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夢を売る場所が、夢を必要とする人間を作る

テーマパーク。
そこには様々な人が集まる。

テーマパークに遊びに来るお客さん
テーマパークで働く従業員
一つ一つの動き、数字を管理する管理職
次のアクションを決定する経営者

これらのどれか一つ欠けたもしてもテーマパークは成り立たない。
そんなテーマパークに関係する人たちがテーマパークに何を見ているのかを今回は見ていく。

まず、お客さんは「充実感」を求めてくる。
従業員は「使命感」と「共同体」を求める。
管理職は「秩序」を求める
経営者は夢を設計する。

だが、彼等が手に入れるものは微妙に形を変える。

お客さんが求めるのは「充実感」だが、手に入れるのは依存への入り口である。
従業員が得るのは「使命感」ではなく一瞬の安心である。
管理職が得るのは「支配」ではなく「孤独」である。
経営者は「仕組み」を背負う。

お客さんの反応
この記事では、人の心と組織の動きを構造で捉える精神構造工学でテーマパーク全体を見ていく。
精神構造工学では、人の反射を八つのパターンに分けている。
このパターンに沿ってまずはお客さんをみていこう。
自慢型 「行った」という承認を他人に求める
支配型 テーマパークの仕組みと構造を解析しにくる。
攻撃型 誰かより「いい体験」をしたという証明をしにくる。
依存型 仲間との共有を求める
自己犠牲型 日常の消耗を癒す「一瞬の安心」を求めてくる。
理屈型 テーマパークを調べ尽くしてからくる。
回避型 現実から離れた高揚感を求めてくる。
無関心型 キャラクターを見ても「着ぐるみ」としか思わない。冷めている事で自分は特別だと思う。
ここからわかる事は、人は自分の見たい景色を見る為にテーマパークにきているという事になる。
そして、テーマパークが好きというよりも、テーマパークにいる間のその人の「状態」が大事になるのだ。
ここでも型別に見ていこう。

自慢型 特別な体験をしている自分が好き
パークの映えスポットや限定品の写真を撮ってすぐにSNSにアップする等。
支配型 全部見抜いている自分が好き
パレードの場所取りのベストポジションや、最小の待ち時間で回れる「最適ルート」を完全に計算・コントロールしようとする。
攻撃型 誰かよりいい体験をしている自分が好き
VIPツアーに参加したり、一般には解放されていないエリアや、入手困難な限定グッズを身にまとって優越感に浸る。
依存型 「仲間と笑い合う」自分が好き
アトラクションの怖さやパレードの感動そのものよりも、「これヤバいね!」「楽しいね!」と言い合い、周囲と完全に感情を同調させている。
自己犠牲型 「頑張った自分へのご褒美」をもらえる自分が好き
お気に入りのベンチに座ってぼーっと風景を眺めたり、キャラクターに抱きしめられた瞬間に、張り詰めていた糸が切れたように涙を流したりする。
理屈型 完璧に理解してる自分が好き
アトラクションの背景にあるストーリー(バックグラウンドストーリー)や、建物の建築様式、隠された演出のトリビアを完璧に予習してくる。同行者に「実はこのエリアの壁の傷はね……」と解説を始める。
回避型 「現実を忘れられている」自分が好き
エントランスをくぐった瞬間にスイッチが入り、普段の物静かな性格からは想像できないほどテンションが上がる。派手なグッズを身につけ、大声で笑い、現実世界の仕事、お金、年齢、義務を脳内から完全にシャットアウトする無関心型 「冷静に見ている」自分が好き
同行者に付き合って来ているが、終始ポケットに手を突っ込み、一歩引いた目で見ている。キャラクターが手を振ってきても「中に人間が入っているのに、よくやるよ」と心の中で呟き、周囲の熱狂を冷ややかに観察している。
例えていうと、こういう形になる。

