見出し画像

『楽しむ』という名の生存戦略(古川千加良/4年)



5歳の頃、兄の背中を追いかけ蹴り始めたサッカーボール。気づけば18年間追い続けていました。そんなサッカー人生が日本一という最高の形で幕を閉じ、一月から本腰を入れ始めた卒論の執筆&発表もかろうじて乗り越え、学生生活も残すところ卒業ヨーロッパ旅行のみといった状況になりました。

 心拍数が跳ね上がるような練習から離れた途端、体は驚くほど正直に衰えました。階段を上れば腿が張り、ボールを蹴れば数ヶ月前のような威力は無い。「アスリート」から「普通の人」へと戻っていくこの感覚は、どこか不思議で、それでいて寂しさを伴っています。

自己紹介が遅れました。
筑波大学蹴球部4年の古川千加良です。

 思い返すと、一浪という空白を経て入部し、2ヶ月間の試練を終えた私に与えられたのは、当時の5軍であるC2配属という現実でした。それから4年。私はTOPチームメンバーとして日本一を争うピッチの上で、最後の一歩を刻むことができました。なぜ、私はこの場所まで辿り着くことができたのか。その答えを探しながら、私がこの4年間で確信した「自分を貫くことの価値」について、少しだけ綴ってみようと思います。

私の高校までのサッカー人生は「全国レベル」などとは無縁の場所にありました。都会になりきれない、絶妙にパッとしない埼玉のベッドタウンでボールを蹴っていた私にとって、全国大会の芝を踏むことはおろか、その舞台を現実的な目標として捉えることすら難しい。そんな「普通」のサッカー少年でした。

 追い打ちをかけるように、高校最後の年はコロナ禍によって不完全燃焼のまま幕を閉じました。消化不良のまま受験勉強へと切り替えるしかなかったあの日。浪人生活の最中、机に向かいながらも頭の片隅にあったのは、「一度でいいから、日本トップレベルの景色を内側から見てみたい」という、叶わぬ夢に近い好奇心でした。だからこそ、一浪して一般入試で合格を掴み取り、蹴球部の門を叩いた時の期待感は凄まじいものでした。

 筑波大学蹴球部は、約200人の部員を抱える巨大な組織です。その中で推薦入学の選手は一握りで、残りの大多数は私と同じ一般入試組。学群を見渡しても、半分は体育専門学群ではない学生たちです。そんな多様なバックグラウンドを持つ人間が集まる場所だからこそ、ここではよく「献身」や「犠牲」、あるいは「苦しみの末の成長」といった物語が尊ばれます。

 しかし、私の4年間を振り返ったとき、そうした「苦しさ」の記憶は驚くほど希薄です。

 2年生の春にB1(2軍)へと上がり、そこから4年の春まで、私は約2年間をその場所で過ごしました。周囲には、カテゴリーが上がらないことに焦り、自分を追い込み、「サッカーが苦しい」と吐露する仲間もいたと記憶しています。筑波大学蹴球部という環境において、それは誠実な姿だったのかもしれません。

 しかし、私はその波には乗りませんでした。性格上、乗れなかったと言う方が正しいのかもしれません。苦しみに耐え、歯を食いしばって自分を殺し続けることは得意ではありません。私は「自分が最もパフォーマンスを発揮できる心の在り方」を常に考えていました。

 私にとっての答えは、極めてシンプルでした。


「結局のところ、楽しいからサッカーをするのだ」ということです。


「自分のやりたいように、やりたいプレーを追求する」
言葉にすればわがままに見えるかもしれませんが、それがこのハイレベルな環境を生き抜き、自分を最大化させるための私なりの生存戦略でした。

 組織の評価のために自分を曲げるのではなく、自分が納得できるプレーを突き詰め、一人のサッカー選手として自分が楽しむために蹴球部という環境を使う。

 コロナ禍で不完全燃焼に終わった高校時代の分まで、日本トップレベルの環境を存分に味わい尽くしたい。その純粋な欲求に従って、私はB1という場所で、ひたすら自分のやりたいプレーを選択し続けました。

