線とは、駅のホームやキープアウトのテープを連想するが最後の歌詞である

ここ  ↓↓↓↓

飛び込んだとしても誰も悲しまぬなら

優里/ かごめ  より

という歌詞の通り
「飛び込む」 があるから私は駅のホームだと解釈し話をすすめたい。

黄色い線の外だと すでに線路の上だ。

そこで懺悔をするのはおかしい。

しかしその外側にいるということは すでに境界を越えているということになる。

つまりこの歌詞は正常な位置から語られていない のである。


5、主語の揺れ 僕と俺 そして幸せ


↓ ‼‼‼‼‼‼ ここは 僕と俺 の 歌詞を抜粋した部分である ‼‼‼‼

幸せってどんな顔で俺の事を見てんの
幸せってどんな顔で俺の事を笑うの

生きるために必要な最小ってなんでしょう
君のために僕ができる何か、ってなんでしょう

俺は俺らしく生きてやろう 泥水の中で

法を犯さない方法で 自分を殺す方法があるなら僕を今すぐ殺してみたい

優里/ かごめより  時系列を崩して抜粋

この歌詞の中では

・僕は対象として扱われる側
・俺は問い、感じる側

として分かれている。

つまり 自分が自分を外から見ている構造になっている。

鏡の中が「僕」
それを殴るのが「俺」なのだと考えた。


さらに「幸せ」が主語になっている時点でも主体の揺れがある部分でもあるのだ。意図的な歌詞の手法である。


6、それでも越えきらない=希望

この曲を最初に聴いたとき、
「高く高く飛べたらいいな」という一文を

境界線を越えてどこか別の場所へ行く、
そういう意味だと受け取っていたかもしれない。

でも「希望の歌です」という一言を見たとき、その解釈は崩れた。

この曲は

・飛んでいく話ではない
・壊れる話でもない

👉 越えられる位置まで行きながら
👉 それでも越えきらない

その状態に留まっている。

だから

👉 問いが消えない
👉 認識が残る

この曲の希望は

👉 壊れきらずに留まっていることそのもの

なのだと思う。

このラストがあるからこそ あえての「希望」なのであろう。

7、あなたとはだれか


誰かが死んでもね イラつくくらいでした
乱れたダイヤに舌打ちして 溜息をついた
貴方が死んだこと 昨日聞かされました
拳に刺さるこの鏡じゃ痛みも足りない
かごめ かごめ
後ろの正面だあれ


優里/ かごめ より

貴方が死んでもね 悲しむ以外なくて
非力を正当化するだけの脳みそが恨めしい
黄色い線の外で懺悔を繰り返した
綺麗なものを見かける度 黒く澱んでく
かごめ かごめ 後ろの正面だあれ

優里/ かごめ より


直前には

「誰かが死んでもね イラつくくらいでした」

という描写がある。

本来であれば、他者の死に対して悲しみが生じるはずの場面で、
感情はむしろ逆方向に働いている。

この時点で 👉 感情の機能が正常に働いていない状態

が提示されている。
その上で 「貴方が死んでもね 悲しむ以外なくて」
という一文が続く。

ここで重要なのは

「以外なくて」という語尾である。

これは

・自然に悲しんでいる    のではなく

それ以外の反応が選択できない状態を示しているのではないか。

つまり

感情が自発的に生じているのではなく
形式として残っているだけ

になっている。

ここでいう「貴方」も、特定の他者とは限らない。

むしろ自分の内側にあった何か

・倫理
・正しさ
・他者に対する感受性

そういったもののメタファーとして読むほうが、この曲の構造と整合する。

さらにその認識は  「昨日聞かされた」

と表現されている。ここでも時間のズレが生じている。

変化そのものはすでに起きているが、それを理解する意識が遅れている。

その結果

感情は更新されないまま残る

「悲しむ」という反応だけが、
中身を伴わないまま形式として維持されている。

★認識と感情の乖離

 を最も端的に表している箇所のひとつである。

さいごに

それでも最後に残るのは

「俺は俺らしく生きてやろう 泥水の中で」

という一行だけだった。

愛を持って生きろって どの面で歌うの
信じられるものなんて 積み上げてないから
あれもこれも目に刺さって 心流れる
どうせいらない いらない
俺が生きてるこの世界じゃ見向きもされない
飛び込んだとしても誰も悲しまぬなら
俺は俺らしく生きてやろう 泥水の中で
高く高く飛べたらいいな

優里/ かごめ より

越えられる位置まで行きながら、
それでも越えきらない。

だからこの曲は

飛べなかった歌ではなく  飛ばなかった歌なのだと思う。


優里くん

令和のラブソングのイケメンかとおもったら、全然違う。

わたしはあなたの

脳みそが恨めしいではなく
脳みそがうらやましいよ。

貴方が死んでもね 悲しむ以外なくて
非力を正当化するだけの脳みそが恨めしい

優里/かごめ より




後半に SUPER BEAVERの 渋谷龍太と一緒に歌う 
「かごめ」 そして 名曲「人として」 も相当かっこいいのだ!!

渋谷さん セクシー~~~


以上 高次共感メタ認知過剰女の考察論文でした!


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