もちろん、これらが複合している人がほとんどだ。
ここから見るに、テーマパークとは「自分が好きな自分」を上映する劇場であると言えるだろう。
だからこそ人はテーマパークに何度も足を運ぶのだろう。
皆、純粋に「それぞれに」テーマパークを楽しんでいるのは間違いないのである。
そして「安心」を現実に持ち帰っていく。
次に、従業員が何を求めて働いているのかを見ていこう。

テーマパークで働く従業員
彼らは単に、給料を貰う為だけに働きに来ているのではない。
もっと言えば、そこに使命感、一体感を求めてやってくる。
だが、働いていく内に「自分がいなければここは回らない」という自己犠牲型が出てくる。
テーマパークの仕事は外から見るよりかなりハードだ。
時間のズレは許されない。
キャラクターはキャラクターでなければならない。
トラブルがあってはならない。
キャストはキャストとしてのコンプライアンスがある。
いつも笑顔でいなければならない。
お客さんを楽しませる為には自分が一番楽しんでなくてはならない。
楽しませる側が、いつも「楽しまなければならない」という強制的感情労働は、体調や気分によってとてつもない重労働になる。
そして、それが続くと自分の「今の感情」がわからなくなっていく。
要は今、自分は演じて笑顔なのか、本心から笑顔なのかの境目が消えていくのだ。
そんなプレッシャーに耐えながら日々働く。
そして時給もそこまで高いとは言えないのだ。
仕事をこなしている内に段々使命感や一体感よりも、終わった後の一瞬の安心を求める様になっていく。
そしてその安心を仲間達でシェアしている感覚が芽生える。
日々の生き残りが、結束感を強化していく。
そして、退職した後でもそのテーマパークに定期的に戻ってきてしまうのだ。
それは何故か。
お客さんとして充実感を得にきているのではない。
「夢を届けてた自分を追体験する為」にやってくるのだ。。
そう、彼らはお客さんと同じく「夢を届けてた自分が好き」だから定期的に戻ってくるのだ。
そういう仲間達には、テーマパークを辞めたとしても繋がりがある。
思い出話に花を咲かせる。
一瞬の安心をシェアした仲間との再会。
彼らは仲間達とその時の一体感を思い出し、共有する。
その事で一瞬の「安心」を手に入れて、また現実に戻っていく。

次は管理職となる。
管理職は、
支配型管理職
自己犠牲型管理職
理屈型管理職
と、代表的な管理の仕方がある。
だが、する事は常にテーマパークの数字を管理し、把握する事だ。
従業員の動向はもちろん、不測の事態にも備える。
どこにどんなお客さんがいて、どんな事に興奮するのか、または落胆するのか。
そういった事を常に考えて行動している。
では、周りから見た管理職とはどんな立場になるのか。
お客さんからみたら「そこに存在していない」
逆に言えば見えてはならない人となる。
従業員からしたらまさに「管理人」。
常に動きを見られている人となる。
経営者からしたら、「現場を回す駒」扱いである。
管理職という立場が本当にしんどいのは、「誰からも認められる事がない」事となる。
何をやっても管理になるのだ。
これはテーマパークで働く人としては致命的だ。
何故なら、「人の夢を守る為に自分は夢を置いてきた」からである。
アトラクションも、パレードも、キャストも。
みんな数字に置き換えられていく。
大好きなキャラクター「だった」のに、どれだけ他人の人気をあつめているのか?という乾いた指標になる。
大好き「だった」アトラクションは常時メンテナンスの事ばかり考える。
スタッフからは敵扱いされる事まである。
もうそこに夢などどこにもないのだ。
そこにあるのは管理職の「孤独」である。
夢を回した結果、孤独を手に入れるという因果な仕事となってしまう。
それも、「夢を届けてる自分が好き」という従業員のニーズを満たした結果、自分の夢がどこかに消えていく事になる。
だが、管理職にも安心はある。
それは「毎日の営業が何事もなく終わった瞬間」の安心なのだ。
彼らはそれを無意識に求めながら仕事をしている。
管理職は「テーマパークを守ってる自分が好き」をモチベーションにして日々の仕事に従事している。