 誰かの期待に応えるための「努力」ではなく、自分の好奇心を満たすための「追求」。
冷たく聞こえるかもしれませんが、そうやって「やりたいようにやる」ことを貫いた結果、引退まで残り数ヶ月となった4年生の4月、ようやくTOPチームへの昇格を告げられました。



TOP昇格後、私を待っていたのは大学サッカー界最高峰の舞台「関東リーグ」でした。
「桐の葉」のエンブレムを胸に、日本中の注目が集まるピッチに立つ。対峙するのは、数カ月後にはJリーグの舞台に立っているような化け物級の選手たちです。

 一般組である私が、ただ「楽しむこと」を武器にどこまで戦えるのか。正直、実験のような感覚もありました。しかし、実際に激しいコンタクトや一瞬の判断が求められる関東リーグの荒波に飛び込んでみて、私はある確信を得ました。

 「自分のスタイルは、この強度の中でも通用する」

 無理に苦しい選択をしなくても、無理に自分をストイックな型に嵌めなくても、自分の個性を磨き、サッカーを楽しみ尽くすメンタリティがあれば、国内トップレベルの選手たちと対等に渡り合える。毎週末の関東リーグでの戦いは、私にとって「自分を貫くことの正しさ」をアップデートし続ける、最高にエキサイティングな解析の場でした。

そして、天皇杯。私たちはJ2のRB大宮アルディージャを撃破し、続くV・ファーレン長崎とも互角と言っていい激闘を演じました。私は両試合で途中出場として投入され、プロとの真剣勝負を経験しました。普段の私は「複雑な社会システムにおける最適解の導出」などという、果たして現実に役立っているのかも分からない高尚な学問に頭を抱える社工生ですが、一歩ピッチに入れば、テレビの向こう側にいたプロサッカー選手達と牙をむき出しにして対峙している。その事実は、形容し難い高揚感をもたらしました。



 TOPチームのピッチ。改めて、そこには私が渇望していた景色があったと思います。
すでにプロ入りが内定しているような選手たちが当たり前のように隣に立ち、同じ勝利を目指して戦う。スピード、強度、一瞬の判断。最高峰のレベルを肌で感じながらプレーする瞬間は、まさに「脳が痺れる」ような感覚の連続でした。

 そして、インカレの舞台で、彼らと共に日本一を掴み取ったあの瞬間。ベンチで日本一を決定づけるホイッスルを聞いた時、感じたのは「努力が報われた」という感傷ではなく、「このやり方で合っていたんだ」という確信でした。

 無理に自分を曲げて「筑波らしい苦行」に走る必要はなかった。自分の感性に忠実に、サッカーを楽しみ切ることを最優先した結果、最終的にこの場所に辿り着き、最高の仲間と日本一になれた。その事実は、私にとって何よりも価値のある「証明」となりました。



 後輩たちへ。
 筑波にはいろんな「正解」があります。組織のために自分を捧げる姿は間違いなく美しい。しかし、私のように「自分のために、自分が楽しむために」というエゴを貫く道があってもいい。人間は弱い生き物で、周囲の熱量に圧倒され、自分の軸がぶれそうになることもあるでしょう。そんな時こそ、自分がワクワクしているか、自分を信じられているかを問い直して欲しいと思います。


 最後になりますが、
 一浪という選択を許し、最後までわがままで自由なサッカー人生を支えてくれた両親。ありがとうございました。最後にフューチャーブルーのユニフォーム姿を見せ、日本一という最高の報告ができたことが、23年間の最大の恩返しになっていれば嬉しいです。

 そして、経歴も能力もバラバラな200人の中で、最高の刺激をくれた同期のみんな。私を一人の蹴球部員、同期として尊重してくれるみんながいたからこそ、私は自分のスタイルを揺るがすことなく引退の日まで走り抜けることができました。ありがとう。

 私はこれからも、周囲の「正解」に惑わされることなく、自分の「楽しい」という感覚を信じて最適解を求め続ける。ここで培ったこの確信を武器に、新しい世界を楽しんでいこうと思います。

 4年間、本当にありがとうございました。


筑波大学蹴球部
理工学群社会工学類4年
古川千加良

いいなと思ったら応援しよう!