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【半径3メートルの世界】せつない夜のやりとり

昨日は中秋の名月。夜、空を見上げると綺麗なお月様とご対面。

早速、建物の間から見えるお月様の写真を撮る。光り輝く丸いお月様は本当に綺麗。
でも何か物足りなさも感じて、月の表面が見えるようなそんな写真を撮りたくなる。

私が持っている一番高性能なカメラはiPhoneのカメラだ。このカメラでそんな写真が撮れるものなのか検索してみると、いくつか方法が出てきた。
一番わかりやすいやり方を真似しながら、なんとか思ったような写真が撮れた。

かなりズームにしているし、拡大しているのでピンボケ気味だけど、iPhoneでこれだけ撮れれば上出来なのではないかな。

かなりピンボケだけど、月の表面もなんとなくわかります

綺麗な景色や光景を大切な人とシェアしたい。いや、それよりもこんなふうに上手に撮れた写真を誰かに見せたい。
私は彼に写真を送った。

かなり夜もふけて、「すごい!いま、屋上、行ってみる!」 と返事がくる。
「月明かり蒼い岬に、ママの眼を盗んできたわ」
というメッセージと共に屋上から見たと思われるお月様の写真が送られてきた。

聖子ちゃんときたか……。
私は「きれいだね」という返事と、YouTubeで松田聖子の「秘密の花園」動画を送ってあげた。

すると次は
「見上げたら、モーニングムーン」とメッセージが来る。

なにそれ? と思ったものの、誰かの歌の歌詞にきまっている。すぐに検索するとチャゲ&飛鳥の歌が出てきた。
そして、動画を送る。

すると今度は、「頑張っているからね〜」ときた。
この1行ではよくわからなくて、ちょっと考えていたら、絢香の「三日月」の歌詞が送られてきた。

一体私達はなにをしているのかな?と思いながら、絢香の「三日月」をYouTubeで聴いてみる。

なんか、せつない歌だな。
好きな人に会えない夜に、こういうのを聴いて女子たちはせつないキュンとした気持ちになるものなのかな……。今の私は全然せつない気持ちにはなっていないけれど。

そんなことを思っていると、
「今日は、ベートーヴェンとドビュッシーの、月光を聴いて寝るぜ」とまたメッセージが入った。

「ベートーヴェンはちょっと暗い感じだね。ドビュッシーはいいけど」
と私は返す。

「その通り!さすが、意見が合う」と彼。

そうね、意見が合ってよかったと思いながら口元が緩む。こういうやりとりは私はとても好きだけれど、この人、本当に自分のペースで生きているなぁとしみじみ思う。

矢継早にクイズを出すみたいな会話をしてきて、とても楽しそうにしている。「月がきれいだよ」と知らせただけなのに、思わぬ展開だ。

全然せつない気持ちになっていないのに、この展開から抜け出したくてちょっと変化球を送ってみる。

「絢香の三日月なんて聞いたら、早く会いたい病になっちゃうね(ハート)」
全然、私らしくないメッセージ。メッセージをしながら、なにを言ってるんだ私、と自分にツッコミを入れる。

もうかれこれ10年近く前になるけれど、当時想ってくれていた人から9月の満月の夜にメールをもらったことがある。

「今日はお月様がきれいです」というメッセージと共に自分で撮った満月の写真が添付されていた。

私はそれに、「写真、ありがとうございます。きれいですね」と返しただけだったが、彼からは「来年は一緒に見たいです」と返事が来たのだった。

残念ながら、私のその人とお付き合いしたいと思えていなかったので、そのメールのやりとりはそれで終わってしまったのだが、お互いに想いを寄せあっている相手なら「来年は一緒に見れるといいね」とか「来年は一緒に見ようね」とか、そんなちょっとキュンとするやりとりになるのも当たり前なのかと思う。

でも、彼と私はお互いに想いあっているはずだけど、全く来年の話をすることもない。今のやりとりをただ楽しんでいるだけだ。
もう少し、ロマンチックなことでも言ってくれたら一般的な女子のように、胸をキュンさせて「一緒に見たかったな。早く会いたいよ」とか思ったかもしれないのに(思ったかな?)。

そんなこと思いながらも、一般的なありきたりなやりとりではなく、いつも楽しくて、そしてお互いの趣味を十分理解しているからこそできるテンポの良いやりとりが心地がいい。


私の出した変化球に、彼は絢香の三日月の歌詞の一部を再度メッセージしてきた。

「これ、歌詞だよ」と彼。
「わかっているよ。三日月でしょ。今日は満月だけど(笑)」と私は返す。

すると、
「うん、、、大好き(小さいハート)」

おい、それはどういう流れなの?と彼にツッコミを入れたくなる。そして返す言葉がないので、大きなハートのスタンプを送ってあげた。

「私の愛の方が大きいね」

「いや、I love you ! more than you love me.」

変化球を投げたのは私だけれど、その後の展開はちょっと私の予想に反しているような気がした。でも、このメッセージに特に反応する必要もなく横に置いておいて、私はドビュッシーの「月の光」の動画を探す。そして、ピアニストの辻井伸行さんが演奏している動画を送った。

以前、辻井伸行さんのコンサートに行ったことがある。彼は全盲のピアニストだけれど、見えていないからこそ見えているものがあるのか、表現できるものがあるのか、とにかく言葉にできない体に染み渡る音を聴かせてくれた。

動画を送ると、「お!」と一言メッセージがきて、私からは「すごくきれいだよ」とメッセージを返した。

それから彼はこの動画を聴きながら眠りについたのかわからないが、私は辻井さんの音に耳を傾けながらベッドに入った。

そして、辻井さんの演奏のあと、ピアニストのフジコヘミングさんの演奏も聴いた。二人の演奏はまるで違うもので、一つの曲がこんなに違う表現になるのだから、音楽って素敵だ。

音楽はそれを扱う人によって表現が変わる。楽譜はあるけれど同じ表現になることはない。扱う人の意図がとても重要だ。

会話も音楽と同じなのではないだろうか。二人の会話を扱うのは私たち二人だ。私たちがどう扱うかで表現も変わるし、むしろ私たちが何を表現したいかで扱い方を変えていかなければならないのかもしれない。やっぱり会話を扱う人の意図が重要なのだと思う。

昨夜のやりとりの決着は初めから意図していたものではなかった。でも、決着は意図されていなくても、初めから明確に意図されていたことがある。それは会話の目的が「私たちの関係を深めるため」であるといういうことだ。

私たちが互いに持っている楽譜にはテーマと目的が書いてあって、あとはお互いの音に合わせながら応えながら、途中で変調したりしながら会話を奏でていく。そのテーマと目的を特に事前にすり合わせる必要もなく、自然と同じ楽譜を持っているように思う。

もし、相手が彼でなかったら同じ会話は奏でられない。彼とだからこそできる会話があり、それが今の私にとって心地よい音やリズムであるということは間違いない。

辻井伸行さんとフジコヘミングさんの演奏のどちらが今の私にしっくり来るだろうかと思っているうちに、昨夜はいつのまにか眠ってしまった。

そして、彼との会話の続きは夢の中で、なんて、そんなロマンチックなことが起こることもなく、アラームの音で目を覚ました。

目を擦りながらスマホを見ると、今日もいつもと変わらず「おはよう!」の挨拶のメッセージが彼から届いていた。これが今の私の日常なんだと思うと、安心と穏やかな気持ちいっぱいになった。












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