次は経営者だ。
テーマパークの経営者は何を考えて仕事をしているのだろうか?
経営者が一番大切にしている事はテーマパークに対する「イメージ」である。
テーマパークは夢を必要とする人が集まる場所。
だからこそ、テーマパークのイメージは上げれば上げるほど人は集まってくるのだ。
それはお客さんだけの話ではない。
そこで「働きたい」と考える従業員も同時に集まってくる。
だが、テーマパークのイメージが悪かった場合、どうなるか?
まずお客さんは来ない。
そこで働きたいと熱望する従業員はもっと集まらなくなる。
管理職は仕事にならない。
経営者は経営の仕事が出来ていないという事になる。
経営者が売るものは夢ではない。
経営者はテーマパークのイメージを売っているのである。
そのイメージに夢を乗せてお客さんはやってくる。
そして従業員は夢を届ける事を使命とする。
管理職は夢を見させる為の管理を徹底する。
だが、経営者はその奥を見なければならないのだ。
経営者が売るのは「品物」ではない。
経営者が売るのは「そこに遊びに来た時の自分のイメージ」を売り物にしているのだ。
こんな体験をした。
あのテーマパークでワクワクする様な事があった。
パレードに感動した。
動くキャラクターとの写真撮影。
みんなで水浸しになった。
あそこで食べた物が特別な味がした。
経営者はそこを見て、テーマパークの構造を決定していく。
イメージが変わったもの、下がったものは冷徹に引き下げる。
イメージの良いものは採用する。
その為の施設への投資。
最新機器を使った感情操作。
これらを管理職に管理させる。
従業員は、そのマニュアルを守る。
お客さんは、その設計図通りに楽しんでいく。
そう、それはただの体験を「特別な体験」にする構造をそこに作り出しているのだ。
経営者はカラクリを作り出し、イメージの演出をする。
責任も全て被る。
そこには不安しかない。
経営者も、管理職や従業員と同じだ。
その日の営業が終わり、閉園後の一瞬の安心を求める様になっていく。
終わらない改善。
終わらない日々の営業。
アンチやクレームへの神対応。
消耗していくが、本人は気づいていない。
だが、この経営者の核心はそこではない。
核心は、テーマパークとは何かという話になる。
答えから先に言うと、「安心の常時供給装置」となる。

安心を求めるお客さんのリピーター化
低賃金でも夢を届ける為に喜んで働く従業員の労働力
孤独な使命感で現場を回す管理職。
これらが周り出すと、経営者はそこに「夢」というラベルを貼るだけで良くなるのだ。

ここで大事な事を述べる。
お客さん、従業員、管理職、経営者。
全員が「不安」からテーマパークに集まり、安心を持ち帰るという構図が出来上がっている事に気づいただろうか?
つまり、全員何がしかの不安を抱えて生きている。
そしてテーマパークに夢を求めて一時の安心を得る。
つまり、憧れも不安の形を変えたものなのだ。
実はまだお客さんは安心を求めてテーマパークに来ている。
これはお客さんに限った事ではない。
従業員は一体感や共同体に安心を見て集まり、管理職や経営者は営業終わりの一瞬の安心を毎日味わう。
となってくると、テーマパークとは一体何なんだろうか?
ここを精神構造工学として読み解いていく。

精神構造工学は、人が安心するのに何をするのかを見ていく工学である。
そして、安心が続かない理由も説明する。
精神構造工学的にテーマパークを見た場合、
「安心への渇望を永続させる装置」となる。
何故なら、安心を満たす為のテーマパークではない。
そこに依存させる為の仕組みを完成させているからだ。
だが、何故人々は安心がなく、日々不安なのだろうか?
精神構造工学では、
「社会の構成自体が不安を土台にして作り上げられているから」
だと定義している。
その不安とは、生活コストだ。
生まれて死ぬまで、生活コストはかかるものだ。
その上で、どれだけ働いても生活の不安は消えるものではない。
その中に、娯楽がある。
その娯楽の一つにテーマパークがある。
社会が影なら、テーマパークは光なのだ。
だからこそ、光を浴びる為にテーマパークに行く。
散財する。楽しむ。感動する。
思い出を作り出す。
だが、冷静に考えると、光を浴びる為のコストは甚大である。
だが、「テーマパークにいる自分が好き」だと定義した脳内では、そのコストはなかった事になる。
光を浴びる為に、衣食住にかかるコストを犠牲にしだしたりする。
そして光を浴びる為に更に生活コストは阿鼻叫喚の事態を迎えていく。

従業員も同じくである。
キャストとして「夢を与える側」という光を浴びる為に、低賃金で働く事を選択する。
自己犠牲で、エネルギーを割きながらもそこから離れられなくなっていく。
そして彼らは言う。
「俺(私)がいないとこの施設は回らない」
言い換えると
「人に夢を与えられるのは私だけ」
となるが、本人はそこには気付いていない。
そういう人達が、テーマパークを卒業したとする。
やはりまたテーマパークやOB会などで集まり、過去の光の話で安心の供給をシェアするのだ。
お客さんの子供の笑顔。親の喜ぶ顔。
そんな思い出こそが、影である社会を生きる彼らの原動力だ。

一方、管理職はどうだろうか?
管理職は「テーマパークを回す事で安心を得る」人達である。
彼らは社会の影から一時的に光を浴びる為に来たお客さんをまたここに来る為の導線作りもやっている。
そして、お客さんのテーマパークでの感動が安心源となる。
同時に、従業員のやりがいもそうなる。
「ここで働けて良かった」
そう思う従業員を、たくさん作る。
離職率を下げる事で、その不安から逃れる。
そして閉園後にやっと一瞬の安心を得る事が出来るのだ。
だが、やはりその安心は一時に過ぎない。
特に彼らは社会の影には敏感なのである。
ある意味では経営者よりも影を意識して仕事をしなければならない立場でもある。
それはお客さんの不満をコントロールしなければならない局面があるからだ。
従業員にも気を配らなければならない。
これは精神を削る作業になる。
テーマパークの光は同時にそんな管理職の影をも含んでいる。

最後に経営者。
彼らは社会の影を正面から見つめなければできない仕事だ。
というのも、どんな影があるのかを知る事でどんな光を「マネジメント」するのかが、経営者としての技量になるからだ。
影から光を設計するのが経営者の仕事でもある。
どんな光を演出するのかは、テーマパークとしてのイメージを左右する。
それがヒーローだろうが、ヒロインだろうが、アトラクションだろうが。
お客さんが、
「それを体験してる自分をイメージ出来る」
事を、経営者は考えていかなければならない。
そこでお客さんは、
「多くの光を浴びられると思う」
からこそ、そのテーマパークに行きたいと思う様になる。
だが、そのマネジメントは凄まじい精神力を使う。
一つのアトラクションにはとんでもないコストがかかるからだ。
一つの決断がテーマパークを終わらせる可能性まである。
そんな決断を、毎回経営者は強いられている。
そして閉園後に一瞬の安心を得るのだ。
経営者は「影を売っているのではなく、影があるから光が売れると知っている唯一の存在」であるとも言える。

お客さん、従業員、管理職、経営者。
テーマパークにまつわる人々は例外なく光を浴びる為に集まる。

ここが精神構造工学の核心となる。
本当の問題は、
光を浴びないと安心出来ない自分
にある。
自分で安心を作り出せる人というのがいる。
そういう人は、テーマパークには来ないのかと言えばそうではない。
周りの人と同じ様に来て、楽しみ、チュロスを食べて、パレードに感動する。
だが、安心してる人はそこで区切る事が出来る。
依存する事がないのだ。
楽しかったこと。
明日の仕事を区切れる人。
そういうは自分が既に光であると知っているのだ。
人は光を求める。
そして時々忘れる
自分自身が実は光を持っているという事を。
夢を売る場所は今日も賑わっている。
人はそこを求める。
光を求めて。
本当は自分に光がある事を忘れながら。



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